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2018年4月2日月曜日

イマージュは女陰を隠蔽している

前回から再掲する。




ーーいやあ実にウツクシイ。

世界には次のような画像のほうがお好きな方が多いのだろうが、ボクの場合、いくらか抽象化されたほうがいっそう眩暈がする。







ほかにもこんなgifがある。




いやあ、これまたチューリップである。

わたしのチューリップにたいする関係はリンチ風だね、あの花というのはほんとにムカつくよ。想像してみよう、あの類の花というのは、なんて言えばいいのか、ヴァギナデンタータだな、きみを呑み込むような畏れ多い歯のついたオメコさ。花というのはそもそも気分が悪くなる。人はわからないのかね、花がひどくおどろおどろしいものだというのが? 基本的に、すべての昆虫やら蜂やらを呼び込む口を開けた誘いだよ。「おいでよ、そして私を突いてよ」。わかるかい? わたしが思うには、花は子供たちには禁止すべきだね。(ジジェク 、Slavoj Žižek, Dreamboat, Thinks Flowers Are "Dental Vaginas Threatening to Swallow You"、2009)

ボクの場合は、チューリップというよりバラや菊の花がいけない。ときにSNS上で、バラの花の画像を貼り付けている女性がいるが、彼女たちには「わからない」のだろうか、あれがどれほど繊細な男を震え上がせるか? それともイヤガラセでやっているのだろうか?




モノ La chose、それはもし美あるいは女とavec une belle ou  avec une dameともに現れないとしても、スクリーンの上の暗くされた部屋のなかのイマージュと dans la salle obscure avec une image qui est sur l'écran ともに現れる。(ラカン、S3, 31 Mai 1956)
親密な外部、この外密 extimitéが「モノ das Ding」である。extériorité intime, cette extimité qui est la Chose (ラカン、S7、03 Février 1960)




対象a とは外密である。l'objet(a) est extime(ラカン、S16、26 Mars 1969)
外密 Extimité は親密 intimité の反対ではない。それは最も親密なもの le plus intimeでさえある。外密は、最も親密でありながら、外部 l'extérieur にある。それは、異物 corps étranger のようなものである(ミレール、Miller Jacques-Alain, 1985-1986, Extimité)



おそらく対象aを思い描くに最もよいものは、ラカンの造語"Extimité"である。それは主体自身の、実に最も親密なintimate部分の何かでありながら、つねに他の場、主体の外 ex に現れ、捉えがたいものだ。(RICHARD BOOTHBY, Freud as Philosopher METAPSYCHOLOGY AFTER LACAN, 2001)
対象aの究極の外密 extimité 的特徴……私のなかにあって「エイリアン」であるもの、まったく文字通り「私のなかにあって私自身以上のもの(あなたのなかにあってあなた以上の何かquelque chose en toi plus que toi)」、私自身のまさに中心にある「異物 Fremdkörper」…(ジジェク『操り人形と小人』)

ーー「不気味なもの」は、仏語ではそれに相応しい言葉がない。だから、フロイトの『不気味なもの (Das Unheimliche)』ーー 不気味 unheimlich=親密 heimlichーー は、L'inquiétante étrangeté.と訳されている。すなわち「不穏をもたらす奇妙なもの」。これは奇妙な訳語であり、ラカンはそのかわりに、《外密という語を発明した(ムラデン・ドラ―、1991、Mladen Dolar,I Shall Be with You on Your Wedding-Night": Lacan and the Uncanny,1991、PDF


ゴダール、『(複数の)映画史』

女性器 weibliche Genitale という不気味なもの Unheimliche は、誰しもが一度は、そして最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷 Heimat への入口である。冗談にも「愛とは郷愁だ Liebe ist Heimweh」という。もし夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女性器 Genitale、あるいは母胎 Leib der Mutter であるとみなしてよい。したがって不気味なものUnheimlicheとはこの場合においてもまた、かつて親しかったもの Heimische、昔なじみのものなの Altvertraute である。しかしこの言葉(unhemlich)の前綴 un は抑圧の徴 Marke der Verdrängung である。(フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年)




・イマージュは対象aを隠蔽している。l'image se cachait le petit (a).

・イマージュは、見られ得ないものにとってのスクリーンである。l'image fait écran à ce qui ne peut pas se voir(ジャック=アラン・ミレール 『享楽の監獄 LES PRISONS DE LA JOUISSANCE』1994年)

ーーイマージュは、女陰を隠蔽している。




美はラカンの外密Extimité の効果の名である。これが正確に、カントの「美は無関心」が目指したものである。(ジュパンチッチ、The Splendor of Creation: Kant, Nietzsche, Lacan by Alenka Zupančič, pdf




心的無意識のうちには、欲動の蠢き Triebregungen から生ずる反復強迫Wiederholungszwanges の支配が認められる。これはおそらく欲動の性質にとって生得的な、快原理を超越 über das Lustprinzip するほど強いものであり、心的生活の或る相にデモーニッシュな性格を与える。この内的反復強迫 inneren Wiederholungszwang を想起させるあらゆるものこそ、不気味なもの unheimlich として感知される。(フロイト『不気味なもの』1919)



たえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状 das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen(フロイト『制止、症状、不安』1926年)
われわれにとって異者としての身体(異物としての身体) un corps qui nous est étranger (ラカン、S23、11 Mai 1976)



ーー「下もえに思ひ消えなん煙だに跡なき雲のはてぞかなしき」

対象aは、大他者自体の水準において示される穴である。l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel (ラカン、S18, 27 Novembre 1968)



吉岡実、草の迷宮 〈目は時と共に静止する〉 より

わたしは何物になったのか?
「音もなく岩石が宙へ昇り
ガラスが割れ
楽器類が燃える」
そんな奇蹟がいったいあり得るだろうか?
便器にしゃがみながら
三つの沼へ
わたしは頭髪のフケをふりそそぐ
見える観念がある
石の波
机の下の犬
「横に倒された
女陰」
金曜日は雨
「わたしは靴職人になりたかった」
耳濡れ
乳濡れ
武装した馬を曳き
下着の女が長靴をはいて来る
草の迷路を――