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2018年4月25日水曜日

彼女は私を六秒みつめた

ゴダールの映画に何度か現れる次の写真は、ルック・ドラエ Luc Delahaye, 1992 の作品のようだ。



以下の文に1995年となっているのは、1992年の間違いである(写真のキャプションには1992となっている)。

A picture taken in 1995 in Bosnia shows a pained woman lying on the ground, looking out at the photographer, her white blouse covered in blood. Her dog lies in front of her, also covered in blood and apparently dead. A bomb has just exploded. In the distant background, a man stands frozen. "She looked at me for six seconds," Delahaye said.

"I always tell myself that the risk is my entrance ticket," Delahaye said. "I don't wear a bulletproof vest, or drive around in an armored car. I undertake the same risks as the people I am covering. . . . The majority of photojournalists tell themselves they do this work because it is important, that if people can just see these problems in these parts of the world they will do something about them. I have never believed this. I even think that that is a con. You ask yourself if you have the right to be in such a crisis area. Is it legitimate to bend over someone who is about to die? Is it correct to photograph a dying woman?. . . I restore (the suffering) more effectively if I am able to adopt a certain detachment."(The Real Thing: Photographer Luc Delahaye by Bill Sullivan

ネット上で「Luc Delahaye, Sarajevo、Godard」で検索しても、奇妙にも情報が現われない。

ゴダールの作品には、『(複数の)映画史』と『アワーミュージック Notre musique』に次のような形で現れる。





すくなくとももう一箇所、この写真はゴダールの作品のどれかに現れた記憶があるのだが、気のせいかもしれない。

2分強の短編作品『こんにちはサラエヴォ Je vous salue, Sarajevo』における写真は、ロン・ハヴィヴ(Ron Haviv)によるもののようだ(参照)。



⋯⋯⋯⋯

ゴダールは、道に血まみれになっている女のイマージュを反復する映像作家である。



医者になりたいとかつて望んだ冒険好きな若い女(ゴダールの母オディール)は、中年になっても相変わらず冒険好きのままだった。当時の若者たちのあいだで、新しいイタリア製スクーター「ヴェスパ」は、大ブームだった。オディール・モノーは、父ジュリアン・モノーにヴェスパを買ってくれないかと頼んだ。1954年4月、午後9時半の夜、オディールのヴェスパはローザンヌの路上から落ちた。彼女は頭蓋骨骨折でほとんど即死だった。

ゴダールはジュネーブから病院に駆けつけた。しかし彼は葬式には参列しなかった。それは異様な堪え難い事態による。ポール・ゴダールは子供たちを伴ってモノー祖父に会いに駅に向かった。だがセシル・モノー Cécile Monod(ゴダールの祖母)にこう告げられた、「Monsieur, on ne veut pas vous voir ici (私たちはここであなた方にお会いしたくありません)」。屍体はアンシイAnthy(レマン湖畔のアンティ=シュル=レマン)に埋められ、墓碑にはオディール・ モノー Odile Monod と刻まれている。(Colin MacCabe、"Godard: A Portrait of the Artist at Seventy" 、2016、私訳)

ーーゴダールが24才のときの、ローザンヌ近郊の事故である。ゴダール自身も41才のとき、モーターバイク事故にあっている。

1971年6月、ゴダールは、彼の編集者 Christine Marsollier が運転するモーターバイクの事故で重傷を負った。…ゴダールは2年半以上ののあいだ病院を出たり入ったりした。そのあいだ、当時の同志であったアンヌ=マリー・ ミエヴィル Anne-Marie Miéville に看護されて回復に向かった。(Wheeler W. Dixon、The Films of Jean-Luc Godard、1997)