ははあ、そうなのか。《映画とは美しい女に美しいことをさせること》(トリュフォー)
とはいえ、
・生まれつきよく出来た人といわれている人間は、自己統御をまったく怠ると、最悪のところまで、しかもひとより早く達することが、しばしばある。
・みにくさは、たやすく美しくなるような顔立ちにおいて、いっそうよく目立つ。(アラン『プロポ』)
これを荒木経惟流にいえば、《すべての女は美しい。「美人」は美しくない。「普通の女」にこそ「いい女」がいる》である。至言である。
いい女は「天女」で、「インテリジェンヌ」で、「センチメンタル」だ―。顔のきれいさや身体の形は二の次、いい女には、オーラがある―。ファッションモデルは撮りたくない。マスメディアの娼婦だから―。(荒木経惟)
ゴダール流にいえば、映画女優とは畸形である。
スターというのがしばしばきわめて興味深いものであるのは、スターが、癌と同様、一種の奇形だからです。スターが誕生するということは、ある人間のきわめて単純な人格が急に増殖しはじめ、ばかでかいものになるということなのです。(ツイッター、ゴダールbot)
さてどの考え方を信奉するかは、あなたしだい。
ボクの考えでは、美しいことをさせれば、すべての女は美しい。ただし美しいことをさせるのが難しいだけである。
というわけで次男をダシに使って、わが妻にこっそりと美しいことをさせてみた。
ーーああ、なんという「美しい女」だ!
次は、これか、
これを試してみなくちゃいけない