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2018年8月7日火曜日

美しいことをさせれば、すべての女は美しい



ははあ、そうなのか。《映画とは美しい女に美しいことをさせること》(トリュフォー)

とはいえ、

・生まれつきよく出来た人といわれている人間は、自己統御をまったく怠ると、最悪のところまで、しかもひとより早く達することが、しばしばある。

・みにくさは、たやすく美しくなるような顔立ちにおいて、いっそうよく目立つ。(アラン『プロポ』)

これを荒木経惟流にいえば、《すべての女は美しい。「美人」は美しくない。「普通の女」にこそ「いい女」がいる》である。至言である。




いい女は「天女」で、「インテリジェンヌ」で、「センチメンタル」だ―。顔のきれいさや身体の形は二の次、いい女には、オーラがある―。ファッションモデルは撮りたくない。マスメディアの娼婦だから―。(荒木経惟)

ゴダール流にいえば、映画女優とは畸形である。

スターというのがしばしばきわめて興味深いものであるのは、スターが、癌と同様、一種の奇形だからです。スターが誕生するということは、ある人間のきわめて単純な人格が急に増殖しはじめ、ばかでかいものになるということなのです。(ツイッター、ゴダールbot)

さてどの考え方を信奉するかは、あなたしだい。

ボクの考えでは、美しいことをさせれば、すべての女は美しい。ただし美しいことをさせるのが難しいだけである。

というわけで次男をダシに使って、わが妻にこっそりと美しいことをさせてみた。




ーーああ、なんという「美しい女」だ!

次は、これか、




これを試してみなくちゃいけない