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2018年11月23日金曜日

症状の線形展開図




上の図は、ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, On Being Normal and Other Disorders(2004)に示されている次の図を訳したものである。





バーハウの記しているS1としての「境界表象 Grenzvorstellung」 とは「欲動の固着」を示すフロイト概念であり、かつまた原シニフィアンとは母なるシニフィアンのことである。

エディプスコンプレックスにおける父の機能 La fonction du père とは、他のシニフィアンの代わりを務めるシニフィアンである…他のシニフィアンとは、象徴化を導入する最初のシニフィアン(原シニフィアン)premier signifiant introduit dans la symbolisation、母シニフィアン le signifiant maternel.である。…つまり行ったり来たりする「母」C'est cette mère qui va, qui vientであり…「父」はその代理シニフィアンであるle père est un signifiant substitué à un autre signifiant。(Lacan, S5, 15 Janvier 1958)


この母なるシニフィアンとしてのS1 とは、ミレールが「S2なきS1(S1 sans S2)」としているものと等価である。

S2なきS1(S1 sans S2)を通した身体の自動享楽 auto-jouissance du corps(L'être et l'un、jacques-alain miller、2011)

さらに、この「S2なきS1」は、ラカンのサントームΣ、あるいは「大他者のなかの穴 Ⱥ」のシニフィアンS(Ⱥ)、「文字対象a[la lettre petit a]」等とも等しい(参照:①S(Ⱥ)と「S2なきS1」、②想像界の復権と骨象a[osbjet a])。


事実、ポール・バーハウは、1999年(『Does the Woman Exist?』の段階では、境界表象S1に相当する場を、S(Ⱥ)としている。







以上にかかわるラカン用語とフロイト用語は、おそらく次のようにまとめることができる。





もういくらか引用して、用語について補っておこう。

【去勢と享楽】
享楽は去勢である la jouissance est la castration。人はみなそれを知っている Tout le monde le sait。それはまったく明白ことだ c'est tout à fait évident 。…

問いはーー私はあたかも曖昧さなしで「去勢」という語を使ったがーー、去勢には疑いもなく、色々な種類があることだ il y a incontestablement plusieurs sortes de castration。(ラカン、 Jacques Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)
(- φ) は去勢を意味する。そして去勢とは、「享楽の控除 soustraction de jouissance」(- J) を表すフロイト用語である。(ジャック=アラン・ミレール Ordinary Psychosis Revisited 、2008)
人間の最初の不安体験 Angsterlebnis は出産であり、これは客観的にみると、母からの分離 Trennung von der Mutter を意味し、母の去勢 Kastration der Mutter (子供=ペニス Kind = Penis の等式により)に比較しうる。(フロイト『制止、症状、不安』第7章、1926年)


【モノと享楽の喪失】
(フロイトによる)モノは母である。das Ding, qui est la mère(ラカン、 S7 16 Décembre 1959)
反復は享楽回帰 un retour de la jouissance に基づいている。…それは喪われた対象 l'objet perdu (=モノ)の機能かかわる…享楽の喪失があるのだ。il y a déperdition de jouissance.…

フロイトの全テキストは、この「廃墟となった享楽 jouissance ruineuse 」への探求の相 dimension de la rechercheがある。(ラカン、S17、14 Janvier 1970)
フロイトのモノ Chose freudienne.、…それを私は現実界 le Réelと呼ぶ。(ラカン、S23, 13 Avril 1976)
モノ la Chose とは大他者の大他者 l'Autre de l'Autreである。…モノとしての享楽 jouissance comme la Chose とは、l'Autre barré [Ⱥ]と等価である。(ジャック=アラン・ミレール 、Les six paradigmes de la jouissance Jacques-Alain Miller 1999)



【欲動と穴】
欲動の現実界 le réel pulsionnel がある。私はそれを穴の機能 la fonction du trou に還元する。(ラカン、1975, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)
われわれは、『制止、症状、不安』(1926年)の究極の章である第10章を読まなければならない。…そこには欲動が囚われる反復強迫 Wiederholungszwangの作用、その自動反復automatisme de répétition の記述がある。

そして『制止、症状、不安』11章「補足 Addendum B 」には、本源的な文 phrase essentielle がある。フロイトはこう書いている。《欲動要求は現実界的な何ものかである Triebanspruch etwas Reales ist(exigence pulsionnelle est quelque chose de réel)》。(J.-A. MILLER, - Année 2011 - Cours n° 3 - 2/2/2011)
リビドーは、その名が示しているように、穴に関与せざるをいられない。身体と現実界が現れる他の様相と同じように。(⋯⋯)

私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する。c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)


【欲望】
欲望は享楽に対する防衛である le désir est défense contre la jouissance (Jacques-Alain Miller L'économie de la jouissance、2011)
・欲望は、欠如の換喩と同じ程度に、剰余享楽の換喩です。 le désir est autant métonymie du plus-de-jouir que métonymie du manque.

・欲望に関しては、それは定義上、不満足であり、享楽欠如 manque à jouir です。欲望の原因は、フロイトが「原初に喪失した対象 l’objet originairement perdu」と呼んだもの、ラカンが「欠如しているものとしての対象a l’objet a, en tant qu’il manque」と呼んだものです。(コレット・ソレール、2013、Interview de Colette Soler pour le journal « Estado de minas »)


【その他】
サントーム……それは《一のようなものがある Y a de l’Un》と同一である。

si je veux inscrire le sinthome comme un point d’arrivée de la clinique de Lacan (je l’ai déjà identifié à ce titre).Une fois que Lacan a émis son « Y a de l’Un »(L'être et l'un、notes du cours 2011 de jacques-alain miller)

Y a de l’Unが境界表象S1であり、欲動の固着、かつ文字対象aである。

後年のラカンは「文字理論」を展開させた。この文字 lettre とは、「固着」、あるいは「身体の上への刻印 inscription」を理解するラカンなりの方法である。(ポール・バーハウ『ジェンダーの彼岸』2001年)


以上、別の形で症状形成図を示せば、フロイトにおいては次のようになる。







エロスとタナトス(エロスと破壊欲動 den Eros und den Destruktionstrieb) …という二つの基本欲動のアナロジーは、非有機的なものを支配している引力と斥力 Anziehung und Abstossungという対立対にまで至る。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)
原抑圧 Verdrängungen (固着)は現勢神経症 Aktualneurose の原因として現れ、抑圧Verdrängungenは精神神経症 Psychoneurose に特徴的である。……現勢神経症 Aktualneurosen の基礎のうえに、精神神経症 Psychoneurosen が発達する。(フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

フロイトは出産外傷による原トラウマについては、治療の直接の対象としては否定している。

オットー・ランクは『出産外傷 Das Trauma der Geburt』 (1924)にて、出生という行為は、一般に母への「原固着 Urfixierung」が克服されないまま、「原抑圧 Urverdrängung」を受けて存続する可能性をともなうものであるから、この出産外傷こそ神経症の真の源泉である、と仮定した。

後になってランクは、この「原トラウマ Urtrauma」を分析的な操作で解決すれば神経症は総て治療することができるであろう、したがって、この一部分だけを分析するば、他のすべての分析の仕事はしないですますことができるであろう、と期待したのである。この仕事のためには、わずかに二、三ヵ月しか要しないはずである。ランクの見解が大胆で才気あるものであるという点には反対はあるまい。けれどもそれは、批判的な検討に耐えられるものではなかった。(……)

このランクの意図を実際の症例に実施してみてどんな成果があげられたか、それについてわれわれは多くを耳にしていない。おそらくそれは、石油ランプを倒したために家が火事になったという場合、消防が、火の出た部屋からそのランプを外に運び出すだけで満足する、といったことになってしまうのではなかあろうか。もちろん、そのようにしたために、消化活動が著しく短縮化される場合もことによったらあるかもしれないが。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年)

とすれば、原分析対象としては、欲動の固着が核心となる。これはラカンがサントーム(原症状)を強調しているのと同じである。

ようするにラカンも用語の相違さえ視野におさめれば、ほぼフロイトと基本的思考は同様である。

「一」Unと「享楽」jouissanceとの結びつき connexion (=サントームΣ)が分析的経験の基盤であると私は考えている。そしてそれはまさにフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである。⋯⋯

抑圧 Verdrängung はフロイトが固着 Fixierung と呼ぶもののなかに基盤がある。フロイトは、欲動の居残り(欲動の置き残し arrêt de la pulsion)として、固着を叙述した。通常の発達とは対照的に、或る欲動は居残る une pulsion reste en arrière。そして制止inhibitionされる。フロイトが「固着」と呼ぶものは、そのテキストに「欲動の固着 une fixation de pulsion」として明瞭に表現されている。リビドー発達の、ある点もしくは多数の点における固着である。Fixation à un certain point ou à une multiplicité de points du développement de la libido(ジャック=アラン・ミレール、2011, L'être et l'un、IX. Direction de la cure)
精神分析における主要な現実界の到来 l'avènement du réel majeur は、固着としての症状 Le symptôme, comme fixion・シニフィアンと享楽の結合 coalescence de signifant et de jouissance としての症状である。…現実界の到来は、文字-固着 lettre-fixion、文字-非意味の享楽 lettre a-sémantique, jouie である。(コレット・ソレール、"Avènements du réel" Colette Soler, 2017年)

ラカンの症状形成図は次のようになる。






私は…欲動Triebを、享楽の漂流 la dérive de la jouissance と翻訳する。(ラカン、S20、08 Mai 1973)

あるいは、《われわれの享楽のさまよい égarement de notre jouissance》(ラカン、Télévision 、Autres écrits, p.534)

結局、享楽のさまよいとは、「享楽の喪失」による漂流なのである。


⋯⋯⋯⋯

フロイト・ラカンの考え方を最も簡潔に図示すれば、こうなる。






穴とは「穴ウマ(troumatisme =トラウマ)」(S21、19 Février 1974)である。

「トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma」と「反復強迫 Wiederholungszwang」は…絶え間ない同一の傾向 ständige Tendenzen desselbenをもっており、「不変の個性刻印 unwandelbare Charakterzüge」 と呼びうる。(フロイト『モーセと一神教』1939年)

このトラウマの穴埋めを妄想あるいは幻想と呼ぶ、《幻想的とは妄想的のことである》(ミレール 、2008)。

「人はみな妄想する」の臨床の彼岸には、「人はみなトラウマ化されている」がある。au-delà de la clinique, « Tout le monde est fou » tout le monde est traumatisé (ジャック=アラン・ミレール J.-A. Miller, dans «Vie de Lacan»,2011)

妄想とはトラウマの治療の試みである。

病理的生産物と思われている妄想形成は、実際は、回復の試み・再構成である。Was wir für die Krankheitsproduktion halten, die Wahnbildung, ist in Wirklichkeit der Heilungsversuch, die Rekonstruktion. (フロイト、シュレーバー症例 「自伝的に記述されたパラノイア(妄想性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察」1911)

そして心的なものである欲望とは、身体的なものである欲動の「心的被覆 psychischen Umkleidungen」(フロイト『マゾヒズムの経済的問題』1924)、あるいは《 l'enveloppe formelle du symptôme 症状の形式的封筒 》(ラカン、E66、1966)である。

欲動 Trieb は、心的なもの Seelischem と身体的なもの Somatischem との「境界概念 Grenzbegriff」である。(フロイト『欲動および欲動の運命』1915年)
欲動 Triebeは、心的生 Seelenleben の上に課される身体的要求 körperlichen Anforderungen を表す。(フロイト『精神分析概説』死後出版、1940年)


ラカンの定義においては、欲望とは身体的なものに対する心的防衛である。

欲望は享楽に対する防衛である le désir est défense contre la jouissance (Jacques-Alain Miller L'économie de la jouissance、2011)
ラカンは、享楽によって身体を定義する définir le corps par la jouissance ようになった。(ジャック=アラン・ミレール 、 L'Être et l 'Un - Année 2011 、25/05/2011)

ラカン派でしばしば使用される「防衛」という語は、実は「抑圧」という語に起源がある。

私は後に(『防衛―神経精神病』1894年で使用した)「防衛過程 Abwehrvorganges」概念のかわりに、「抑圧 Verdrängung」概念へと置き換えたが、この両者の関係ははっきりしない。現在私はこの「防衛Abwehr」という古い概念をまた使用しなおすことが、たしかに利益をもたらすと考える。

…この概念は、自我が葛藤にさいして役立てるすべての技術を総称している。抑圧はこの防衛手段のあるもの、つまり、われわれの研究方向の関係から、最初に分かった防衛手段の名称である。(フロイト『制止、症状、不安』最終章、1926 年)


上図をボロメオの環で示せば、次の通り。






症状はすべて不安を避けるために形成される。(フロイト 『制止、不安、症状』第9章)

すなわち、症状はすべて「穴=トラウマ」を避けるために形成されるのである。


-φ の上の対象a(a/-φ)は、穴 trou と穴埋め bouchon(コルク栓)の結合を理解するための最も基本的方法である。petit a sur moins phi…c'est la façon la plus élémentaire de d'un trou et d'un bouchon(ジャック=アラン・ミレール 、Première séance du Cours 9/2/2011)
Ⱥという穴 le trou de A barré …Ⱥの意味は、Aは存在しない A n'existe pas、Aは非一貫的 n'est pas consistant、Aは完全ではない A n'est pas complet 、すなわちAは欠如を含んでいる、ゆえにAは欲望の場処である A est le lieu d'un désir ということである。(Une lecture du Séminaire D’un Autre à l’autre par Jacques-Alain Miller, 2007)

ここまで見てきたようにȺとは(-J)である(斜線を引かれた Jouissance)。


ここで、ラカンの「不安」セミネール10から、一つの図を掲げよう(13 Mars 1963)。




ーー難解な図であり、この図自体の注釈は割愛するが、この図が掲げられた同じ日、ラカンはこう言っている。

愛だけが、享楽を欲望へと身を落とさせうる(腰をかがめさせうる condescendre )。Seul l'amour permet à la jouissance de condescendre au désir (ラカン, S10, 13 Mars 1963)

ミレールの注釈はこうである。

もし私がラカンのこのアフォリズムを言い換えるなら、こう言うだろう、「不安だけが、享楽を「欲望の原因としての対象」 objet cause du désir へと移行させる seule l'angoisse transforme la jouissance en objet cause du désir」 (ミレール 、Introduction à la lecture du Séminaire L'angoisse de Jacques Lacan, 2004)


⋯⋯⋯⋯

※付記

上にミレールが言っている「欲望の原因」とは、ラカンがボロメオの環の中心にある「a」を指し示したものであり、ミレールの注釈に則れば、「a」は(厳密には)次のような形のどれかで記されるべきなのだろう。





ラカンはボロメオの環の中心の a を《欲望の原因 cause du désir》(S23、1976)とする以外に、《剰余享楽 le plus-de-jouir》( La troisième、1974)ともしている。

このle plus-de-jouirには、残余の享楽の意味以外に、「もはや享楽は全くない « plus du tout » de jouissance」という意味があり、ボロメオ結びの中心にある a は、事実上、享楽の喪失(原喪失・原去勢 (- φ) [le moins-phi])である。ミレールが (- J) 、あるいは「享楽の控除 soustraction de jouissance」、ソレールが le moins-de-jouir とするものと等価として捉えうる。かつまた穴Ⱥであるのは、ラカン自身が示している。 

対象aは、大他者自体の水準において示される穴である。l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel (ラカン、S18, 27 Novembre 1968)

この中心の a が《すべての享楽にとっての条件 aucune jouissance, sa condition》(ラカン、三人目の女、1974)なのである。

したがって先ほど示した図の下段が、ボロメオの環の中心にある「a」の実質上の価値であるとわたくしは捉えて、ここでの記述をした。