・・・というわけで(「象徴界は妄想である」)、想像界の復権だな、
人は、現実界のイデアを自ら得るために、想像界を使う On recourt donc à l'imaginaire pour se faire une idée du réel 。あなた方は、« イデアを自ら得る se faire une idée »と書かねばならない。私は、《球面 sphère 》としての想像界と書く。想像界が意味するものを明瞭に理解するためには、こうせねばならない。(ラカン、S24 16 Novembre 1976)
ようは、真の穴 vrai trou の場に位置するだろう、骨対象a[osbjet a]がキモだな。
骨(骨象)、文字対象a [« osbjet », la lettre petit a]( Lacan, S23、11 Mai 1976)
この骨象は、いままでほとんど誰も取り上げる人がいなかったのだが、ようやく2018年の主流ラカン派会議の議題として取り上げている人がいる(参照:Samuel Basz、L'objet (a), semblant et « osbjet ».2018)。
もっとも Samuel Basz は、骨象の定義として空気としての対象a [l’air comme objet (a)]のみを強調していて、わたくしは、そこまで限定しなくてもいいんじゃないか、と考えている。
なにはともあれ、これ自体も(Samuel Baszによれば)ミレールが直近のセミネールで取り上げたらしいが、その内容は見ていない。
対象a の二重の機能、「見せかけ semblantとしての対象a」と「骨象 osbjet としての対象a 」double fonction de l’objet (a) : comme semblant et comme le nomme Lacan« osbjet » dans la dernière leçon du Séminaire XXIII.
これは1993年のミレール文とともに読むことができる。
対象aは、現実界であると言いうるが、しかしまた見せかけでもある l'objet petit a, bien que l'on puisse dire qu'il est réel, est un semblant。対象aは、フェティッシュとしての見せかけ semblant comme le fétiche でもある。(ジャック=アラン・ミレール 、la Logique de la cure 、1993年)
骨象aとは、「身体の上に突き刺さった骨」だよ、たぶんね。それが文字固着 lettre-fixion だな、《骨(骨象)、文字対象a [« osbjet », la lettre petit a]》( S23)
精神分析における主要な現実界の到来 l'avènement du réel majeur は、固着としての症状 Le symptôme, comme fixion・シニフィアンと享楽の結合 coalescence de signifant et de jouissance としての症状である。…現実界の到来は、文字-固着 lettre-fixion、文字-非意味の享楽 lettre a-sémantique, jouie である。(コレット・ソレール、"Avènements du réel" Colette Soler, 2017年)
後年のラカンは「文字理論」を展開させた。この文字 lettre とは、「固着 Fixierung」、あるいは「身体の上への刻印 inscription」を理解するラカンなりの方法である。(ポール・バーハウ『ジェンダーの彼岸』2001年)
「一」Unと「享楽」jouissanceとの結びつき connexion が分析的経験の基盤であると私は考えている。そしてそれはまさにフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである。⋯⋯
抑圧 Verdrängung はフロイトが固着 Fixierung と呼ぶもののなかに基盤がある。フロイトは、欲動の居残り(欲動の置き残し arrêt de la pulsion)として、固着を叙述した。通常の発達とは対照的に、或る欲動は居残る une pulsion reste en arrière。そして制止inhibitionされる。フロイトが「固着」と呼ぶものは、そのテキストに「欲動の固着 une fixation de pulsion」として明瞭に表現されている。リビドー発達の、ある点もしくは多数の点における固着である。Fixation à un certain point ou à une multiplicité de points du développement de la libido(ジャック=アラン・ミレール、L'être et l'un、IX. Direction de la cure、2011年)
ーーこの三人の発言でいいんじゃないかな、
とすれば、ボロメオの環の真ん中の「a」はじゃあなんだ? ということになる。
これはすこしまえにも記したけれど、ラカンは中心の a を、《剰余享楽 le plus-de-jouir》(1974)、《欲望の原因 cause du désir》(1976)としているだけ。でもこの le plus-de-jouir には、残余の享楽の意味以外に、「もはや享楽は全くない « plus du tout » de jouissance」という意味がある。したがってボロメオの環の中心にある a は、事実上、享楽の喪失 perte de jouissance(原喪失・原去勢 (- φ) [le moins-phi])だ。
これは、ミレールが (- J) 、あるいは「享楽の控除 soustraction de jouissance」、ソレールが le moins-de-jouir 等と表現しているものと等価として捉えうる。
(- φ) [le moins-phi] は去勢 castration を意味する。そして去勢とは、「享楽の控除 une soustraction de jouissance」(- J) を表すフロイト用語である。(ジャック=アラン・ミレール Ordinary Psychosis Revisited 、2008)
現実界のなかの控除の効果が、対象aである。effet de soustraction dans le réel, qui est l'objet a. (コレット・ソレール COLETTE SOLER, LES AFFECTS LACANIENS、2012)
そしてこの中心の a が《すべての享楽にとっての条件 aucune jouissance, sa condition》(ラカン、三人目の女、1974)である。
ようするにラカンによる最後の「享楽の定義」がキモだな。
ラカンには《異者としての身体 un corps qui nous est étranger 》(S23, 11 Mai 1976)という表現があるけど、これも結局、「異物 Fremdkörper 」の言い換えであり、骨象a[osbjet a]のことじゃないだろうか?
ようするにラカンによる最後の「享楽の定義」がキモだな。
享楽は去勢である la jouissance est la castration。人はみなそれを知っている Tout le monde le sait。それはまったく明白ことだ c'est tout à fait évident 。…
問いはーー私はあたかも曖昧さなしで「去勢」という語を使ったがーー、去勢には疑いもなく、色々な種類があることだ il y a incontestablement plusieurs sortes de castration。(ラカン、 Jacques Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)
で、話をもどせば、骨象aとはフロイトの異物でありトラウマへの固着だろうな。
中井久夫の、あまりにも見事で簡潔明瞭な定義をくりかえそう(参照:「世界のあのつぶやき」)
「トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma」と「反復強迫 Wiederholungszwang」は…絶え間ない同一の傾向 ständige Tendenzen desselbenをもっており、「不変の個性刻印 unwandelbare Charakterzüge」 と呼びうる。(フロイト『モーセと一神教』1939年)
PTSDに定義されている外傷性記憶……それは必ずしもマイナスの記憶とは限らない。非常に激しい心の動きを伴う記憶は、喜ばしいものであっても f 記憶(フラッシュバック的記憶)の型をとると私は思う。しかし「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」の意味にとれば外傷的といってよいかもしれない。(中井久夫「記憶について」1996年)
外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。(中井久夫「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』所収 P.53)
トラウマ、ないしその記憶は、異物 Fremdkörper ーー体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子として効果を持つ異物のように作用する。(フロイト『ヒステリー研究』予備報告、1893年)
たえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状 das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen(フロイト『制止、症状、不安』1926年)