このブログを検索

2018年11月19日月曜日

象徴界は妄想である

いやあきみ、ボクはすでに何度もくりかえしているけどな、次のような図を示して。




サントームΣは無視して、ボロメオの環の重なり具合を塗こんだら、次の通り。





もっともラカンはサントームの図を示したあとも、元の形の図を提示している。要するに象徴界が上に被さった図を。


(Lacan, S23, 11 Mai 1976)


その後もあれやこれやと模索しているがーー何人かの数学者の援助(?)のもとにーー、最終的な結論は、三界はバラバラだということだ。

ボロメオ結びの隠喩は、最もシンプルな状態で、不適切だ。あれは隠喩の乱用 abus de métaphore だ。というのは、実際は、想像界・象徴界・現実界を支えるものなど何もない il n’y a pas de chose qui supporte l’imaginaire, le symbolique et le réel から。私が言っていることの本質は、性関係はない il n’y ait pas de rapport sexuel ということだ。性関係はない。それは、想像界・象徴界・現実界があるせいだ。これは、私が敢えて言おうとしなかったことだ。が、それにもかかわらず、言ったよ。はっきりしている、私が間違っていたことは。しかし、私は自らそこにすべり落ちるに任せていた。困ったもんだ、困ったどころじゃない、とうてい正当化しえない。これが今日、事態がいかに見えるかということだ。きみたちに告白するよ。(ラカン、S26, La topologie et le temps 、9 janvier 1979、[原文])

ようするに次のミレールの結論だな。

私は言いうる、ラカンはその最後の教えで、すべての象徴秩序は妄想だと言うことに近づいたと。… ラカンは1978年に言った、「人はみな狂っている、すなわち人はみな妄想する tout le monde est fou, c'est-à-dire, délirant」と。…あなたがた自身の世界は妄想的である。我々は言う、幻想的と。しかし幻想的とは妄想的である。(ジャック=アラン・ミレール 、Ordinary psychosis revisited、2009)
象徴秩序 l'ordre symbolique が、現実界を統整しrégulant le réel 、それに法を課す imposant sa loi「知 savoir」と思われていた限り、臨床は、神経症と精神病とのあいだの対立によって支配された。象徴秩序は今、現実界を統治せず ne commande pas au réel、むしろ現実界に従属するsubordonné「見せかけのシステム un système de semblants」として認知されている。象徴秩序は、「性関係はない」という現実界 réel du rapport sexuel qu'il n'y a pas に応答するシステムである。(ミレール「無意識と話す身体 L'inconscient et le corps」2014)


ミレールの言っていることは、われわれの生は性的非関係のトラウマ埋めだということだ。

穴、それは非関係によって構成されている、性の構成的非関係によって。un trou, celui constitué par le non-rapport, le non-rapport constitutif du sexuel, (Lacan, S22, 17 Décembre 1974)
私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する。c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)
我々はみな現実界のなかの穴を塞ぐ(穴埋めする)ために何かを発明する。現実界には 「性関係はない」、 それが「穴ウマ(troumatisme =トラウマ)」をつくる。…tous, nous inventons un truc pour combler le trou dans le Réel. Là où il n'y a pas de rapport sexuel, ça fait « troumatisme ».(ラカン、S21、19 Février 1974)

したがってミレールは簡潔に次のように言うわけだ。

「人はみな妄想する」の臨床の彼岸には、「人はみなトラウマ化されている」がある。au-delà de la clinique, « Tout le monde est fou » tout le monde est traumatisé (ジャック=アラン・ミレール J.-A. Miller, dans «Vie de Lacan»,2011)


ほかにも例えば、次の二文を読めば、「象徴界は存在しない」と言っていることは明らかだ。

象徴界は言語である。Le Symbolique, c'est le langage(ラカン、S 25, 10 Janvier 1978)
私が「メタランゲージはない」と言ったとき、「言語は存在しない」と言うためである。《ララング》と呼ばれる言語の多種多様な支えがあるだけである。

il n'y a pas de métalangage, c'est pour dire que le langage, ça n'existe pas. Il n'y a que des supports multiples du langage qui s'appellent « lalangue » (ラカン、S25, 15 Novembre 1977)

ーーすなわち象徴界は妄想である。

で、いいんじゃないか? キミもボクも妄想者だよ、言語を使用してるからな。ようするに啓蒙されちまってんだ。

私は相対的にはタワケ débile mental だよ…言わせてもらえば、全世界の連中と同様にタワケだな。というのは、たぶん私は、いささか啓蒙されている une petite lumière からな。(ラカン、S24, 17 Mai 1977)


ミレールはしばしば半可通のラカン派によって批判されるがね、そうではなくーーこれも何度かくりかえしているがーー、最晩年のラカン自身を批判しなくちゃな、批判するんだったらな。