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2019年1月17日木曜日

有名病

ああ、坂本龍一は、1952年1月17日生れなんだな。1955年だと勘違いしてた。ボクと誕生日は一緒なのは前から知ってたけど、6年上なんだ。いずれにせよ、同世代だよ。

だいたい1月17日前後生れはいい男がそろってるさ、中井久夫も1月16日だしな。

1995年1月17日午前5時46分から

最初の一撃は神の振ったサイコロであった。多くの死は最初の五秒間で起こった圧死だという。(……)私も眠っていた。私には長いインフルエンザから回復した日であった。前日は私の六一歳の誕生日であり、たまたまあるフランスの詩人の詩集を全訳して、私なりに長年の課題を果たした日でもあった。……(中井久夫「災害がほんとうに襲った時」)
一九九五年一月十六日は私の六十一歳の誕生日である。「ナルシス断章」は四十数年前、私が結核休学中に幼い翻訳を試みたヴァレリー最初の詩篇であった。私は再びこの詩に取り組んでいた。「今さらナルシスでもあるまい」と自嘲しながら四十数年前の踏みならし道をわりとすらすら通っていった。冒頭の一行が難所である。「いかにきみの輝くことよ。私の走る、その究極の終点よ」というほどの意味で、泉への呼びかけであるが、四〇年以上これ以上の訳を思いつかなかったと、「訳詩のミューズ」という目立たないミューズに謝って、えいやっと「水光る。わが疾走はついにここに終わる」とした。最後の一行を訳しおえて、睡眠薬の力を借りて眠った三時間後に地震がやってきた。(中井久夫「ヴァレリーと私」)


坂本龍一に対しては羨ましいのはもちろんあるけど、有名病という不幸はあるんじゃないかな。

「さう。さうです。新聞社などが無責任に矢鱈に騒ぎ立て、ひつぱり出して講演をさせたり何かするので、せつかくの篤農家も妙な男になつてしまふのです。有名になつてしまふと、駄目になります。」「まつたくですね。」私はそれにも同感だつた。「男つて、あはれなものですからね。名声には、もろいものです。ジヤアナリズムなんて、もとをただせば、アメリカあたりの資本家の発明したもので、いい加減なものですからね。毒薬ですよ。有名になつたとたんに、たいてい腑抜けになつてゐますからね。」私は、へんなところで自分の一身上の鬱憤をはらした。こんな不平家は、しかし、さうは言つても、内心では有名になりたがつてゐるといふやうな傾向があるから、注意を要する。(太宰治『津軽』)
公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼は己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。そしてついには栄光を求めて演じられるこうしたぶざまな演技を、自らを他に類例のない唯一無二の存在と感じる喜ぴ――大いなる個人的快楽―――になぞらえるにいたるのだ。(ヴァレリー『テスト氏との一夜』)

ほんとに彼はあんな曲作りたいんだろうか、って感じることがよくあるよ。

でも有名になるのはいいに決まってるさ、多くの女とすぐヤレルからな。それはうらやましくてたまんねえな。いや、たまんなかったな、と言うべきかも。

で、なんの話かってのは、ほんとは、「いやあこの時期はいやだな」ってことだ、「記念日現象」で。