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2017年1月7日土曜日

記念日現象

いやあこの時期はいやだね
いやだっていうのかな、これを
眩暈がするんだよ
過去が押し寄せるってのかな

わたくしは被災者ではないのだけれど
(わけありで被災地を訪れしばらく滞在し)
あの日からの数週のあいだが
日本を出る決め手になった
原因といえばいえるから

その人にとって重要な事件が1周年を迎えるときには、しばしば「記念日現象」というものが起こります。悲しいこともうれしいことも、あらゆる追憶を呼び覚まされることで、空気の肌触りとか温度とか、そういうものが総合的に引き起こすとも言われています。

阪神大震災から1年を迎えるころ、私は新聞に「記念日現象」を警告する文章を書きました。実際に、当時委託していた24時間態勢の電話相談の窓口には、1月17日前後の数日間に集中して百数十件の電話がありました。

人間の身体はさまざまな形で周期づけられています。私自身も脳梗塞の発作と言える目まいを震災から1年たったころに起こしています。そのときは震災1年との関係を意識しておらず、その年の秋に脳梗塞を起こすまで忘れていた。当時の記録を後から読んで、思い出したんです。

また、このころは眠りが浅くなり、就寝途中で目覚めることも多くなりました。ふと時計を見ると(阪神大震災の発生時刻の)5時46分だったことが何度かあり、思わず笑いだしてしまったこともある。これも「記念日現象」なのかもしれません。こうしてみると、時間はらせん状に過ぎてゆくという面があるように思います。しかし普段はなかなか気づかれない。(中井久夫「歳月とこころ」
……新しい災害は過去の災害によるPTSDの症状を呼び覚ます。愛知県の義援金が他府県を抜いて格段に多い事実は、伊勢湾台風のPTSDが呼び覚まされたためではないだろうか。名古屋に赴いた時、それは三月の末であったが、震災が昨日のことであったかのように、盛んに義援金の募集が行われ、『中日新聞』に載る額も、小企業で一千万円、個人で十万円、百万円と「半端じゃなかった」。人々は「名古屋人はケチといわれているけれど、出す時は出すんだ」と胸を張って、伊勢湾台風との関連は意識していないようであった。しかし、ひとごとではないという気分が人々の間にあった。

老人たちは戦争の記憶を新たにした。戦後五〇年という「記念日現象」と重なって、まだ済んでいない精神的債務への態度が何か変わってきたと私は思う。

神戸人は伊勢湾台風の時は救援に熱心ではなかった。しかし、サハリン地震の義援金募集は、勤務先でも地域でも早く、また盛んであった。新潟の水害の知らせを聞いてボランティアがすぐ出発した。思わず微笑するほどであった。

このように、PTSDは、障害としてマイナスの意味だけを帯びるのではない。「ひとごとではない」という連帯の意識を呼び覚ます力にもなる。実際、関東大震災の時には被災者は全国に散った。片道切符をもらって東北本線に乗るか、軍艦で清水港、時には大阪まで運ばれるか、バラックを自力で建てるしかなかった。東京の人口は相当年数、大阪を下回ったのである。今回の震災では、全国が神戸にやってきた。さらには海外さえも。再び鮮やかになった過去の心の傷に導かれて被災地に関与したという面がないであろうか。誰か心の傷がない人があるだろうか。まして、この二十世紀においてーー。この支持が孤立感をどれだけ和らげたことか。PTSDが予想よりも軽く経過しつつあるのではないかという多くの精神科医の観察は、もし真実ならばこの支持なしにはありえなかったことである。

個人のいのちに対しても、PTSDは決してマイナスばかりではない。最初の現実感喪失、呆然状態でさえ、事態を見極めてから動くゆとりを与えるものと考えられないだろうか。気分の高揚と過剰な活動なしでは、修羅場を切り抜けられるだろうか。ただ、これはもっと自然と近かった時代、おそらく動物としての危機回避反応であろう。地震によって大被害が起こるのは都市ならばこそである。たまたま私は福井大震災を阪神間の畑の中で体験した。結構な揺れであったが、要するにしばらく地面とともに揺れていれば済んだのであった。

PTSDは、精神医学の新奇な一症候群というだけではない。統合失調症にせよ、躁鬱病にせよ、神経症にせよ、これらは、精神の内科的な病いである。これに対して、PTSDは、外傷後ストレス障害という名のとおり、心に負った傷という精神の外科的な障害である。今回の震災が日本の精神医学にもたらしたものといえば、心の外科的障害への開眼であろう。

精神障害が誰にでも起こりうるという、当たり前の事実は、一般公衆にも、精神科医にも、この震災によってはじめてはらわたにしみて認識されたのではないか。全国から集まった精神科医たちも、現場にあって多くのことを学んだ。主に遺伝素因によって精神障害が起こると考えていた研究者が、状況によって起こることを目の当たりにして素朴な驚きを語った。(中井久夫「阪神大震災八ヵ月に入る」『復興の道なかばで  阪神淡路大震災一年の記録』所収)