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2017年1月8日日曜日

てめえたちはな、文学を読んだことなんざ一度だつてねえんだぞ

「日本の読書会級だなんて自分で思つてるんだろう?しかしてめえたちはな、漱石の文学を読んだことなんざ一度だつてねえんだぞ。てめえたちにやそもそも漱石なんか読めやしねえんだ。漱石つてやつあ暗いやつだつたんだ。陰気で気違いみてえに暗かつたんだ。」(中野重治「小説の書けぬ小説家」)

ーーそうかね

私には私の心を腐蝕するような不愉快な塊が常にあった。(夏目漱石『硝子戸の中』)

修善寺の大患のあとだからな

ある日T君が来たから、この話をして、癒ったとも云えず、癒らないとも云えず、何と答えて好いか分らないと語ったら、T君はすぐ私にこんな返事をした。

「そりゃ癒ったとは云われませんね。そう時々再発するようじゃ。まあもとの病気の継続なんでしょう」 

この継続という言葉を聞いた時、私は好い事を教えられたような気がした。それから以後は、「どうかこうか生きています」という挨拶をやめて、「病気はまだ継続中です」と改ためた。そうしてその継続の意味を説明する場合には、必ず欧洲の大乱を引合に出した。

「私はちょうど独乙が聯合軍と戦争をしているように、病気と戦争をしているのです。今こうやってあなたと対坐していられるのは、天下が太平になったからではないので、塹壕の中に這入って、病気と睨めっくらをしているからです。私の身体は乱世です。いつどんな変が起らないとも限りません」

或人は私の説明を聞いて、面白そうにははと笑った。或人は黙っていた。また或人は気の毒らしい顔をした。

客の帰ったあとで私はまた考えた。――継続中のものはおそらく私の病気ばかりではないだろう。私の説明を聞いて、笑談だと思って笑う人、解らないで黙っている人、同情の念に駆られて気の毒らしい顔をする人、――すべてこれらの人の心の奥には、私の知らない、また自分達さえ気のつかない、継続中のものがいくらでも潜んでいるのではなかろうか。もし彼らの胸に響くような大きな音で、それが一度に破裂したら、彼らははたしてどう思うだろう。彼らの記憶はその時もはや彼らに向って何物をも語らないだろう。過去の自覚はとくに消えてしまっているだろう。今と昔とまたその昔の間に何らの因果を認める事のできない彼らは、そういう結果に陥った時、何と自分を解釈して見る気だろう。所詮我々は自分で夢の間に製造した爆裂弾を、思い思いに抱きながら、一人残らず、死という遠い所へ、談笑しつつ歩いて行くのではなかろうか。ただどんなものを抱いているのか他も知らず自分も知らないので、仕合せなんだろう。(漱石『硝子戸の中』)

死にかけたら暗くもなるさ
ついでに過去を思いだのさ、
最も不愉快だった過去を。

実父から見ても養父から見ても、彼は人間ではなかった。むしろ物品であった。ただ実父が我楽多として彼を取り扱ったのに対して、養父には今に何かの役に立てて遣ろうという目算があるだけであった。(『道草』)

自伝とか自伝的随筆ってのは疑わなくちゃな、常に。《自分について多くを語ることは、自分を隠す一つの手段でもありうる。》(ニーチェ『善悪の彼岸』)

漱石は幼児に養子にやられ、ある年齢まで養父母を本当の両親と思って育っている。彼は「とりかえ」られたのである。漱石にとって、親子関係はけっして自然ではなく、とりかえ可能なものにほかならなかった。ひとがもし自らの血統〔アイデンティティ〕に充足するならば、それはそこにある残酷なたわむれをみないことになる。しかし、漱石の疑問は、たとえそうだとしても、なぜ自分はここにいてあそこにいないかというところにあった。すでにとりかえ不可能なものとして存在するからだ。おそらく、こうした疑問の上に、彼の創作活動がある。(柄谷行人『日本近代文学の起源』)

最初期からそうだったんだろうか、
《なぜ自分はここにいてあそこにいないか》ってのは。

二個の者がsame spaceヲoccupyスル訳には行かぬ。甲が乙を追い払うか、乙が甲をはき除ける二法あるのみぢや。甲でも乙でも構はぬ強い方が勝つのぢや。理も非も入らぬ。えらい方が勝つのぢや。上品も下品も入らぬ図々敷方が勝つのぢや。賢も不肖も入らぬ。人を馬鹿にする方が勝つのぢや。礼も無礼も入らぬ。鉄面皮なのが勝つのじや。人情も冷酷もない動かぬのが勝つのぢや。文明の道具は皆己を節する器械ぢや。自らを抑える道具ぢや、我を縮める工夫ぢや。人を傷つけぬ為め自己の体に油を塗りつける[の]ぢや。凡て消極的ぢや。此文明的な消極な道によつては人に勝てる訳はない。― 夫だから善人は必ず負ける。君子は必ず負ける。徳義心のあるものは必ず負ける。清廉の士は必ず負ける。醜を忌み悪を避ける者は必ず負ける。礼儀作法、人倫五常を重んずるものは必ず負ける。勝つと勝たぬとは善悪の問題ではない ―powerデある ―willである。(夏目漱石「断片」 明治38−39年)

そして最晩年までそうだったんだろうか?

どうしてあの女はあすこへ嫁に行ったのだろう。それは自分で行こうと思ったから行ったに違ない。しかしどうしてもあすこへ嫁に行くはずではなかったのに。そうしてこのおれはまたどうしてあの女と結婚したのだろう。それもおれが貰おうと思ったからこそ結婚が成立したに違ない。しかしおれはいまだかつてあの女を貰おうとは思っていなかったのに。(『明暗』)

最近日本で流行ってるらしいアドラー心理学の信奉者たちってのは、おおむね、《文学を読んだことなんざ一度だつてねえんだぞ》って連中だろうがね

外傷的事件の強度も、内部に維持されている外傷性記憶の強度もある程度以下であれば「馴れ」が生じ「忘却」が訪れる。あるいは、都合のよいような改変さえ生じる。私たちはそれがあればこそ、日々降り注ぐ小さな傷に耐えて生きてゆく。ただ、そういうものが人格を形成する上で影響がないとはいえない。

しかし、ある臨界線以上の強度の事件あるいはその記憶は強度が変わらない。情況によっては逆耐性さえ生じうる。すなわち、暴露されるごとに心的装置は脆弱となり、傷はますます深く、こじれる。素質による程度の差はあるかもしれないが、どのような人でも、残虐ないじめや拷問、反復する性虐待を受ければ外傷的記憶が生じる。また、外傷を受けつづけた人、外傷性記憶を長く持ちつづけた人の後遺症は、心が痩せ(貧困化)ひずみ(歪曲)いじけ(萎縮)ることである。これをほどくことが治療戦略の最終目標である。 (中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』所収 P.109)
三月十一日の午後三時前のあの時刻、机に向かっていましたが、坐ったまま揺れの大きさを感じ測るうちに、耐えられる限界を超えかける瞬間があり、空襲の時の敵弾の落下の切迫が感受の限界を超えかけた境を思いました。(古井由吉「永劫回帰「新潮」2012年4月号」)

こういった経験もないんだろうな

経験された無力の(寄る辺なき)状況 Situation von Hilflosigkeit を外傷的 traumatische 状況と呼ぶ (フロイト『制止、症状、不安』旧訳 p.372)

そして、《現在の状況(無力の状況)が昔に経験した外傷体験を思いださせる。》(同上)

…………

この人たち(谷崎潤一郎、永井荷風、志賀直哉、等)ををさきの二人(漱石、鴎外) の人に比べてみると、大きい小さい、うまい・まずいということとは別に、今日のこの人たちが、すくなくともあの二人と同じ意味で偉大だとは義理にもいえないと思うということが自然に出てくる。(中野重治「漱石と鴎外との位置と役割」) 
……世間には、漱石は通俗であつても鴎外は通俗でないといつたふうな俗見が案外に通用している傾きがある。実地には、漱石や二葉亭はなかなかに通俗ではなかつた。鴎外が案外に通俗であつた。(中野重治「鴎外その側面」より)

 わたくしの場合、荷風好きなのはどうしたわけなんだろ?
漱石読んでると鬱陶しくなるんだよな、ときに。

鴎外は鼻を抓みたくなるような作品はたしかにあるけれど
荷風は断然鴎外派なんだよな

いやあ人の好みってのは分からんね

あの夏は暑さがはげしかった、と何故かいつもそうおもってしまうのは、その夏の間、しょっちゅう馳け出すような気持だったのを、自分で先ずそのように集約してのことらしい。(佐多稲子『夏の栞』)

『夏の栞』ってのはなんて素敵な題名なんだろ、吉岡実の『夏の宴』と同じぐらい。

病室は広い窓があって明るかったが、その光線を避けて病人の顔の周囲には、いつものように紐を張ってタオルが掛けてある。

その紐の一端が何かのはずみで解け、中野の顔の上に垂れた。中野の顔に当るのでもなかったが、真上に垂れ下がった紐だから、私は手をのばしてそれを上にあげた。眠っているかと見えた中野にその気配が感じられたらしい。

「稲子さんかァ」

と、弱く、ゆっくりと中野は声を発した。私の返事するまもなく、原さんがそれをとらえ、ぴしりと聞える調子で云った。

「あら、稲子さんってこと、どうしてわかるんだろう」

それは以前に原さんがそう云ったことのある言葉とまったく同じ文句であった。中野の脚の冷めたいのを、さわってみて、と原さんが云い、私がそれに従ったとき、それが私だというのに中野が気づいた。そのとき原さんは今と同じことを云ったのである。原さんの、どうして、というのに私は答えようがない。私にもそれはわからないのだ。私としては、病人の神経の、弱っているようでいてどこかに残る敏感さか、とおもうしかなかった。今も、中野は原さんのそう云ったのを聞き取った。原さんの言葉に対して中野が答えたのである。

「ああいうひとは、ほかに、いないもの」

そう聞いた一瞬、私は竦んだ。それは私の胸で光りを発して聞えた。(佐多稲子『夏の栞』)