2019年5月7日火曜日

文化共同体病理学のすすめ

フロイトは『文化の中の居心地の悪さ』(旧邦題『文化への不満』)で「文化共同体病理学」のすすめをしている。

…われわれとしては、いつの日か、この種の文化共同体病理学 Pathologie der kulturellen Gemeinschaften という冒険をあえて試みる人が現われることを期待せずにはいられない。

(……)私の見るところ、人類の宿命的課題は、人間の攻撃欲動ならびに自己破壊欲動Aggressions- und Selbstvernichtungstrieb による共同生活の妨害を文化の発展によって抑えうるか、またどの程度まで抑えうるかだと思われる。この点、現代という時代こそは特別興味のある時代であろう。いまや人類は、自然力の征服の点で大きな進歩をとげ、自然力の助けを借りればたがいに最後の一人まで殺し合うことが容易である。現代人の焦燥・不幸・不安のかなりの部分は、われわれがこのことを知っていることから生じている。(フロイト『文化の中の居心地の悪さ』、1930年)


ラカン派ではしばしば指摘されることだが、ラカンには二つの「文化の中の居心地の悪さ」がある。

『精神分析の裏側』(セミネール17、1969-1970)で、ラカンの『文化の中の居心地の悪さ』の新しい版の暗示的な implicite 提示がある。他方、『精神分析の倫理』(セミネール7、1959-1960)では、より明示的な explicite『文化の中の居心地の悪さ』の提示があった。(ジャック=アラン・ミレール 、Note sur la honte、2002年)


セミネール7にはこうある。

我々が生きている世界が囚われている動きは、欲望との関係における削除、犠牲、事実上、ある種のピューリタニズム puritanismeを意味する。(ラカン、S7、29 Juin 1960)

だが10年後のセミネール17は、寛容[permissivité]社会、禁止の禁止[l'interdit d'interdire]をめぐっており、《もはやどんな恥もない il n'y a plus de honte 》(S17, 17 Juin 1970)と言い放っている。

ラカン観点においては、この10年間のあいだに世界は変わった。《父の蒸発 évaporation du père 》(ラカン「父についての覚書 Note sur le Père」1968年)があったのである。


かつての《享楽の侵犯 la jouissance de la transgression》(S7, 30 Mars 1960)の時代から享楽の侵入の時代へ、と。

人は侵犯などしない!on ne transgresse rien ! …

享楽、それは侵犯ではない。むしろはるかに侵入である。Ce n'est pas ici transgression, mais bien plutôt irruption(ラカン、S17, 26 Novembre 1969)

かつての享楽の禁止の時代においては、バタイユ的な「侵犯」ーー「禁止」に対する「違反・侵犯」 (tansgression)としての、恥の共犯の感情を介して乗り越える「エロティスム」ーーやドゥルーズ的「倒錯」による制度の象徴的「宙吊り Suspens 」機能は効果があった。だがエディプスの斜陽の時代、享楽の侵入の時代においては、侵犯や倒錯概念はこよなきデフレがある。制度的父の名が崩壊してしまい猥褻な超自我が前面に露顕してしまったとき、その対抗としていかに侵犯や倒錯がありえよう? 

もっとも断っておかねばならないが、わたくしはバタイユについてはいまだ魅せられる箇所があるのを白状しておかねばならない。とはいえおおむね忘却してしまっているけれど。

エロチスムとは、死を賭するまでの生の讃歌ではないだろうか。(ジョルジュ・バタイユ『文学と悪』)

ーーいやあ実に美しい。これこそ真のエロスの定義、愛の定義である。

何ものかが私に書かせている。思うに、恐怖が、狂ってしまうことへの恐怖が、私を書く行為へと駆り立てている。(バタイユ『ニーチェについて』)

ーーいやあタマラン。書くとはこうでなくちゃいけない 。

さらにはヘーゲルの最も上質の部分がバタイユのなかにはあるのではなかったか・・・ワスレチマッタナーー、「忘れたって? 何よ! そんなもの、笑わせちゃいけないわ、だまそうとしたってだめなの」(プルースト変奏)。

……カンブルメール夫人が、「再読すべきだわ、ショーペンハウアーが音楽について述べていることを」といっているのを耳にはさむと、彼女ははげしい口調でこう言いながらその文句に私たちの注意をうながした「再・読とは傑作ねえ! 何よ! そんなもの、とんでもない、だまそうとしたってだめなの、私たちを」老アルボンはゲルマントの才気の形式の一つを認めてにっこりした。(プルースト「見出された時」)


話を戻せば1970年以降、対抗しなくてはならないのは、不可能な享楽を命令する前エディプス的超自我である。

エディプスの斜陽 déclin de l'Œdipe において、…超自我は言う、「享楽せよ Jouis ! と。(ラカン、 S18、16 Juin 1971)
超自我を除いて sauf le surmoiは、何ものも人を享楽へと強制しない Rien ne force personne à jouir。超自我は享楽の命令であるLe surmoi c'est l'impératif de la jouissance 「享楽せよ jouis!」と。(ラカン、S20、21 Novembre 1972)

ーーラカンは1959年の段階でも超自我の本来的の姿をすでに指摘している、《超自我 Surmoi…それは「猥褻かつ無慈悲な形象 figure obscène et féroce」である。》(ラカン、S7、18 Novembre 1959)。

つまるところ《父の名と超自我はコインの表裏である。 comme Lacan l'enseigne, que le Nom-du-Père et le surmoi sont les deux faces du même,》(ミレール、Théorie de Turin、2000)なのである。歴史的にみて父の名による猥褻の命令があったとすれば、それはその底にある超自我に常に既に支えられているからである。父の名は超自我の飼い馴らし機能をもつにもかかわらず、残滓が既に常にあるからである。






一神教社会ではない古代ギリシアは底部の超自我が裸のまま露顕していた時代である。

私は、ギリシャ人たちの最も強い本能 stärksten Instinkt、力への意志 Willen zur Macht を見てとり、彼らがこの「欲動の飼い馴らされていない暴力 unbändigen Gewalt dieses Triebs」に戦慄するのを見てとった。(ニーチェ「私が古人に負うところのもの Was ich den Alten verdanke」1889年)

上の文から読み取れるようにニーチェの「力への意志」とは事実上、死の欲動のことである。

力への意志 la volonté de puissanceは…至高の欲動 l'impulsion suprêmeのことではなかろうか?(クロソウスキー『ニーチェと悪循環』1969年)

ミレール派(フロイト大義派)のおそらくナンバースリーのポジションにある Pierre Gilles Guéguen は最近こう言っている。

タナトスとは超自我の別の名である。 Thanatos, which is another name for the superego (The Freudian superego and The Lacanian one. By Pierre Gilles Guéguen. 2018)


したがってギリシア文化においてフーコーのいう「自己の支配」や「克己」「節制」が強調されたのである。





ここで中井久夫による「文化共同体病理学」を掲げよう。

中井久夫)確かに1970年代を契機に何かが変わった。では、何が変わったのか。簡単に言ってしまうと、自罰的から他罰的、葛藤の内省から行動化、良心(あるいは超自我)から自己コントロール、responsibility(自己責任)からaccountability〔説明責任〕への重点の移行ではないか。(批評空間 2001Ⅲ-1 「共同討議」トラウマと解離(斎藤環/中井久夫/浅田彰)

中井久夫の使用する「超自我」という語は、ラカンの使う「超自我」とは異なる(もともとフロイトの超自我とはラカンの使う超自我の意味合いが強い)。

中井久夫の超自我は左項であり、ラカンの超自我は右項である。

母の名 Le Nom de Mère


上覆いのエディプス的父なる超自我が蒸発して、底部の前エディプス的母なる超自我(原超自我)の時代を1970年後のわれわれは生きている。

母なる超自我 Surmoi maternel…父なる超自我 Surmoi paternel の背後にこの母なる超自我 surmoi maternel がないだろうか? 神経症においての父なる超自我よりも、さらにいっそう要求し、さらにいっそう圧制的、さらにいっそう破壊的、さらにいっそう執着的な母なる超自我が。 (Lacan, S5, 15 Janvier 1958)
母なる超自我 surmoi maternel・太古の超自我 surmoi archaïque、この超自我は、メラニー・クラインが語る「原超自我 surmoi primordial」 の効果に結びついているものである。(Lacan, S.5, 02 Juillet 1958)


この前提で以下の中井久夫の「父なき世代」をめぐる文を読もう。事実、中井久夫は「父の名」と「超自我」を等置している。

「学園紛争は何であったか」ということは精神科医の間でひそかに論じられつづけてきた。1960年代から70年代にかけて、世界同時的に起こったということが、もっとも説明を要する点であった。フランス、アメリカ、日本、中国という、別個の社会において起こったのである。「歴史の発展段階説」などでは説明しにくい現象である。

では何が同時的だろうかと考えた。それはまず第二次世界大戦からの時間的距離である。1945年の戦争終結の前後に生まれた人間が成年に達する時点である。つまり、彼らは戦死した父の子であった。あるいは戦争から還ってきた父が生ませた子であった。しかも、この第二次世界大戦から帰ってきた父親たちは第一次大戦中あるいは戦後の混乱期に生まれて恐慌時代に青少年期を送っている人が多い計算になる。ひょっとすると、そのまた父は第一次大戦が当時の西欧知識人に与えた、(われわれが過小評価しがちな)知的衝撃を受けた世代であるかもしれない。

二回の世界大戦(と世界大不況と冷戦と)は世界の各部分を強制的に同期化した。数において戦死者を凌駕する死者を出した大戦末期のインフルエンザ大流行も世界同期的である。また結核もある。これらもこの同期性を強める因子となったろうか。

では、異議申立ての内容を与えたものは何であろうか。精神分析医の多くは、鍵は「父」という言葉だと答えるだろう。実際、彼らの父は、敗戦に打ちひしがれた父、あるいは戦勝国でも戦傷者なりの失望と憂鬱とにさいなまれた父である。戦後の流砂の中で生活に追われながら子育てをした父である。古い「父」の像は消滅し、新しい「父」は見えてこなかった。戦時の行為への罪悪感があるものも多かったであろう。戦勝国民であっても、戦場あるいは都市で生き残るためにおかしたやましいことの一つや二つがあって不思議ではない。二回の大戦によってもっともひどく損傷されたのは「父」である。であるとすれば、その子である「紛争世代」は「父なき世代」である。「超自我なき世代」といおうか。「父」は見えなくなった。フーコーのいう「主体の消滅」、ラカンにおける「父の名」「ファルス」の虚偽性が特にこの世代の共感を生んだのは偶然でなかろう。さらに、この世代が強く共感した人の中に第一次大戦の戦死者の子があることを特筆したい。特にアルベール・カミュ、ロラン・バルトは不遇な戦死者の子である。カミュの父は西部戦線の小戦闘で、バルトの父は漁船改造の哨戒艇の艇長として詳しい戦史に二行ばかり出てくる無名の小海戦で戦死している。

異議申立ての対象である「体制」とは「父的なもの」の総称である。「父なるもの」は「言語による専制」を意味するから、マルクス主義政党も含まれる道理である。もっとも、ここで「子どもは真の権威には反抗しない。反抗するのはバカバカしい権威silly authorityだけである」という精神科医サリヴァンの言葉を思い起こす。第二次大戦とそれに続く冷戦ほど言語的詐術が横行した時代はない。もっとも、その化けの皮は1960年代にすべて剥がれてしまった。(中井久夫「学園紛争は何であったのか」初出1995年『家族の深淵』所収)


「エディプスの斜陽」、つまり「抑圧的な権威の没落」の時代のわれわれの不自由をジジェクは次のような事例をだして注釈している。

…抑圧的な権威の没落は、自由をもたらすどころか、より厳格な禁止を新たに生む。この逆説をどう説明するのか。誰もが子供の頃からよく知っている状況を思い出してみよう。ある子が、日曜の午後に、友だちと遊ぶのを許してもらえず、祖母の家に行かなくてはならないとする。古風で権威主義的な父親が子供にあたえるメッセージは、こうだろう。

「おまえがどう感じていようと、どうでもいい。黙って言われた通りにしなさい。おばあさんの家に行って、お行儀よくしていなさい」。

この場合、この子の置かれた状況は最悪ではない。したくないことをしなければならないわけだが、彼は内的な自由や、(後で)父親の権威に反抗する力をとっておくことができるのだから。「ポストモダン」の非権威的主義的な父親のメッセージのほうがずっと狡猾だ。

「おばあさんがどんなにおまえを愛しているか、知っているだろう? でも無理に行けとはいわないよ。本当にいきたいのでなければ、行かなくていいぞ」。

馬鹿でない子どもならば(つまりほとんどの子供は)、この寛容な態度に潜む罠にすぐ気づくだろう。自由選択という見かけの下に潜んでいるのは、伝統的・権威主義的な父親の要求よりもずっと抑圧的な要求、すなわち、たんに祖母を訪ねるだけでなく、それを自発的に、自分の意志にもとづいて実行しろという暗黙の命令である。このような偽りの自由選択は、猥雑な超自我の命令である。それは子供から内的な自由をも奪い、何をなすべきかだけでなく、何を欲するべきかも指示する。(ジジェク『ラカンはこう読め!』「神は死んだが死んだことをしらない」章、2006年)


ラカン派がなぜ旧套のままの権威打倒を言い募る知識人を嘲弄するかといえば、彼らには「支配的イデオロギー」と「支配しているかにみえるイデオロギー」の混同がこの現在に至ってもいまだあるからである。

現在ののもとでとくに大切なことは、支配的イデオロギーと支配しているかに見えるイデオロギーとを混同しないように注意することだ。…例えば、セックスで真のヘゲモニーを掌握している考え方は家父長制的な抑圧などではなく自由な乱交であり、また芸術で言えば、悪名高い「センセーショナル」展覧会と銘打ったスタイルでなされる挑発が規範に他ならなず、それは体制に完全に併合されてしまっている芸術の典型事例である。 (ジジェク『迫り来る革命 レーニンを繰り返す』2005年)


わたくしは彼らを「資本の言説の掌の上で踊る猿」と呼ぶ。資本の言説とは、大他者の言説(父にささえられた言説)の消滅後の「資本の欲動の時代」における社会的つながりという意味である。

現在は小文字の大他者、小倫理委員会しかない。あれは侵犯や倒錯、戦争機械をする相手ではない。

「大他者の不在」という新しい状態の、最も目を引く面は…自分の行き詰まりを打破してくれるような公式を提供してくれるものと思われる、数々の「小さな大他者たち little big Others」としての「倫理委員会」である。…この大他者の後退の第一の逆説は、いわゆる「苦情の文化」に見ることができる。(ジジェク「サイバースペース、あるいは幻想を横断する可能性」2001)


現在はむしろ資本家機械(≒戦争機械)への対抗が必要なのである。

ドゥルーズとガタリによる「機械」概念は、「転覆的 subversive」なものであるどころか、現在の資本主義の(軍事的・経済的・イデオロギー的)動作モードに合致する。そのとき、我々は、そのまさに原理が、絶え間ない自己変革機械である状態に対し、いかに変革をもたらしたらいいのか。(ジジェク 『毛沢東、実践と矛盾』2007年)
欲動は、より根本的にかつ体系の水準で、資本主義に固有のものである。すなわち、欲動は全ての資本家機械を駆り立てる。それは非人格的な強迫であり、膨張されてゆく自己再生産の絶え間ない循環運動である。我々が欲動のモードに突入するのは、資本としての貨幣の循環が「絶えず更新される運動内部でのみ発生する価値の拡張のために、それ自体目的になる瞬間」である。(マルクス)(ジジェク『パララックス・ヴュー』2006年)
・資本とは資本家の器官なき身体である…。Le capital est bien le corps sans organes du capitaliste, ou plutôt de l'être capitaliste.

・器官なき充実身体…死の本能、これがこの身体の名前である。Le corps plein sans organes…nstinct de mort, tel est son nom, (ドゥルーズ&ガタリ『アンチ・オイディプス』1972年)


もっともバタイユやらドゥルーズやらの表層的読解に染まり切り、そこから逃れえずに硬化してしまって死んでゆくだろう現在60歳以上の「青春派」知識人は情状酌量してほうっておけばよいのである。彼らを嘲弄しても時間の無駄である(シツレイ!)。

浅薄な誤解というものは、ひっくり返して言えば浅薄な人間にも出来る理解に他ならないのだから、伝染力も強く、安定性のある誤解で、釈明は先ず覚束ないものと知らねばならぬ。(小林秀雄「林房雄」)


問題は現在30歳代から40歳代のまだ若い知識人にさえ青春派ばかりが目につくということである。

すでに書かれた言葉としてあるものにさらに言葉をまぶしかける軽業師ふうの身のこなしに魅せられてであろうか。さらには、いささか時流に逆らってみせるといった手あいのものが、流れの断絶には至らぬ程度の小波瀾を戯れに惹起し、波紋がおさまる以前にすでに時流と折合いをつけているといったときの精神のありようが、青春と呼ばれる猶予の一時期をどこまでも引き伸ばすかの錯覚を快く玩味させてくれるからであろうか。(蓮實重彦『表層批評宣言』)

とすればやはり1970年に20歳前後だった世代、いまですれば70歳前後の(もうすこし妥協すれば65歳前後の)、世界の移行、父の蒸発を如実に感じとった世代(あるいはそれよりも老齢の世代)にやはり頑張ってもらわなければならないことになる・・・

フロイトは64歳でそれまでの理論を大転回させる「快原理の彼岸」を1920年に前面に出した。後期ラカンの始まりは1973年、アンコールの最後から始まる。中期の科学的論理のラカンから、身体の論理のへと移行した72歳のラカンである。初老、中老のインテリ諸君よ! 青春派をやっている暇はないのである。

柄谷行人はラカンや中井久夫よりは20年遅れて、1989年の「マルクスという父の死」において思想世界は変わったとしている。

私が気づいたのは、ディコンストラクションとか、知の考古学とか、さまざまな呼び名で呼ばれてきた思考――私自身それに加わっていたといってよい――が、基本的に、マルクス主義が多くの人々や国家を支配していた間、意味をもっていたにすぎないということである。90年代において、それはインパクトを失い、たんに資本主義のそれ自体ディコントラクティヴな運動を代弁するものにしかならなくなった。懐疑論的相対主義、多数の言語ゲーム(公共的合意)、美学的な「現在肯定」、経験論的歴史主義、サブカルチャー重視(カルチュラル・スタディーズなど)が、当初もっていた破壊性を失い、まさにそのことによって「支配的思想=支配階級の思想」となった。今日では、それらは経済的先進諸国においては、最も保守的な制度の中で公認されているのである。これらは合理論に対する経験論的思考の優位―――美学的なものをふくむ――である。(柄谷行人『トランスクリティーク』2001)


とすれば、1970年に20歳前後だった世代ではなく、1990年に20歳前後だった世代だって仲間に入れたってよい。インテリ諸君よ! いつまでも脱構築やら脱領土化やらと青春派的寝言を言っていてはなりません。資本家機械は日々、脱構築やら脱領土化をしているのですから、父の名の時代のみに効果があった脱構築・脱領土化をいまだマガオで信奉している連中は、資本の論理の掌の上で踊る猿にすぎないのです。