このブログを検索

2019年5月24日金曜日

神は娼婦 Dieu est une putain

ラカンはーーおおやけになっているものに限ればーー、バタイユにの名を数度しか口にしていない。その稀な例の代表的なものは、シュレーバー事例に捧げられた『DU TRAlTEMENT POSSIBLE DE LA PSYCHOSE』の末尾にあり、バタイユ概念「内的体験」に触れている(もっとも最晩年のラカンからすれば「人はみな妄想する」のだから、バタイユがことさら精神病であったとは言い難い)。

C'est ainsi que le dernier mot où « l'expérience intérieure » de notre siècle nous ait livré son comput, se trouve être articulé avec cinquante ans d'avance par la théodicée à laquell e Schreber est en butte : « Dieu est une p .. » DU TRAlTEMENT POSSIBLE DE LA PSYCHOSE E853, janv 1958)

« Dieu est une p .. » とあり、脚注がある。

Sous la forme : Die Sonne ist eine Hure (S. 384-App.). Le soleil est pour Schreber l’aspect central de Dieu. L’expérience intérieure, dont il s’agit ici, est le titre de l’ouvrage central de l’œuvre de Georges Bataille. Dans Madame Edwarda, il décrit de cette expérience l’extrémité singulière.


概訳すれば、《「太陽は娼婦である Die Sonne ist eine Hure」という形態。シュレーバー にとって太陽は神の中心的な相である。「内的体験 L’expérience intérieure」とはジョルジュ・バタイユの作品、『マダム・エドワルダ』のなかにあるもので、バタイユはこの内的体験の極致を描いている。》


ようするに« Dieu est une p .. »は、「神は娼婦である Dieu est une putain」ということである。

前回引用した文を再掲すれば、《あたしは神よ je suis DIEU》である。

マダム・エドワルタの声は、きゃしゃな肉体同様、淫らだった。「あたしのぼろぎれが見たい?」両手でテーブルにすがりついたまま、おれは彼女ほうに向き直った。腰かけたまま、彼女は方脚を高々と持ち上げていた。それをいっそう拡げるために、両手で皮膚を思いきり引っぱり。こんなふうにエドワルダの《ぼろきれ》はおれを見つめていた。生命であふれた、桃色の、毛むくじゃらの、いやらしい蛸。おれは神妙につぶやいた。「いったいなんのつもりかね。」「ほらね。あたしは《神様》よ……」「おれは気でも狂ったのか……」「いいえ、正気よ。見なくちゃ駄目。見て!」(ジョルジュ・バタイユ『マダム・エドワルダ』生田耕作訳)
La voix de Madame Edwarda, comme son corps gracile, était obscène :

« Tu veux voir mes guenilles ? » disait-elle.

Les deux mains agrippées à la table, je me tournai vers elle. Assise, elle maintenait haute une jambe écartée : pour mieux ouvrir la fente, elle achevait de tirer la peau des deux mains. Ainsi les « guenilles » d’Edwarda me regardaient, velues et roses, pleines de vie comme une pieuvre répugnante. Je balbutiai doucement :

« Pourquoi fais-tu cela ?
– Tu vois, dit-elle, je suis DIEU...
– Je suis fou...
– Mais non, tu dois regarder : regarde !


「神は娼婦である」は、晩年のラカンの思考においては、「女というものは神の別の名」である。

問題となっている「女というもの La femme」は、「神の別の名 autre nom de Dieu」である。その理由で「女というものは存在しない elle n'existe pas」のである。(ラカン、S23、18 Novembre 1975)
「大他者の大他者はある il y ait un Autre de l'Autre」という人間のすべての必要性 nécessité。人はそれを一般的に〈神 Dieu〉と呼ぶ。だが、精神分析が明らかにしたのは、〈神〉とは単に《女というもの La femme》だということである。(ラカン、S23、16 Mars 1976)


これらはフロイトの「母は娼婦である」のヴァリエーションでもある。

男児は、母が性行為 sexuellen Verkehres を、彼自身とではなく父とすることを許さない。彼は、それを(娼婦と同様な)不貞な行為と見なす。(……)

こうして我々は心的発達の断片への洞察を得た。…娼婦愛 Dirnenliebe…娼婦のような対象を選択する愛の条件 Liebesbedingung は、直接的にマザーコンプレックス Mutterkomplex に由来するのである。(フロイト『男性における対象選択のある特殊な型について』1910年)


ラカンにとって、原母子関係における母とは「全能の母」であり、「母なる女の支配」があると言っているが、これは男児女児ともにそうであり、後年のフロイトにも同様の記述がある。

母の行ったり来たり allées et venues de la mère⋯⋯行ったり来たりする母 cette mère qui va, qui vient……母が行ったり来たりするのはあれはいったい何なんだろう?Qu'est-ce que ça veut dire qu'elle aille et qu'elle vienne ? (ラカン、S5、15 Janvier 1958)
母が幼児の訴えに応答しなかったらどうだろう?……母はリアルになる elle devient réelle、…すなわち権力となる devient une puissance…全能 omnipotence …全き力 toute-puissance …(ラカン、S4、12 Décembre 1956)
(原母子関係には)母なる女の支配 dominance de la femme en tant que mère がある。…語る母・幼児が要求する対象としての母・命令する母・幼児の依存dépendanceを担う母が。(ラカン、S17、11 Février 1970)


⋯⋯⋯⋯


ところでラカンはなぜバタイユにわずかしか触れなかったのだろか? わたくしはバタイユをほとんど知らないが(昔、四つの小説を読んだだけでもう殆ど忘れている)、わずかのさわりを読んでみただけでも、とても強い思考的近接性があるのに。

ここではまず、ラカンの二人の妻の情報を英語版wikiから掲げる(個人的備忘である)。




Marie-Louise Blondin

Marie-Louise Blondin (16 November 1906 - 1983) was Jacques Lacan’s first wife, the sister of Jacques Lacan's friend the surgeon Sylvain Blondin.

In 1933, Lacan falls in love with Marie-Louise Blondin.

On 29 January 1934, he marries Marie-Louise Blondin, who gives birth to their first child, Caroline, the same month.

Three children were born from this marriage, Caroline in |1934, Thibaut in 1939 and Sibylle in 1940.

On 3 July 1941, Judith Bataille, the daughter of Lacan and Sylvia Maklès-Bataille, is born. Judith receives the surname Bataille because Lacan is still married to Marie-Louise.
On 15 December 1941, Lacan and Marie-Louise Blondin are officially divorced.
She dies in 1983.

ーーSylvia Maklès-Batailleとのあいだにできた娘の洗礼名は Judith Bataille とある。Judithは、ジャック=アラン・ミレールの妻であり、2017年に76歳でなくなっている。


女優 Sylvia Maklèsーージャン・ルノワールの作品にも主演として出ているーーは20歳(1928年)でバタイユと結婚して、実質上、1934年に別れているが、正式の離婚は1946年とある。





Sylvia Bataille

Sylvia Bataille (born Sylvia Maklès; 1 November 1908 – 23 December 1993) was a French actress of Romanian-Jewish descent. When she was twenty, she married the writer Georges Bataille with whom she had a daughter, the psychoanalyst Laurence Bataille (1930–1986). Georges Bataille and Sylvia separated in 1934 but did not divorce until 1946. Starting in 1938, she was a companion of the psychoanalyst Jacques Lacan with whom, in 1941, she had a daughter, Judith, today Judith Miller. Sylvia Bataille married Jacques Lacan in 1953.


バタイユとシルヴィアは、離婚後もバタイユが死ぬまで親しい関係にあり、二番目の夫ジャック・ラカンのカントリーハウスで夏休みを過ごした、とStuart Kendallはバタイユ伝で記している。

They stayed close for the rest of Bataille's life, close enough for Bataille to spend summer vacations with Sylvia and her second husband, Bataille's friend Jacques Lacan, at his country home.(Stuart Kendall,Georges Bataille)


1930年生れのバタイユとシルヴィアとのあいだの娘 Laurence Bataille は、後に精神分析家となるが、比較的若い齢(56歳)で亡くなっている(ネット情報では癌による)。







Roudinescoの『Jacques Lacan』によれば、ラカンはバタイユの娘を育てたということになっているが、かりに幼い時からとすると、ちょっとよく分からなくなる。



なにはともあれバタイユの娘 Laurence Batailleは、16歳でバルテュスの家に「お手伝い」として入ったそうだ。







次のような情報もあるが、信憑性のほどは知らない(とはいえ、バルテュスの数多くの少女たちの作品のどれかのモデルになっていることは間違いないだろう)。

Many of Balthus' models would also be his lovers, including Laurence Bataille, the daughter of the writer Georges Bataille, who features in Nude with Cat (1949), the wonderful small picture from the National Gallery of Victoria which is on loan to this show.(The Balthus enigma




⋯⋯⋯⋯

バタイユの離婚の原因となった第一は(娼家入り浸りなどの放蕩を別にして)、コレット・ベニョ Colette  Peignot、通称「ロール Laure」への愛のせいだというのが通説になっている。バタイユはロールに1931年に知り合い、彼女は1938年にパタイユのアパートで 35 年の短い生涯を閉じている。




誰 1 人彼女のように妥協を許さず、純粋で、彼女ほど決定的に〈崇高〉に思われた人物はいなかった。Jamais personne ne me parut comme elle intraitable et pure, ni plus décidément "souveraine"
すでに最初の日から、私は彼女との聞にまったき透明性を感じた。(…) 1 人の女性にこれほどの敬意を感じたことは未だかつてなかった。Dès le premier jour, je sentis entre elle et moi une complète transparence. (...) Je n'ai jamais eu plus de respect pour une femme.» (Georges Bataille: «Vie de Laure»)


Colette Peignotはwiki英語版から拾えばこうである。

Colette Peignot (October 8, 1903 – November 7, 1938) was a French author who is most known by the pseudonym Laure, but also wrote under the name Claude Araxe.

She was profoundly affected during her childhood by the deaths of her father and three uncles during World War I, by her failing health (tuberculosis nearly killed her at age 13), and by sexual abuse from a priest. Her writings are full of fury, improprieties, and suffering.

ちなみにバタイユの父は、バタイユの出生時にすでに梅毒のせいで盲目となっており、その後ほどなく、進行性麻痔のために四肢の自由を失って肘掛け椅子に釘付けとなっていた。

ふたりのあいだには、幼児期外傷的経験の相同性による同一化があったのだろうと憶測できる。《共感は、同一化によって生まれる das Mitgefühl entsteht erst aus der Identifizierung》(フロイト『集団心理学と自我の分析』)。愛する(共感する)から同一化するのではない。同一化するから愛するのである。

さらにMichel Suryaの『Georges Bataille: An Intellectual Biography』によれば、1915年9月、ドイツ軍がランスーーバタイユ家族が当時住んでいた土地ーーに侵攻してきた際、バタイユと母は、身動きのできない父を置き去りにして母の生家に逃れた。このせいで、バタイユの母は精神に変調を来たし、自殺未遂を繰返した。二か月後、ランスに戻って来ると、父親は寝室なかに縛りつけられたようにして屍になっていた。『眼球譚』の末尾にはこの状況をいくらか曖昧にした記述がある。







ところで、コレット・ベニョのバタイユ宛手紙のひとつにはこうある。

あんたは私を侮辱したわ、「弱さ」を話してね。よく言えたもんだわ。あんたなんか2時間だって独りで過ごす力がないじゃない。いつも誰かが傍らにいなくちゃ何もできない男。やりたいことを何もやれない男。私は知ってるわ。(A letter to Georges Bataille from Colette “Laure” Peignot


こう言われてしまったら、ある種の男はおしまいである・・・出会い初めのころの手紙では、《私たちは〈符合〉から〈符合〉へと進んでいくようだわ nous allons de "coïncidence" en "coïncidence"》とか《あなたは、わたしが正面から見つめなければならない存在だわ-それが全て。Vous êtes un être que j'ai besoin de regarder en face - C'est tout》だったんだけどな。

実はここでのいささかの詮索はこの文を起源にしている。たぶん、コレット・ベニョはバタイユがいつまでもシルヴィアに未練がある様子なのに怒ったんだろうけど。いや究極的にはバタイユのマザコンぶりにたいする憤りかも。

女における「三次的愛」」で記したことだが、もし真に男女とも裸になって愛を交わし合うとすれば、勝利するのは常に女である・・・