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2019年8月25日日曜日

かあいさうな奴の標本

「この年になって、もっとしっかり女性器を見ておくんだった、と後悔している」「目もだいぶみえなくなってきたが、女性器の細密画をできるだけ描いてから死にたい」(金子光晴ーー吉行淳之介対談集『やわらかい話』)




人を感動させるやうな作品を
忘れてもつくってはならない。
それは芸術家のすることではない。
少くとも、すぐれた芸術家の。

すぐれた芸術家は、誰からも
はなもひつかけられず、始めから
反古にひとしいものを書いて、
永恆に埋没されてゆく人である。

たつた一つ俺の感動するのは、
その人達である。いい作品は、
国や世紀の文化と関係(かかわり)がない。
つくる人達だけのものなのだ。

他人のまねをしても、盗んでも、
下手でも、上手でもかまはないが、
死んだあとで掘出され騒がれる
恥だから、そんなヘマだけするな。
中原中也とか、宮沢賢治とかいふ奴はかあいさうな奴の標本だ。
それにくらべて福士幸次郎とか、佐藤惣之助とかはしやれた奴だった。


ま、でも福士幸次郎とか、佐藤惣之助とかってのは青空文庫にもあるくらいで、少しだけ読んでみたら、やっぱり誰かには見られたいだろうな、媚びはすくないってのかな。それはあるだろうけど。

私の作、不人氣なる詩人、私の初めて世に出した『太陽の子』は七百の部數のうち百部も賣れなかつた。第二の詩集『惠まれない善』の公刊は、最も賣行き惡い私刊の雜誌特別號を以て宛て、之も讀者の手二三十に渡つたに過ぎない。私はこの自己の逆運を嘆くために敢てこれをいふか。否、私は自白する。私は自己の作には常に自信を持たない。また其れと同じ程度にこれを世に出す熱心を持たない。公衆? 公衆とは何? 藝術は公衆相手の仕事であらうか。私はセザンヌがわが描きをはれる畫を家の藪に常に棄てた心事をよく了解する。私にとつて制作はその瞬間出來る限りたのしまれたる生の活動の氣高い一片である。私は此歡ばしい活動のため少年の如く熱心にその制作に沒頭する。それは悲哀の絶頂すらこの活動によつて慰められる。この生の活動より來る自然にして完全なねぎらひ、それは私等藝術に從ふものゝ行ふと共に常に報いらるゝ合理の報償である。私は人氣を願はない。私は生の報いは常に受けてゐる。そして私は常に快活である。(福士幸次郎「展望」)

百部とか二三十なんて売れすぎさ。

金子光晴だって「媚びないことを媚びてる」っていうのかな、そういうところがあって、たいしてしやれてはいないよ。しやれた奴なんてどこにもいないね。

あらゆる物が「タカの知れたもの」だといふことを知つてしまつた(坂口安吾『私は海をだきしめてゐたい 』1947年)


クンデラに「四つの視線のカテゴリー」ってのがあるけどさ。


四つの視線のカテゴリー
誰もが、誰かに見られていることを求める。どのようなタイプの視線の下で生きていたいかによって、われわれは四つのカテゴリーに区分される。(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』)
第一のカテゴリーは限りなく多数の無名の目による視線、すなわち別のことばでいえば、大衆の視線に憧れる。
政治家、スター、TV キャスター等
第二のカテゴリーは、生きるために数多くの知人の目という視線を必要とする人びとから成る。この人たちはカクテル・パーティや、夕食会を疲れを知らずに開催する。…この人たちは大衆を失ったとき、彼らの人生の広間から火が消えたような気持ちになる第一のカテゴリーの人たちより幸福である。このことは第一のカテゴリーの人たちのほとんどすべてに遅かれ早かれ一度はおこる。それに反して第二のカテゴリーの人はそのような視線をいつでも見つけ出す。
社交家
次に愛している人たちの眼差しを必要とする、第三のカテゴリーがある。この人たちの状況は第一のカテゴリーの人の状況のように危険である。愛している人の目が、あるとき閉ざされると、広間は闇となる。
愛する人
そしてもう一つ、そこにいない人びとの想像上の視線の下に生きる人たちという、もっとも珍しい第四のカテゴリーがある。これは夢見る人たちである。
夢想家、理念家、死者


人はどれかにあてはまるはずさ。最低限、①と②にならないことだな、いまは①か②のやつばっかりになっちまったけど。

この「四つの視線のカテゴリー」はラカン「四つの言説」(四つの社会的結びつき)にほぼ当てはまる。いくらか微調整はしなくちゃいけないけど、それはこの際無視して簡略図をあげておけば、こうなる。




ラカンの「四つの言説」自体、フロイトの「三つの不可能な仕事」に、さらにそのベースにある「言語によって分割された主体」(心と身体が言語使用によって分裂してしまった主体=欲望の主体)を付け加えたもの。

分析 Analysierenan 治療を行なうという仕事は、その成果が不充分なものであることが最初から分り切っているような、いわゆる「不可能な」職業 »unmöglichen« Berufe といわれるものの、第三番目のものに当たるといえるように思われる。その他の二つは、以前からよく知られているもので、つまり教育 Erziehen することと支配 Regieren することである。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937年)

でも「人は誰かには見られたい」ってのは、究極はオマンコに見られたいんじゃないかね、最近そんな気がしてきたよ。これは男も女もそうで、だから股をひらけばいつでもにらめっこできる女のほうがつよいのさ。

これこそ究極の④「$ ◊ S1」、つまり「無意識の主体 ◊ オマンコ」だよ。その意味で冒頭の金子光晴の悟達はエライ。偈、つまり 偈陀(げだ)だってうけいれてもいいさ

偈陀ってのはここにおすわりになっているってことだろ?




形があれに似てるなんてそんなせこい話じゃねえよ/花ん中へ入っていきたくってしょうがねえよ/あれだけ入れるんじゃねえよお/ちっこくなってからだごとぐりぐり入っていくんだよお(俊)

私こそ人生に貸がある
母胎のかげでうごめいて居る
私こそまことの怖しい債鬼だ
人生の奧にその貸が匿してある
抛りつぱなしで貸つぱなしな
今まで知らなかつた手強い貸がある

ーー福士幸次郎「すべての友達に送る手紙 ――十一月」


なにはともあれつぎのことはマチガイナイネ

男たちは性的流刑の身であることを知っている。彼らは満足を求めて彷徨っている、憧憬しつつ軽蔑しつつ決して満たされてない。そこには女たちが羨望するようなものは何もない。(カミール・パーリア 『性のペルソナ』1990年)
どの男も、母に支配された内部の女性的領域に隠れ場をもっている。男はそこから完全には決して自由になれない。(カミール・パーリア 『性のペルソナ』1990年)

ーーおとこなんてこれをどうやってごまかしているかだけさ、

カミール・パーリアの言っているのは、長いあいだ彷徨ったフロイト、そのの「死の枕元」にあった草稿二文の「厳密な翻訳」さ。

母へのエロス的固着の残滓 Rest der erotischen Fixierung an die Mutter は、しばしば母 への過剰な依存 übergrosse Abhängigkeit 形式として居残る。そしてこれは女拘束Hörigkeit gegen das Weib として存続する。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版 1940 年)
人には、出生 Geburtとともに、放棄された子宮内生活 aufgegebenen Intrauterinleben へ戻ろうとする欲動 Trieb、⋯⋯母胎回帰運動 Rückkehr in den Mutterleib がある。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)

ーーこう書いておいて友人に「もういいよ」と言って致死量モルヒネうってもらって母胎回帰したのさ。

ラカンの四つの言説は、①②が男性的言説、③④が女性的言説ともいうんだけど、①の政治家やら②の学者やらってのは、「かあいさうな奴の標本」にきまってるだろ。ああいった連中がまったくいなくてもこまることはみとめてもいいどな。ゴクロウサンなこった。


どうだろうね、ツェランさんよ、こう言っといて女にニゲラレタあと自殺してしまったあなたよ、死ぬってのはやっぱりオマンコにかえることじゃないかい?

詩は言葉が現われるひとつの姿なのですから、また、したがってその本質からして対話的なものなのですから、詩はひとつの投壜通信 Flaschenpost であるのかもしれません。どこかに、どこかの岸に、ひょっとすれば心の岸に打ち寄せられるかもしれないという信念――必ずしもいつも確かな希望をもってではありませんが――その信念のもとに、波に委ねられる投壜通信です。詩は、このようなあり方においてもまた、途上にあるのです。つまり詩は何かにむかって進んでいるのです。何にむかっているのでしょう。開かれた、住むにかなった、ひょっとして応答のありうるあなたに。応答のありうる現実にむかってです。そのような現実が、私が考える詩です。(パウル・ツェラン 「ブレーメン文学賞受賞講演 Bremer Preisrede」 1958)
Das Gedicht kann, da es ja eine Erscheinungsform der Sprache und damit seinem Wesen nach dialogisch ist, eine Flaschenpost sein, aufgegeben in dem – gewiss nicht immer hoffnungsstarken – Glauben, sie könnte irgendwo und irgendwann an Land gespült werden, an Herzland vielleicht. Gedichte sind auch in dieser Weise unterwegs: sie halten auf etwas zu. Worauf? Auf etwas Offenstehendes, Besetzbares, auf ein ansprechbares Du vielleicht, auf eine ansprechbare Wirklichkeit. Um solche Wirklichkeiten geht es, so denke ich, dem Gedicht.“