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2019年11月5日火曜日

傷つけずには愛することはできない

前回の「ウロボロスの享楽」の補足、--というわけでもないが派生物であり、ここに引用の列挙をしておく。

………

われわれは傷ついている。だから傷つけずには愛することはできない。C'est parce que nous sommes blessés que nous ne pouvons aimer qu'en blessant (ジョー・ブスケ Joë Bousquet, Mystique)
たぶん私が一番よく知っている、なぜ人間だけが笑うのかを。人間のみがひどく傷ついているので、笑いを発明しなければならなかったのである。Vielleicht weiß ich am besten, warum der Mensch allein lacht: er allein leidet so tief, daß er das Lachen erfinden mußte.(ニーチェ遺稿ーー『力への意志』Der Wille zur Macht I - Kapitel 10-91)


■傷ついた愛
傷ついた享楽 jouissance blessée(コレット・ソレール, Les affects lacaniens 2011)
ラカンは、フロイトがリビドーとして示した何ものか quelque chose de ce que Freud désignait comme la libido を把握するために仏語の資源を使った。すなわち享楽 jouissance である。(ミレール, L'Être et l'Un, 30/03/2011)
哲学者プラトンのエロスErosは、その由来 Herkunft や作用 Leistung や性愛 Geschlechtsliebe との関係の点で精神分析でいう愛の力 Liebeskraft、すなわちリビドーLibido と完全に一致している。(フロイト『集団心理学と自我の分析』1921年)
すべての利用しうるエロスエネルギーEnergie des Eros を、われわれはリビドーLibidoと名付ける。(フロイト『精神分析概説』死後出版1940年)


◼️傷つけることを止めない記憶
「記憶に残るものは灼きつけられたものである。傷つけることを止めないもののみが記憶に残る」――これが地上における最も古い(そして遺憾ながら最も長い)心理学の根本命題である。»Man brennt etwas ein, damit es im Gedächtnis bleibt: nur was nicht aufhört, wehzutun, bleibt im Gedächtnis« - das ist ein Hauptsatz aus der allerältesten (leider auch allerlängsten) Psychologie auf Erden.(ニーチェ『道徳の系譜』第2論文第3節、1887年)
トラウマ psychische Trauma、ないしその記憶 Erinnerungは、異物 Fremdkörper ーー体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子として効果を持つ異物ーーのように作用する。(フロイト&ブロイラー『ヒステリー研究』予備報告、1893年)
たえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状 das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen(フロイト『制止、症状、不安』1926年)


◼️傷は書かれることを止めない
現実界は書かれることを止めない。le Réel ne cesse pas de s'écrire (Lacan, S 25, 10 Janvier 1978)
現実界は…穴=トラウマを為す[fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)
問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている。le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. (Lacan, S23, 13 Avril 1976)


◼️常に回帰する自己固有の出来事=傷
人が個性を持っているなら、人はまた、常に回帰する自己固有の出来事を持っている。Hat man Charakter, so hat man auch sein typisches Erlebniss, das immer wiederkommt.(ニーチェ『善悪の彼岸』70番、1886年)
同一の体験の反復の中に現れる不変の個性刻印 gleichbleibenden Charakterzug を見出すならば、われわれは「同一のものの永遠回帰 ewige Wiederkehr des Gleichen」をさして不思議とも思わない。…この運命強迫 Schicksalszwang nennen könnte とも名づけることができるようなもの(反復強迫Wiederholungszwang)については、合理的な考察によって解明できる点が多い。(フロイト『快原理の彼岸』1920年)
病因的トラウマ ätiologische Traumenは…自己身体の上への出来事 Erlebnisse am eigenen Körper もしくは感覚知覚Sinneswahrnehmungen である。…また疑いなく、初期の自我への傷 Schädigungen des Ichs である。

…これは「トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma」と「反復強迫Wiederholungszwang」の名の下に要約され、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、「不変の個性刻印 unwandelbare Charakterzüge」 と呼びうる。(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3」1938年)


■常に回帰する享楽の固着
症状は、現実界について書かれることを止めない。le symptôme… ne cesse pas de s’écrire du réel (Lacan, La Troisième, 1974)
症状とはラカンが固着に与えた名である。Le symptôme est le nom que Lacan donne à la fixation (ピエール=ジル・ゲガーン Pierre-Gilles Guéguen, Options lacaniennes de mars 1994)
精神分析における主要な現実界の到来 l'avènement du réel majeur は、固着としての症状 Le symptôme, comme fixionである。(コレット・ソレール Colette Soler, Avènements du réel, 2017年)
フロイトが固着と呼んだもの…それは享楽の固着 [une fixation de jouissance]である。(J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses comités d'éthique, 26/2/97)
享楽はまさに固着である。…人は常にその固着に回帰する。La jouissance, c'est vraiment à la fixation […]on y revient toujours. (Miller, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009)
反復を引き起こす享楽の固着 fixation de jouissance qui cause la répétition、(Ana Viganó, Le continu et le discontinu Tensions et approches d'une clinique multiple, 2018)
享楽の固着がある。それは空虚ではなく、喪失である。Le vide et la perte sont au début. Quand on avance, il y a des fixations de jouissance. C'est pas du vide, c'est de la perte.

…つまり享楽の固着とそのトラウマ的作用がある fixations de jouissance et cela a des incidences traumatiques. (Entretiens réalisés avec Colette Soler entre le 12 novembre et le 16 décembre 2016)


◼️常に回帰する女性の享楽
症状は身体の出来事である。le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps(ラカン、JOYCE LE SYMPTOME,AE.569、16 juin 1975)
享楽は身体の出来事である la jouissance est un événement de corps…享楽はトラウマの審級 l'ordre du traumatisme にある。…享楽は固着の対象 l'objet d'une fixationである。(ジャック=アラン・ミレール J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)
純粋な身体の出来事としての女性の享楽 la jouissance féminine qui est un pur événement de corps …(Miller, L'Être et l'Un、2/3/2011)
ラカンは女性の享楽 jouissance féminine の特性を男性の享楽 jouissance masculine との関係で確認した。それは、セミネール18 、19、20とエトゥルディにおいてなされた。だが第2期がある。そこでは女性の享楽は、享楽自体の形態として一般化される[ la jouissance féminine, il l'a généralisé jusqu'à en faire le régime de la jouissance comme telle]。

その時までの精神分析において、享楽形態はつねに男性側から考えられていた。そしてラカンの最後の教えにおいて新たに切り開かれたのは、「享楽自体の形態の原理」として考えられた「女性の享楽」である [c'est la jouissance féminine conçue comme principe du régime de la jouissance comme telle]。(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 2/3/2011)



■常に回帰する母の裸

フロイトは汽車恐怖症(旅行不安 Reiseangst)に終生悩まされたそうだが、フリース宛書簡には核心語彙をラテン語(matrem、nudam)を使用しつつこうある。

後に(二歳か二歳半のころ)、私の母へのリビドーは目を覚ました meine Libidogegen matrem erwacht ist。ライプツィヒからウィーンへの旅行の時だった。その汽車旅行のあいだに、私は母と一緒の夜を過ごしたに違いない。そして母の裸を見る機会 Gelegenheit, sie nudam zu sehenがあったに違いない。…私の旅行不安 Reiseangst が湧き乱れるのをあなたでさえ見たでしょう。

daß später (zwischen 2 und 2 1/2 Jahren) meine Libidogegen matrem erwacht ist, und zwar aus Anlaß der Reise mir ihr von Leipzig nach Wien, auf welcher eb gemeinsames Übernachten und Gelegenheit, sie nudam zu sehen, vorge fallen sein muß…Meine Reiseangst hast Du noch selbst b Blüte gesehen.(フロイト、フリース宛書簡 Brief an Fliess、4.10.1897)

フロイトというと通念としては「エディプスコンプレクス」と言うことになっているが、エディプスコンプレクスとは「マザーコンプレクス Mutterkomplex」(『男性における対象選択のある特殊な型について』1910年)、あるいは「母へのエロス的固着 erotischen Fixierung an die Mutter」に対する防衛に過ぎない。

母へのエロス的固着の残余は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her,(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)

ーーこれを別名、リビドー固着、あるいはトラウマへの固着と呼ぶのである。


ラカンがフロイトの遺書と呼んだ『終りなき分析』でフロイトはこう書いている。

すべての神経症的障害の原因は混合的なものである。すなわち、それはあまりに強すぎる欲動widerspenstige Triebe が自我による飼い馴らし Bändigung に反抗しているか、あるいは幼児期の、すなわち初期の外傷体験 frühzeitigen, d. h. vorzeitigen Traumenを、当時未成熟だった自我が支配することができなかったためかのいずれかである。

概してそれは二つの契機、素因的なものと偶然的なものとの結びつきによる作用である。素因的なものが強ければ強いほど、速やかに外傷は固着を生じやすくTrauma zur Fixierung führen、精神発達の障害を後に残すものであるし、外傷的なものが強ければ強いほどますます確実に、正常な欲動状態においてもその障害が現われる可能性は増大する。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第2章、1937年)
欲動要求の永続的解決 dauernde Erledigung eines Triebanspruchs」とは、欲動の「飼い馴らし Bändigung」とでも名づけるべきものである。それは、欲動が完全に自我の調和のなかに受容され、自我の持つそれ以外の志向からのあらゆる影響を受けやすくなり、もはや満足に向けて自らの道を行くことはない、という意味である。

しかし、いかなる方法、いかなる手段によってそれはなされるかと問われると、返答に窮する。われわれは、「するとやはり魔女の厄介になるのですな So muß denn doch die Hexe dran」(ゲーテ『ファウスト』)と呟かざるをえない。つまり魔女のメタサイコロジイDie Hexe Metapsychologie である。(フロイト『終りある分析と終わりなき分析』第3章、1937年)

結局、強烈なトラウマへの固着は治療不可能なのである、フロイト自身がそうであったように。

ニーチェがおそらくそうであったように。

「記憶に残るものは灼きつけられたものである。傷つけることを止めないもののみが記憶に残る」――これが地上における最も古い(そして遺憾ながら最も長い)心理学の根本命題である。(ニーチェ『道徳の系譜』第2論文第3節、1887年)