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2020年4月3日金曜日

バーハウ簡潔版

ボクのフロイトラカン解釈は、何度も言っているが、基本的にはポール・バーハウのもの。「大他者の享楽」についてもそうだが(参照:大他者の享楽の決定的注釈)、より基本的には次の短い断片で目が覚めた。ジャック=アラン・ミレールやときにコレット・ソレール等を引用することが多いにしろ、権威としての彼らでバーハウ注釈を裏付けているだけだとさえ言える(バーハウはラカンテキスト読みとしてはいくらか粗いところがあるから。逆にミレールとソレールはフロイト読みとしてはかなり粗い)。



フロイトには「真珠貝が真珠を造りだすその周りの砂粒 Sandkorn also, um welches das Muscheltier die Perle bildet 」という名高い隠喩がある。砂粒とは現実界の審級にあり、この砂粒に対して防衛されなければならない。真珠は砂粒への防衛反応であり、封筒あるいは容器、ーー《症状の形式的封筒 l'enveloppe formelle du symptôme 》(ラカン、E66、1966)ーーすなわち原症状の可視的な外部である。内側には、元来のリアルな出発点が、「異物 Fremdkörper」として影響をもったまま居残っている。

フロイトはヒステリーの事例にて、「身体からの反応 Somatisches Entgegenkommen)」ーー身体の何ものかが、いずれの症状の核のなかにも現前しているという事実ーーについて語っている。フロイト理論のより一般的用語では、この「身体からに反応」とは、いわゆる「欲動の根 Triebwurzel」、あるいは「固着 Fixierung」点である。ラカンに従って、我々はこの固着点のなかに、対象a を位置づけることができる。

症状の線形展開図は次の通り。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, On Being Normal and Other Disorders: A Manual for Clinical Psychodiagnostics,、2004)