このブログを検索

2020年4月4日土曜日

刺青と父の苗字


刺青は、主体と身体との関係における「父の名」でありうる。Un tatouage peut être un Nom-du-Père dans la relation que le sujet a avec son corps. (J.A. Miller, Retour sur la psychose ordinaire; 2009)

そんなに父の名が好きなら倶利伽羅悶々でもやったらどうだい? イデオロギー的一神教的神を信仰して「善人」になるよりずっとマトモだよ。《私は善人は嫌ひだ。なぜなら善人は人を許し我を許し、なれあひで世を渡り、真実自我を見つめるといふ苦悩も孤独もないからである。》(坂口安吾『蟹の泡』1946年)、《善人は気楽なもので、父母兄弟、人間共の虚しい義理や約束の上に安眠し、社会制度というものに全身を投げかけて平然として死んで行く。》(坂口安吾『続堕落論』1946年)

ところでコロナ騒動でかなりの人が仕事を失って精神病になるかもな

仕事の喪失は精神病を引き起こす。というのは、仕事は、生活手段以上のものを意味するから。仕事を持つことは「父の名」だ。…

ラカンは言っている、現代の父の名は「名付けられる」 êtrenommé-à こと、ある機能を任命されるという事実だと。社会的役割にまで昇格させる事、これが現在の「父の名」である。 (J.A. Miller, Retour sur la psychose ordinaire; 2009)

ボクの「蚊居肢」ってのも名付けだよ。これで長年悩まされてきた性的中毒症状sexualtoxisches Symptomがだいぶ飼い馴らされたね。




ーースカートの内またねらふ藪蚊哉(荷風)

現勢神経症 aktualneuroseは(…)精神神経症 Psychoneurosenに、「身体側からの反応 somatische Entgegenkommen」を提供する。現勢神経症は刺激性の(興奮を与える)素材を提供する。そしてその素材は「心的に選択された、心的外被 psychisch ausgewählt und umkleidet」を与えられる。

従って一般的に言えば、精神神経症の症状の核ーー真珠の核の砂粒 das Sandkorn im Zentrum der Perleーーは身体-性的発露 somatischen Sexualäußerung から成り立っている。(フロイト『自慰論』Zur Onanie-Diskussion、1912年)


名付けてみることだな、自らの悩みの起源をじっくりみつめてね。そうすればたとえばエロたとえばトラウマに対する心的外被として機能するはずだから。もっとも常に残滓があるから全的飼い馴らしは不可能だけど。

日本国家の最大の悩みでもいいさ、膨大な財政赤字ですでの太平洋戦争末期状態になってたのに、さらに追い討ちのコロナ戦争で、キャベツ頭の左翼連中を中心にいっそうの巨額赤字国債積み上げを!とのたまうことだな。どう名付けるべきだろ?






「昇り龍、天の先には奈落の底」ーーってのはどうだい? かりに一律給付をしなくたって、日銀は株価下落ですでに債務超過だから、日本はハイパーインフレの「昇り龍」まっしぐらだよ。世帯当たり一律給付30万円なんてケチなこと言ってないで、ひとり当たり100万円ぐらい給付したらどうだろ、ハイパーインフレですぐ紙幣は紙くずになるだろうから、もはやいくら支給したって一緒さ。


父の諸名 les Noms-du-père 、それは何かの物を名付ける nomment quelque chose という点での最初の諸名 les noms premiers のことである、(LACAN 、S22. 11 Mars 1975)

で、話を戻せば?、父の苗字だって父の名だよ。

父の苗字
初期の理論でさえ、ラカンはエディプスの父の機能における象徴的側面を強調した。父の名の隠喩は実にその名を通して作用する。この仮説とは次のようなものである。すなわち、子供に父の苗字との組み合せによる彼自身の名前を与えることは、子供を原初の母子二者関係から解放する。後期のラカン理論では、ラカンは名づけることのこの側面をいっそうくり返し強調した。したがってラカンは複数形で使用したのだ、Les Noms-du-Père と。
疑いもなく文化人類学の影響を受けて、ラカンは母系制文化においてさえ、分離の機能は名づけることを通して作用する事実を分かっていたに違いない。…主体に原シニフィアン、すなわち母なるシニフィアンではなく異なったアイディンティティのシニフィアンを提供することは分離を引き起こし、(食うか食われるかの)母との二者関係に対して保護を与える。これはわれわれに重要な結論を齎してくれる。すなわちエディプスの法は、古典的なエディプス、たとえば家父長制の外部でとても上手く設置することができると。――これは重要である。というのはそれが意味するのは、われわれは、基本的な信頼を取り戻すために、古き良き家父長制に戻ることを承認する必要はないということだから。(ポール・バーハウPaul Verhaeghe,Social bond and authority: everyone is the same in front of the law of difference、1999)

ボクは父の苗字があまり機能していない幼少年期を送ったからな。

単に母親が父親にいかに対応するかだけではなく、母親が父親の言葉、正確には父親の権威にどのような地位を与えるか、いいかえれば法のプロモーションにla promotion de la loiおいて母親が父の名のために空けてある場所をどうするかである(ラカン、E579)


父の諸名の基本は父の機能ーーさらにその上に神経症的父の隠喩があるが、これだと欲望の迷宮に嵌まり込むことになるーー、だから父の機能で十分。

ラカン理論における「父の機能」とは、第三者が、二者-想像的段階において特有の「選択の欠如」に終止符を打つ機能である。第三者の導入によって可能となるこの移行は、母から離れて父へ向かうというよりも、二者関係から三者関係への移行である。この移行以降、主体性と選択が可能になる。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE、new studies of old villains A Radical Reconsideration of the Oedipus Complex 、2009)

父の機能というのは基本的には母への固着から逃れる機能のこと。

母子関係 relation de l'enfant à la mère…ファリックマザーへの固着された二者関係 relation duelle comme fixée à la mère phallique (S4, 03 Avril 1957)
母へのエロス的固着の残滓 Rest der erotischen Fixierung an die Mutter は、しばしば母 への過剰な依存 übergrosse Abhängigkeit 形式として居残る。そしてこれは女拘束Hörigkeit gegen das Weib として存続する。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版 1940 年)

母へのエロス的固着は構造的トラウマ(病因的トラウマ)とも呼ばれる。それ以外に人は事故的トラウマがあるがこれに対する飼い馴らしも同じメカニズム。


父なる神は母なる神の代用品にすぎない。

エディプスコンプレックスにおける父の機能 La fonction du père とは、他のシニフィアンの代わりを務めるシニフィアンである…他のシニフィアンとは、象徴化を導入する原シニフィアンpremier signifiant introduit dans la symbolisation、母なるシニフィアン le signifiant maternel である。……父はその代理シニフィアンであるle père est un signifiant substitué à un autre signifiant。(Lacan, S5, 15 Janvier 1958)
偉大な母なる神 große Muttergottheit」⋯⋯もっとも母なる神々は、男性の神々によって代替される Muttergottheiten durch männliche Götter(フロイト『モーセと一神教』1938年)



父の機能とは、母なる原シニフィアンS1を飼い馴らすものであり、その機能があればなんでもいい。

ファルスの意味作用とは厳密に享楽の侵入を飼い馴らすことである。La signification du phallus c'est exactement d'apprivoiser l'intrusion de la jouissance (J.-A. MILLER, Ce qui fait insigne,1987)
「唯一の徴 trait unaire」は、…享楽の侵入 une irruption de la jouissance を記念するものである。commémore une irruption de la jouissance (Lacan, S17, 11 Février 1970)
私はフロイトのテキストから「唯一の徴 trait unaire」の機能を借り受けよう。すなわち「徴の最も単純な形式 forme la plus simple de marque」、「シニフィアンの起源 l'origine du signifiant」(原シニフィアン)である。我々精神分析家を関心づける全ては、フロイトの「唯一の徴 einziger Zug」に起源がある。(ラカン, S17, 14 Janvier 1970)
私が「徴 marque」、「唯一の徴 trait unaire」と呼ぶものは、「死の徴 (死に向かう徴付け marqué pour la mort)」である。…これは、「享楽と身体との裂け目、分離 clivage, de cette séparation  de la jouissance et du corps」…傷つけられた身体désormais mortifiéを基礎にしている。この瞬間から刻印の遊戯 jeu d'inscriptionが始まる。(ラカン、S17, 10 Juin 1970) 

この唯一の徴としての母なる原シニフィアンを後年のラカンは骨象ーーま、身体に突き刺さった骨=刻印のことだーー、文字対象aと呼んだが、これはフロイトの固着(リビドーの固着、トラウマへの固着)のことであり、現代ラカン派は「享楽の固着」と呼んでいる。

私が « 骨象 osbjet »と呼ぶもの、それは文字対象a[la lettre petit a]として特徴づけられる。そして骨象はこの対象a[ petit a]に還元しうる…最初にこの骨概念を提出したのは、フロイトの唯一の徴 trait unaire 、つまりeinziger Zugについて話した時からである。(ラカン、S23、11 Mai 1976)
後年のラカンは「文字理論」を展開させた。この文字 lettre とは、「固着 Fixierung」、あるいは「身体の上への刻印 inscription」を理解するラカンなりの方法である。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe『ジェンダーの彼岸 BEYOND GENDER 』、2001年)
精神分析における主要な現実界の到来 l'avènement du réel majeur は、固着としての症状 Le symptôme, comme fixion・シニフィアンと享楽の結合 coalescence de signifant et de jouissance としての症状である。…現実界の到来は、文字固着 lettre-fixion、文字非意味の享楽 lettre a-sémantique, jouie である。(コレット・ソレール Colette Soler,Avènements du réel, 2017年)
享楽の固着とそのトラウマ的作用がある。fixations de jouissance et cela a des incidences traumatiques. (Entretiens réalisés avec Colette Soler entre le 12 novembre et le 16 décembre 2016)
反復を引き起こす享楽の固着 fixation de jouissance qui cause la répétition、(Ana Viganó, Le continu et le discontinu Tensions et approches d'une clinique multiple, 2018)

で、なんの話がしたかったというと、キャベツ頭バンザイ!さ。