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2020年5月31日日曜日

「高所の感覚」と「奈落の感覚」


雌鹿体験
私の母、アンリエット・ガニョン夫人は魅力的な女性で、私は母に恋していた。 (……)

ある夜、なにかの偶然で私は彼女の寝室の床の上にじかに、布団を敷いてその上に寝かされていたのだが、この雌鹿のように活発で軽快な女は自分のベッドのところへ早く行こうとして私の布団の上を飛び越えた。cette femme vive et légère comme une biche sauta par dessus mon matelas pour atteindre plus vite à son lit. (スタンダール『アンリ・ブリュラールの生涯』)

自分とは何であるかを問うたスタンダールのこの自伝の、少なくともこの箇所は額面通り読みたい。幼児期、母の股の間への固着という「不変の個性刻印」をもった作家として。

幼児期の病因的トラウマ [ätiologische Traumen]は…自己身体の上への出来事 [Erlebnisse am eigenen Körper ]もしくは感覚知覚[Sinneswahrnehmungen] である。…また疑いなく、初期の自我への傷 [Schädigungen des Ichs ]である。
…これは、トラウマへの固着 [Fixierung an das Trauma]と反復強迫[Wiederholungszwang]の名の下に要約され、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印[ unwandelbare Charakterzüge]と呼びうる。(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3」1938年ーー「フェティッシュはリアルの窓」)


プルーストはスタンダールの小説群に「高所の感覚」を読んでいるが、初めてこれを読んだとき、たしかに!と強く頷いたものだ。

高所の感覚[sentiment de l'altitude]
あなたにはわかるんじゃないかな、スタンダールのなかの、精神生活とむすびついた高所の感覚[sentiment de l'altitude]といったものを。ジュリアン・ソレルが囚えられている高い場所[le lieu élevé où Julien Sorel est prisonnier]、ファブリスがその頂上にとじこめられている高い塔[la tour au haut de laquelle est enfermé Fabrice]、ブラネス神父がそこで占星術に専念し、ファブリスがそこから美しいながめに一瞥を投げる鐘塔[l'abbé Barnès s'occupe d'astrologie et d'où Fabrice jette un si beau coup d'œil]。あなたはいつかぼくにいったことがあってけれど、フェルメールのいくつかの画面を見て、あなたによくわかったのは、それらがみんなおなじ一つの世界の断片だということであり、天才的な才能で再創造されてはいても、いつもおなじテーブル、おなじカーペット、おなじ女、おなじ新しくてユニークな美だということだった、つまりその美は当時には謎であって、その当時にもしもわれわれが主題の上でその美をほかにつなぐのではなく色彩が生みだす特殊の印象だけをひきだそうとしても、その美に似たものはほかに何もなく、その美を説明するものはほかに何もなかったということになるんですよ。(プルースト『囚われの女』)



とはいえ幼児期、スタンダールと同じ雌鹿体験をもった蚊居肢散人の場合は、スタンダールとは異なり、なぜか高所恐怖症なのである。見る角度が違ったんだろうか。それとも股の間の具合が異なったんだろうか。



高所恐怖症 Höhenphobien
外部(現実)の危険[äußere (Real-) Gefahr] は、それが自我にとって意味をもつ場合は、内部化Verinnerlichungされざるをえないのであって、この外部の危険は寄る辺なさ(無力さHilflosigkeit)経験した状況と関連して感知されるに違いないのである。
注)自我がひるむような満足を欲する欲動要求 Triebanspruch は、自分自身にむけられた破壊欲動 Destruktionstriebとしてマゾヒスム的でありうる。おそらくこの付加物によって、不安反応 Angstreaktion が度をすぎ、目的にそわなくなり、麻痺する場合が説明される。高所恐怖症 Höhenphobien(窓、塔、断崖)はこういう由来をもつだろう。そのかくれた女性的な意味は、マゾヒスムに近似している ihre geheime feminine Bedeutung steht dem Masochismus nahe。(フロイト『制止、症状、不安』最終章、1926年)


蚊居肢子は、不幸にも「高所の感覚」とは逆の「奈落の感覚」という不変の個性刻印が刻まれてしまったのである。


奈落の底感覚
内側に落ちこんだ渦巻のくぼみのように、たえず底へ底へ引き込む虚無の吸引力よ……。最後になれぞそれが何であるかよくわかる。それは、反復が一段一段とわずかずつ底をめざしてゆく世界への、深く罪深い転落でしかなかったのだ。(ムージル『特性のない男』)


でもスタンダールだってほんとうはこっちのほうじゃないかとプルーストに反して疑ってみる仕方だってある。


ヒッチコックは自ら語っているように、母への強い固着をもった映像作家である。