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2020年12月28日月曜日

女に惚れて会社辞めた

 いやあちょっといい話だな、吉岡実。途中端折ったけど。女に惚れて会社辞めるなんて。このくらい気合いを入れて惚れないとな。小林秀雄の、女に惚れて自殺未遂したって話も好きだけどさ。最近の若いもんは気合い入れて惚れてんだろうか、おい、グズグズ言ってんじゃないよ、そこの若いの。


二十歳の時から現在まで、私は約二十年の間、戦争期をのぞき詩を書いてきた。そして《液体》《静物》《僧侶》の三冊を刊行した。私は或る時、不思議といえないまでも奇妙なことを発見した。三冊の詩集に、女へ捧げた詩が一篇ずつ入っているのだ。これは意識的にそうなったのではなく、その時期、その精神状態から、偶然そうなったと思える。《液体》には、中村葉子という女にこんな詩を献じている。


溶ける花


春の葉脈に神々が膨張している

金貨の見える丘よ

聖書の上で海盤車がひかる

扉をひらくと青空が一枚

浴室の石鹸の泡にぬれる

風見鳥は夜へまわり

少年たちは白い皮膚へ沈んでゆく

天使の頭のあたりに漂着する

穴のある靴下と蝶

猫の睡液で花が溶けていた


この二十年前の幼稚な詩を捧げた中村葉子は、大げさにいうなら、私の人生にとって最初の異性、すなわち初恋の人。そのころ、私は本郷の医書出版社N社に住みこみで働いていた。そこへ、はじめて女子社員が二人はいってきた。中村葉子とFという子である。青春期の男ばかりの世界へ、少女だといえ天性のなまめかしさを持った異性が現われたからたまらない、同僚の間で暗闘がはじまる。中村葉子は、私にとって、石坂洋次郎の《若い人》の江波恵子と二重映しの人物だった。


あどけなさと媚態、高慢と蓮っ葉な性格、そして江波恵子的な実生活の暗い翳を秘めている。私とKとが彼女をあらそうかたちになっていた。私は彼女をきびしく窘めながら愛し、Kは猫撫声で追従した。ある夏の夜、湯島天神の縁日で美しい浴衣姿の彼女とKの連れ立っているのを垣間み、私は敗北をさとり間もなくN社を去った。それから二年後、私の出征を知って、中村葉子が訪ねて来た。かりんとうを土産に。母が、むすこに会いにきた最初の女性にうろたえたのが今でも目に見える。隅田川のほとりを歩き、浅草の観音様の裏を通り、クリームソーダを飲み、入谷の彼女の家の近くで別れた。私はこの恋の可能性を信じた。だが私は二日後には入営し、満洲へ出征したのだ。〔・・・〕


この初秋、N社時代の友人がきて、中村葉子が君に会いたがっていると伝えた。そして電話番号を知らされた。敗戦・帰還後、さがしもとめていた葉子。ある時は病んで湘南方面にいるとかきき、あるときは主人と離別したとかきいていた。それから十六年、入谷で別れてから二十年の歳月がすぎている。銀座のバーのマダムとのことだが、私は不幸にして飲めないから、静かな所で逢うだろう、もしかしたら逢わぬだろう。兄貴にすすめて、ひそかに彼女の名をつけた姪葉子も今年は二十歳で、別れた時の彼女の年齢をこしているのも、奇異な想いにかられる。(吉岡実「女へ捧げた三つの詩」1961年)



「あどけなさと媚態、高慢と蓮っ葉な性格」ーーこれだなあ、一番やられるのは。



お島のきびきびした調子と、蓮葉な取引とが、到るところで評判がよかった。物馴れてくるに従って、お島の顔は一層広くなって行った。(徳田秋声『あらくれ』)



ま、もちろん最近の女はタチが悪いのが増えたんだろうけどさ。


かつてのフェミニストたちのアイコン、ノーベル文学賞作家のドリス・レッシング はーーポリコレフェミに反吐が出て?ーー20年前こう言ってるけどさ、最近はますますそうだろうからな。


男たちはセックス戦争において新しい静かな犠牲者だ。彼らは、抗議の泣き言を洩らすこともできず、継続的に、女たちに貶められ、侮辱されている。(Doris Lessing 、Lay off men, Lessing tells feminists、Guardian, 2001)