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2020年12月30日水曜日

日本という特殊な国における女たちの愛

まず 日本は特殊な国だということはある(欧米基準から言って、という意味で)。



単純に婚外子比率だけで比較はできないにしろーー欧米では結婚せずに子供を育てているパートナー関係もそれなりにあるだろうからーー傾向としては「父なき時代」だ。

他方、日本というかアジアは依然「父あり」地域だな、韓国も頑張ってるね。



中国のデータはざっと検索する限りでは行き当たらないが(日本韓国よりはいくらか比率は高いかもしれないが)似たようなものだろう。

本来、欧米にような一神教的地域は父の名のエリアであり、アジアのような多神教的地域は、父の名の機能が弱いエリアだったんだが、身近な家族制度の様相においては欧米とアジアは逆転している。

ラカン的には父あるいはエディプスコンプレクスは症状だ。

父は症状である。le père est un symptôme(ラカン, S23, 18 Novembre 1975)

エディプスコンプレクス自体、症状である。父の名がすべてが支えられる名の父である限りで。Le complexe d'Œdipe, comme tel, est un symptôme. C'est en tant que le Nom du Père est aussi le père du nom que tout se soutient,(ラカン, S23, 18 Novembre 1975)


で、《父の蒸発 évaporation du père》(ラカン Note sur le Père1968年)があれば、症状が隠蔽していた底部の身体的な享楽が露顕する。


エディプスの失墜において…超自我は言う、「享楽せよ!」と。au déclin de l'Œdipe …ce que dit le surmoi, c'est : « Jouis ! » (ラカン, S18, 16 Juin 1971)


愛ももちろん症状。

愛の結びつきを維持するための唯一のものは、固有の症状である。Restent alors seulement les symptômes particuliers pour sustenter les liens d'amour. 


享楽は関係性を構築しない」という事実、これは(症状としての愛の根にある)リアルな条件である。la jouissance ne se prête pas à faire rapport. C'est la condition réelle(コレット・ソレール Colette Soler, Les affects lacaniens , 2011)


だから父なき世代では愛のデフレがある。


現代的女性は、男を対象aにする。彼女は男に言う、あなたは単なる享楽の手段に過ぎないと。これは、協力し合って、愛のデフレをもたらしている。La femme moderne tend aujourd'hui à faire de l'homme un objet a. Elle lui dit tu n'es qu'un moyen de jouissance. Cela va de pair avec une certaine dévalorisation de l'amour.. (J.-A. Miller, L'os d'une cure, Navarin, 2018)


愛が症状という意味は、愛は対象aの隠喩あるいは見せかけということ。


愛は隠喩である。われわれが隠喩を「代理」として識別する限りで。l’amour est une métaphore, si tant est que nous avons appris à l’articuler comme une substitution  (Lacan, S8, 30  Novembre 1960)

愛自体は見せかけに宛てられる [L'amour lui-même…s'adresse du semblant]。…このイマジネール[i-maginaire]な見せかけとは、欲望の原因としての対象aを包み隠す自己イマージュの覆い[l'habillement de l'image de soi  qui vient envelopper l'objet cause du désir]の基礎の上にある。(ラカン、S20, 20 Mars 1973、摘要訳)


要するに前回示したように《愛について語ることができるためには、「a」の機能は、イマージュ・他の人間のイマージュによってヴェールされなければならない。》ーー愛のヴェールのマテームは、i(a) 。




想像界から来る対象、自己イマージュによって強調される対象、すなわちナルシシズム理論から来る対象、これが i(a) と呼ばれるものである。c'est un objet qui vient tout de même de l'imaginaire, c'est un objet qu'on met en valeur à partir de l'image de soi, c'est-à-dire de la théorie du narcissisme, l'image de soi chez Lacan, s'appelle i de petit a.(J.-A. MILLER, - L'Être et l 'Un   - 09/03/2011)


より厳密に言えば次の通り。


「享楽の対象」は、「防衛の原因」かつ「欲望の原因」としてある。というのは、欲望自体は、享楽に対する防衛の様相があるから。l'objet jouissance comme cause de la défense et comme cause du désir, en tant que le désir lui-même est une modalité de la défense contre la jouissance 〔・・・〕


享楽の対象[l'objet jouissance]は幻想においていかに隠蔽されるか。とくにそれが愛の様相[la modalité de l'amour]となる時に。〔・・・〕

享楽の対象が幻想において隠蔽される二つの様相がある[il y a deux modes sous lesquels l'objet jouissance peut être caché dans le fantasme]。一方はi (a) の下、他方は「大文字の他者[l'Autre]」の下である。この二つの関係は想像界と象徴界である。そして現実界の審級にある欲動の享楽対象[l'objet jouissance de la pulsion]が底部にある。(J.-A. Miller, LES DIVINS DETAILS, 3 MAI 1989)





繰り返せば《父は症状 le père est un symptôme》(Lacan , S23, 18 Novembre 1975)であり、《症状は隠喩 le symptôme est métaphore  》(J.-A. MILLER, L'ÊTRE ET L'UN, 09/03/2011)であり、《愛は隠喩 l’amour est une métaphore, (Lacan, S8, 30  Novembre 1960)である。


別の言い方をすれば、愛とはヒステリー 女によって支えられていた。


「ヒステリー女が欲するものは何か? ……」、ある日ファルスが言った、「彼女が支配するひとりの主人である」。深遠な言葉だ。ぼくはいつかこれを引用してルツに言ってやったことがあったが、彼は感じ入っていた。 (ソレルス『女たち』)

ヒステリーの欲望は、父の欲望の支えになることだ。le désir de l'hystérique, c'est de soutenir le désir du père   (Lacan, S11, 29  Janvier  1964)

実にひどく奇妙だ、フロイトが指摘しているのを見るのは。要するに父が最初の同一化の場を占め[le père s'avère être celui qui préside à la toute première identification]、愛に値する者[celui qui mérite l'amour]だとしたことは。


これは確かにとても奇妙である。矛盾しているのだ、分析経験のすべての展開は、母子関係の第一の設置にあるという事実と[tout ce que le développement de l'expérience analytique …établir de la primauté du rapport de l'enfant à la mère.  ]…


父を愛に値する者とすることは、ヒステリー者の父との関係[la relation au père, de l'hystérique]における機能を特徴づける。我々はまさにこれを理想化された父[le père idéalisé]として示す。(Lacan, S17, February 18, 1970)


父なき時代には女が享楽女になってしまう傾向にある。したがって愛のデフレが起こる。でも日本のような特殊の国ではヒステリー女がまだまだたくさんいるね、悪い意味では決してなく。ツイッターなんか覗くとつくづくそう思うよ、


男のほうはどうなのか。父なき世代の男、父の隠喩なき世代の男は。


ボクは自ら以外の男の一般論についてはあまり興味なく詳しくないが、ここではこう引用しておこう。

父の隠喩は母を女に変える。La métaphore paternelle transforme la mère en femme…


(隠喩なき)父の機能は(隠喩とは反対に)女を母にするように見える。La fonction paternelle semble alors faire (contrairement à la métaphore) d’une femme une mère. (Sylvette PERAZZI , LES TROIS PERES ou la fonction paternelle, 2019)


quoad matrem(母として)、つまり女というものは、母として以外には性関係へ入ることはない。quoad matrem, c'est-à-dire que La femme n'entre en fonction dans le rapport sexuel qu'en tant que la mère (ラカン, S20, 09 Janvier 1973)

男は女になど興味ない、母がいなかったら[un homme soit d'aucune façon intéressé par une femme s'il n'a eu une mère. ](ラカン、Conférences aux U.S.A, 1975)