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2021年2月5日金曜日

「創造の病い」あるいは「卑近な一例」


中井久夫の『治療文化論』(初出1983年)の第5章「「個人症候群」という概念において」第5節 「「創造の病い」の再検討」には、卑近な一例として、中井久夫の知己の例が掲げてある。実は私はこの「知己」を知っている。


まず「卑近な一例」の記述箇所を引用する。


(2)卑近な一例


知己を挙げるのはどうかと思うが、許しを得て、一つの例を挙げておこう。その人の場合、かりに「例外状態」といっておくものは必ず困難な課題とともにやってくる。自分にはこなせそうもないが、しかし自分は逃れられそうもないという感じに圧倒され、課題から逃れたいと思い、逃れねばならぬと感じつつ、代って引き受けてくれる同僚友人が見当たらないのを腹立たしく思う。実際はそういう人が彼には見えなくなるのだ。その時の彼はいくぶん被害的で、自分の孤立無援に対して他を責めたい気分であるのだろう。もっとも具体的な他者でなく、ほとんど運命に近い、無人称的ななにものかに対してというほうが当たっている。


そのうちに、課題に対する無力感、絶望感が限度を超え、「論理が尽き果ててただ肉体を差し出している」と表現したい状態になる。課題に金縛りとなりつつ答えのない問いを浴びせられつつ、おそらく理解不能なものを理解しようと努めるうちに、不眠と超覚醒がはじまる。奇妙な超覚醒であって、たとえば、はるかな過去の個人的な心理的外傷がついに昨日のことのように切実に、そして細部までくっきりと鮮やかに思い出される。バートランド・ラッセルの『自伝』によれば、危機の最中に庭の冬枯れの芝生のところを過去の重要人物が次々に通ってゆくのが見えたそうである。これを「パノラマ現象」というが、今の場合は、時間と空間は混乱し奇妙な結合をはじめる。それと同時にーーということはこの人の病いはウィーナーのほうに近いということだがーーこれまでに経験した具体的課題がカタログのように同時的に並んで「見え」たり、過去に読んだ本の内容が背表紙を見ただけで思い出せる。「超限記憶〔ハイパームネジア〕」といわれる現象であるが、これは「空間的パノラマ現象」といってよいであろう(そもそもパノラマとは空間的なものだが)。やがて断片化が起り、同時に思いがけない結合が見られ、さらに結合が結合を生んで、応接にいとまがなくなる。超限記憶に耐えられなくて、本の背をすべて引っくり返して小口が見えるようにしたことがある。


これは非常に苦痛な状態であり、また、周囲にも「いつもの彼と違う」と分るが、日常生活と仕事はつづけられており、時にはふだんよりはげしく仕事をする。仕事にはややムラが生じるが、同時にふだんにない冴えを示す。ふしぎにも、この頃になると課題はあまり問題とならなくなる。課題の重さは、どこかで彼のパースナルな問題と構造的相似性があるからかもしれない。彼は課題の「前」から「中」へ入ったということができる。「日常生活と仕事の継続が『創造の病い』を通過するために重要である」とエランベルジュは書いている。病いが「エンジンの回転」を妨害して停めてしまうか、回転のエネルギーに活用されるかの分れ目である。ウェーバーやフェヒナーのように全く停止してしまう場合もあるが、彼らは、仕事を継続したユングやフロイトよりも誇大的で現実と相渉らないものを作ったといえなくもない。(ウィーナーの場合は激烈だが短期間だった。)


より重要なのは、状態のいかんでなく、一般の危機の時にそうなのだが、伴侶と友人と知己が彼を見放さないことであるらしい。この例の決め手の一つは、そうであった。一般に病いの状態を孤独で耐えとおすことは実に困難である。


 この例は大して創造的なものを残さなくて終る。それでも、ふだんはどこかに分散していた体験や知識が同時的に見え、そして思いがけない相〔アスペクト〕で結合するのであるから、この状態の終末期に生まれる仕事は狭いサークルの中で比較的強い印象と高い評価を与えられたそうである。もっとも本人は自信があるどころか、全く駄目だと悩む。この一時期は一種の快癒感があり、周囲の色彩が生き生きとして世界が美しく見え、幼い家族とよく遊んだりするが、ふだんよりも遊びの呼吸が上手になる。


これで終れば万事よしだが、そのあと、軽い抑うつ気分が数カ月続き、「頭が十分働かない」(「六割あたま」などといっている)、「このまま駄目になるのではないか」と思うそうである。それは必ずしも外見と一致しない。外からみればかなりちゃんと仕事を続けている人である。


二十代後半、三十代後半、四十代半ば、と三回経験しているところが、エランベルジュのいう「創造の病い」と異なる。新境地に出られず、その代り、大きな人格変化はみられない。不全型のゆえんで、「根本的解決」にならないから繰り返すのだろう。((中井久夫『治療文化論』第5章「「個人症候群」という概念において」第5節 「「創造の病い」の再検討」初出1983年ーー岩波同時代ライブラリー1990年、 P59-62)




 上にあるように「この人」は、《過去に読んだ本の内容が背表紙を見ただけで思い出せる「超限記憶〔ハイパームネジア〕といわれる現象》に襲われるそうである。そして《超限記憶に耐えられなくて、本の背をすべて引っくり返して小口が見えるようにしたことがある》ともある。


……私の本棚の本の表紙を眼にすると、それだけでその本の内容が思い出されて、邪魔になってしかたがなく、ついに(当時の家は狭かったので)本を裏向きにして表紙を見えないようにしなければならないことがあった。このヒペルムネジー(想起力昂進)はいささか危ない状態であったと思うが、本の表紙が読んだ内容の想起を促すサブリミナルな刺激を与え続けていることに早くから私は気づいていた。本を売るとてきめんに内容を忘れるからである。(中井久夫「記憶について」初出1996年『アリアドネからの糸』所収 P126)




……………


「創造の病い」は中井久夫が師とするアンリ・エランベルジェが提唱した概念である。エランベルジェはその例としてフェヒナー、フロイト、ユングを掲げているそうだ。


その記述がある上の「卑近な一例」の直前の箇所も引用しておこう。


(1)「創造の病い」(エランベルジェ)


 すでに少し触れたごとく、中山ミキや出口ナオあるいは北村サヨの対応物を近代西欧において求めるとすれば、エランべルジェ(エレンベルガー)のいう「創造の病い」となるであろう。実際エランベルジェの発想のもとはシャーマンである(「岩波講座 精神の科学」別巻の氏の論文参照)。「天才」は近代西欧において、神的なものの位置を占めてきたからである。エランベルジェはフェヒナー、フロイト、ユングを挙げている。私の知る限り、ウェーバーとウィーナーを追加しても確実に正しいであろう。 病磧学の世界からはさらに多くの追加があると思う(「岩波講座 精神の科学』9「創造性」参照)。


「創造の病い」はその提唱者によれば、抑うつや心気症状が先行し、「病い」を通過して、何か新しいものをつかんだという感じとそれを世に告知したいという心の動きと、確信に満ちた外向的人格という人格変容を来たす過程である。科学史家クーンの、みずからは否定したが世の中に通用しつづけている概念を借りれば、一般に「通常科学者」が「創造の病い」を経て「パラダイムをつくる科学者」に変容するといえよう。フロイトも、若き日は神経学を専攻する「通常科学者」であり、ユングも「言語連想テスト」などを考案しており、大いに通常科学者的な面を持っていた。


興味深いのは「創造の病い」が通常の疾病分類に入りえないことである。フェヒナーはうつ病だそうであり、フロイトは神経症、ユングはほとんど分裂病に近かったであろう。ウェーパーは重症うつ病だとされる。ウィーナーは何と肺炎に起因する症候性精神病である。おそらく、分裂病・うつ病と推定された人も含めて、多少の意識混濁あるいは意識変容が必要なのであろう。「創造の病い」においては何らかの形の意識混濁あるいは変容が伴うと私は思うのだが、その理由は、それなくしては、過去と現在と未来とが一望の下に見えるような、そして、その中で、創造的な仕事の条件である「思いがけないもの結合」が起らないからであろう。もっとも詳細な記述はウィーナーの自伝にあり、個人的な、師との確執と異性への想いと数学的な問題とが混淆して脳裡に乱舞するのである。意識障害は、神経症とされるフロイトにもあるようで、病いの初期、患者の治療中に、自分が(あるいは患者が)患者のことを語っているのか自分のことを語っているのか、しばしば分らなくなったそうである。いささかシャーマニスティックな治療者を思わせるエピソードではないだろだろうか。


おそらく(科学的)「創造の病い」が、そのようないったん「通常科学者」になるというコースを辿るのは、はじめから「パラダイムをつくる科学者」として科学者の世界に入ることは、おそらくアインシュタインを例外として、科学者の世界のルールが許さないという理由だけではないだろうか。その期間に、彼は通常科学をいわば一つの防衛の道具として鍛え上げる。しかし、ある時期に、それでは現実にそして自己に対処できなくなる。(宗教的)「創造の病い」でもことは同じく、ミキの『超限的にけなげな嫁』の姿は彼女の鍛え上げた鎧であろう。


「創造の病い」を科学者から宗教家まで拡げたが、彼らが少数者であるのは、科学においても宗教においても変らない。しかし、(宗教的)「創造の病い」において触れたごとく、(科学的)「創造の病い」においても、不全型というか、生み出したものがマイナーである場合がはるかに多いであろう。(中井久夫『治療文化論』第5章「「個人症候群」という概念において」 第5節 「「創造の病い」の再検討」初出1983年)




上に《意識障害は、神経症とされるフロイトにもあるようで、病いの初期、患者の治療中に、自分が(あるいは患者が)患者のことを語っているのか自分のことを語っているのか、しばしば分らなくなったそうである。いささかシャーマニスティックな治療者を思わせるエピソードではないだろだろうか。》とあった。


これはデュラスも似たようなことを言っている。


私はひとり、でも声があらゆるところで私に語りかけてくる。そこで・・・ この溢れ出すような感覚をほんの少し知らせようとしているの。長いこと、私は、あれを外部の声だと信じていたけど、今ではそう思っていない。 あれは私なのだと思う。 ( 『マルグリット・デュラスの世界』)

書くときに私が到達しようと努めているのは、おそらくその状態ね。外部の物音にじっと耳を澄ましている状態。ものを書く人たちはこんなふうに言う、 "書いているときは、集中しているものだ" って。私ならこう言うわ、 "そうではない、私は書いているとき、完全に放心しているような気がする、もう全く自分を抑えようとはしない、私自身、穴だらけになる、私の頭には穴があいている" と。(デュラス/ポルト『マルグリット・デュラスの場所』)



山中康裕は中井久夫について「いささかシャーマニスティックな」話をしている。


山中康裕)「先生は『僕は患者さんにはあまり訊かないし、しゃべらないし、黙っていることが多いんだよね』とおっしゃるのですが、それはまったく嘘です。」


 「診察中に、隣の診察室の中井先生の声がうるさくて僕の患者さんの声が聞こえないので、先生もうちょっとしゃべらずに静かにしてくださったらいいのになあ、と思ったことが何度かあるのです。」


 「そういう時に、診察が終わってから『先生、もう少し声のボリュームを下げて頂けないでしょうか』と申し上げたら、『山中くん、僕はしゃべっていないよ』と必ずおっしゃったのです。」


 「あの時、僕が思ったのは、先生ご自身としてはしゃべっていないおつもりなのです。だけど独り言が出るのです。これは僕なりの考えなのですが、その独り言が患者さんにとってはすごくいいのです。ですからしゃべってはいけないという意味ではないのです。」(座談会「中井久夫に学ぶ」『中井久夫の臨床作法』2015所収)



最後に一般論としてもう一度中井久夫自身から引用して終える。


うまくいっている面接においては「自分」が透明になり、ほとんど自分がなくなっているような感覚があり、ただ恐怖を伴わないのが不思議に思われるが、フロイトの「自由に漂う注意」とはこういうものであろうか。自分の行為の意味をいちいち意識する面接はたいていうまくいっていない。これは、自動車運転の初心者に起こることとおなじであろう。(中井久夫「統合失調症の精神療法」)




デュラスを引用して思い出したので、こうも引用しておこう。


何人〔じん〕であろうと、「デーモン」が熾烈に働いている時には、それに「創造的」という形容詞を冠しようとも「退行」すなわち「幼児化」が起こることは避けがたい。〔・・・〕


思い返せば、著述とは、宇宙船の外に出て作業する宇宙飛行士のように日常から離脱し、頭蓋内の虚無と暗黒とに直面し、その中をさしあたりあてどなく探ることである。その間は、ある意味では自分は非常に生きてもいるが、ある意味ではそもそも生きていない。日常の生と重なりあってはいるが、まったく別個の空間において、私がかつて「メタ私」「メタ世界」と呼んだもの、すなわち「可能態」としての「私」であり「世界」であり、より正確には「私 -世界」であるが、その総体を同時的に現前させれば「私」が圧倒され破壊されるようなもの、たとえば私の記憶の総体、思考の総体の、ごく一部であるが確かにその一部であるものを、ある程度秩序立てて呼び出さねばならなかった。(中井久夫「執筆過程の生理学」初出1994年『家族の深淵』所収)