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2021年2月6日土曜日

昇華と残滓


欲動の昇華ってのは、欲動は穴だから穴埋めってことだよ


欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する。il y a un réel pulsionnel […] je réduis à la fonction du trou.(Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)


厳密には穴は境界表象だけど、それを外して簡単に示せば次の通り。



ラカンは享楽と剰余享楽とのあいだを区別をした。これは、穴としての享楽[la jouissance  comme trou]と、穴埋めとしての剰余享楽  [le plus-de-jouir comme bouchon] である。(J.-A. Miller, Extimité, 16 avril 1986、摘要)

ラカンの昇華の対象[objets de la sublimation]は厳密に、剰余享楽の価値である。(J.-A. MILLER, L'Autre sans Autre, May 2013、摘要)



ーーだから穴埋めってのは剰余享楽。父の名も愛も享楽の穴の穴埋め。


享楽は、抹消として、穴埋めされるべき穴として示される。[la nécessité du plus-de-jouir pour que la machine tourne, la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou à combler. ](ラカン, Radiophonie, AE434, 1970)


父の名という穴埋め bouchon qu'est un Nom du Père  (Lacan, S17, 18 Mars 1970)

愛は穴を穴埋めする。l'amour bouche le trou.(Lacan, S21, 18 Décembre 1973)



ーー父の名は事実上、言語であり、言語による穴埋めということ(参照)。そして愛はイマジネール、言語はシンボリック。穴がリアル。誰にでも穴埋めがあるから、ヒトは剰余享楽の人生を送っている。


でも重要なのは穴埋めの残滓があるということ。つまり穴は十全には埋まらず、人にはみな自らのなかに異者がいるということ。


享楽は、残滓 (а)  による。la jouissance…par ce reste : (а)  (ラカン, S10, 13 Mars 1963)

異者は、残存物、小さな残滓である。L'étrange, c'est que FREUD…c'est-à-dire le déchet, le petit reste,    (Lacan, S10, 23 Janvier 1963)

異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である。corps étranger,[…] le (a) dont il s'agit,[…] absolument étranger (Lacan, S10, 30 Janvier 1963)


事実上、異者(異者としての身体)がラカンの本来の享楽のこと(フロイトの異物 Fremdkörper)。


現実界のなかの異物概念(異者概念)は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある。une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance (J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6  -16/06/2004)


この残滓を女、あるいは不気味なものーー最も親密でありながら自我の異郷にあるものーーというのであり、現物の女ではない(ま、いくら現物のところはあるが。つまりかつて最も親密だった母の乳房と母胎を抱えているのが女たちだから)。


ひとりの女は異者である。 une femme […] c'est une étrangeté.  (Lacan, S25, 11  Avril  1978)

異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである。…étrange au sens proprement freudien : unheimlich (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)



ーー簡単に言えば、こういうことだよ。つまり昇華とその残滓。