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2021年3月23日火曜日

あの乳房をにぎつたときや、母のかみの毛をくしやくしやにしたりしたとき


明治二十六年の八月朔日の朝、金沢の市街はづれの家並みがだんだん田畑に近づいてゆく裏千日町に、静かな果樹園にかこまれた家があつた。そこの奥座敷で、小間使のおはるさんが難なく美しい男の児を産んだ。そのとき、この家のあるじは六十に近い老齢ではあつたが、出産の室をきよめるため、魔除けの一腰を床の間に供えたりして、まめまめしく若い産婦をいたはつてゐた。(室生犀星「自叙伝奥書――その連絡と梗概について――」大正八年一二月号『中央公論』)


四歳くらゐまでは何一つ記憶してゐない。唯何かしら不分明ながらも、母の乳房をいじくつたことが今も指さきに記憶されてゐるやうである。〔・・・〕やはり畳だの障子だのの記憶がある。ことに柱につかまつてやつと立たうとした記憶がある。(しかしそれはその当時の自分になくて今私に醒された感覚かもしれない。)何かしら犬のやうな白い生きものの類や、青い木のやうなものもある。(室生犀星「自叙伝奥書――その連絡と梗概について――」大正八年)

私の性欲の眼覚めたいちばん初めを問ふ人があれば、やはり母の肉体から教へられたと答へる外はない。性欲がまだ生のまま、ほんのすこしばかりの芽をふいたころだ。あの乳房をにぎつたときや、母のかみの毛をくしやくしやにしたりしたときなどに、正しい性が育つてゆかうとしつつあつたのだ。三四歳で地上におろされた。(室生犀星「自叙伝奥書――その連絡と梗概について――」大正八年)




いやあ実に「正しい」記述だなあ、自伝的事実としては犀星研究者のあいだで議論があるにしろ。


大正八年とは西暦1919年で、1889年生まれの犀星30歳だ。ボクは30歳のときこんなこと毛ほども考えていなかったよ。


小児が母の乳房を吸うことがすべての愛の関係の原型であるのは十分な理由がある。対象の発見とは実際は、再発見である。Nicht ohne guten Grund ist das Saugen des Kindes an der Brust der Mutter vorbildlich für jede Liebesbeziehung geworden. Die Objektfindung ist eigentlich eine Wiederfindung (フロイト『性理論』第3篇「Die Objektfindung」1905年)

母の乳房の、いわゆる原イマーゴの周りに最初の固着が形成される。sur l'imago dite primordiale du sein maternel, par rapport à quoi vont se former […] ses premières fixations, (Lacan, S4, 12 Décembre 1956)


フロイトラカンは別に母胎への固着と解釈しうることを言うのだが(参照)、まずは母の乳房への固着でよろしい。


初期幼児期の愛の固着[frühinfantiler Liebesfixierungen.](フロイト, Eine Teufelsneurose im siebzehnten Jahrhundert, 1923)

母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への隷属(女への囚われの身)として存続する。Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. (フロイト『精神分析概説』第7章、1939年)


フロイトは、幼児期の享楽の固着の反復を発見したのである。 Freud l'a découvert[…] une répétition de la fixation infantile de jouissance. (J.-A. MILLER, LES US DU LAPS -22/03/2000)

私は、分析経験の基盤はフロイトが固着と呼んだものだと考えている。je le suppose, …est fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation.(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)


最も重要なのは、この母の身体への固着があるのは、男にとってだけでなく女にとってもそうだということだ。ここに男女の愛の非対称性がある。乳房と母胎を抱えた女がナルシシズム的愛になるのは必然であり、他方、男は母の代理人としての女への対象愛となる。


子供の最初のエロス対象は、この乳幼児を滋養する母の乳房である。愛は、満足されるべき滋養の必要性へのアタッチメントに起源がある[Das erste erotische Objekt des Kindes ist die ernährende Mutter-brust, die Liebe entsteht in Anlehnung an das befriedigte Nahrungs-bedürfnis.]。


疑いもなく最初は、子供は乳房と自己身体とのあいだの区別をしていない[Die Brust wird anfangs gewiss nicht von dem eigenen Körper unterschieden]。


乳房が分離され「外部」に移行されなければならないときーー子供はたいへんしばしば乳房の不在を見出す--、幼児は、対象としての乳房を、原ナルシシズム的リビドー備給の部分と見なす。[wenn sie vom Körper abgetrennt, nach „aussen" verlegt werden muss, weil sie so häufig vom Kind vermisst wird, nimmt sie als „Objekt" einen Teil der ursprünglich narzisstischen Libidobesetzung mit sich.]

最初の対象は、のちに、母という人物のなかへ統合される。この母は、子供を滋養するだけではなく世話をする。したがって、数多くの他の身体的刺激、快や不快を子供に引き起こす。身体を世話することにより、母は、子供にとって「原誘惑者ersten Verführerin」になる。[Dies erste Objekt vervollständigt sich später zur Person der Mutter, die nicht nur nährt, sondern auch pflegt und so manche andere, lustvolle wie unlustige, Körperempfindungen beim Kind hervorruft. In der Körperpflege wird sie zur ersten Verführerin des Kindes. ]


この二者関係には、独自の、比較を絶する、変わりようもなく確立された母の重要性の根が横たわっている。全人生のあいだ、最初の最も強い愛の対象として、後のすべての愛の関係性の原型としての母であり、それは男女どちらの性にとってもである。[In diesen beiden Relationen wurzelt die einzigartige, unvergleichliche, fürs ganze Leben unabänderlich festgelegte Bedeu-tung der Mutter als erstes und stärkstes Liebesobjekt, als Vorbild aller späteren Liebesbeziehungen ― bei beiden Geschlechtern. ](フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』第7章、1939年)


ーー母の乳房あるいは母は《喪われた子宮内生活を償ってくれる対象である Objekts …das verlorene Intrauterinleben ersetzen 》(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)



これは男女の愛において決定的なことだよ。もっとも人口子宮や人口授乳器、主夫が多くなればいくらか変わるだろうけど。


男性によっての男児の養育(例えば古代における奴隷による教育)は、同性愛を助長するようにみえる。今日の貴族のあいだの性対象倒錯(同性へのリビドー 固着)の頻出は、おそらく男性の召使いの使用の影響として理解しうる。母親が子供の世話をすることが少ないという事実とともに。(フロイト『性理論三篇』1905年)