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2021年4月6日火曜日

杏なる庭のあなたに


寺の庭


つち澄みうるほひ

石蕗の花咲き

あはれ知るわが育ちに

鐘の鳴る寺の庭



ーー室生犀星、大正七年


後年庭作りに丹念であった室生さんででもなければ、最初の一行「土澄みうるほひ」などと歌ひ起す詩人が、凡そ天地のひらけて以来他にはゐなかったであらうと思う。〔・・・〕その美の発端は、この「土澄み」にあった、その発見といっていい一種の呼吸に、私はいつまでも変らず惚れ惚れとしたものを覚える。(三好達治「土澄みうるほひ」『週間読書人』昭和三十八年)


三好が詩に於てつとに萩原朔太郎を宗としたことは周知のとほりだが、その詩境をうかがふに、年をふるにしたがつて、むしろ室生さんのはうに「やや近距離に」あゆみ寄つて来たのではないかとおもふ。萩原さんの詩はちよつと引つかかるところがあるけれど、室生さんの詩のはすらすら受けとれると、げんに當人の口から聞いたことがあつた。萩原さんをつねに渝らず高く仰いてゐた三好として、これは揣らずもみづからの素質を語つたものだらう。ちなみに、そのときわたしは鑑賞上それと逆だと應へたおぼえがある。また三好が酣中よくはなしてゐたことに、芥川龍之介は百發九十九中、室生犀星は百發わづかに一中だが、のべつにはづれる犀星の鐵砲がたまにぶちあてたその一發は芥川にはあたらないものだといつて、これにはわたしも同感、われわれは大笑ひした。つち澄みうるほひ、石蕗の花咲き……といふ室生さんの有名な詩は三好が四十年あまりにわたつで「惚れ惚れ」としつづけたものである。「つち澄みうるほひ」はまさに犀星の一發。このみがき抜かれたことばの使ひぶりは詩人三好が痩せるほど氣に入つた呼吸にちがひない。(石川淳「三好達治」『夷斎小識』所収)



庭は髪を結うてゐるひとのようであつた

庭は着ものを着かかつてゐるひとのようであつた

庭は湯にはいらうとするひとの恥らひを見せてゐた

庭は

庭はやさしく涙ぐんでゐるやうであつた


私は庭とけふも話をしてゐた

私は庭の肩さきに凭れてうつとりとしてゐた

私は庭の方でも凭れてゐることを感じた

私は誰よりも深く庭をあいしてゐた

私は

私は庭にくちびるのあることを知つてゐた


ーー室生犀星「春の庭」より 昭和十一年







庭は垣根と土を眺めるだけにしたい。樹をすくなく石も埋めてしまひたい。ただ掃くことだけ怠りなくして居れば庭は土だけで見られる。その掃くといふことは力がいるし時間がいる。〔・・・〕樹木を植ゑ石を移すことはもうしないが、掃くことだけが生きてゐるかぎり残されてゐる。庭は掃く事、雑草を抜く事、くもの巣を取る事、土を絨毯のやうにする事。

土にでこぼこのない事、垣根が床柱になる事、その他の事。(室生犀星「庭と花」昭和二十七年)



うすねむきひるのゆめ遠く

杏なる庭のあなたに

なにびとのわれを愛でむとするや

なにびとかわが母なりや

あはれいまひとたび逢はしてよ


ーー室生犀星「杏なる庭」より 昭和十八年







庭というものも、行きつくところに行きつけば、見たいものは整えられた土と垣根だけであった。こんな見方がここ十年ばかり彼の頭を領していた。〔・・・〕


彼は土を平手でたたいて見て、ぺたぺたした親しい肉体的な音のするのを愛した。土はしめってはいるが、手の平をよごすようなことはない、そしてこれらの土のどの部分にも、何等かの手入れによって、彼の指さきにふれない土はなかった。土はたたかれ握り返され、あたたかに取り交ぜられて三十年も、彼の手をくぐりぬけて齢を取っていた。人間の手にふれない土はすさんできめが粗いが、人の手にふれるごとに土はきめをこまかくするし、そしてつやをふくんで美しく練れて来るのだ。〔・・・〕


つまり彼に最後にのこったものはやはり庭だけなのだ、終日掃きながら掃いたあとのうつくしさが見たいばかりに、そのうつくしさに何かを、恐らく一生涯の落ちつく先をちらとでも見たいのだ、ばかばかしい話だが、そんなふうに言うより外はない。一生涯の落ちつく先を土に見たって何になるといえばそれまでだが、掃いたあとを見かえると、いままでにないものが現われている、毎日掃くのだから落葉とかゴミとかいう些細な固形物すら見当らないのに、やはりよごれがあった。その眼にとまらないものを掃き上げると、そこからべつな澄んだ景色が見えて来ていた。彼はその景色が見たいばかりに掃くのだ、いやなことを心にためておくと、どうにも心の置場のないような不愉快を感じるが、それを書いてしまうとさっぱりする、さっぱりした心持で何かをあらたに受けいれようとする構えに、するどい動きとも静観ともいいがたいものがある、あいつだよ、あんなふうなものが掃いたあとの、土の上に見られるのである。いろいろなものに取り憑かれ、さまざまなものに熱中して見たが、行きついて見るとつまり庭だけが眼に見えて来ていた、朝起きてから夕方まで眼の行くところは庭よりほかはない。ある意味でそれは庭であるよりも、一つの空漠たる世界が作り上げられていて、それが彼を呼びつづけているのだとでも、ふざけて言ったら言えるのだろう。(室生犀星「生涯の垣根」初出:「新潮」1953(昭和28)年)



童心


をさなきころより

われは美しき庭をつくらんと

わが家の門べに小石や小草を植ゑつつ

春の永き日の暮るるを知らざりき。


いま人となり

なほこの心のこり

庭にいでてかたちよき石を動かす。

寒竹のそよぎに心を覗かす、

われは疲れることを知らず。


ひとりかかる寂しきひそかごとを為しつつ

手をあらひまた机に向ひぬ。

このこころなにとて妻子の知るべき

まして誰にか語らんとするものぞ。


わが家の庭にさまざまの小草さかりて

みな花を着けざるはなかりしが

いまは花咲くものを好まず

わが好むは匂ひなく

色つめたき常磐樹のみ。


ーー大正十一年



よく固められ能く掃かれたゴミ一つこぼれてゐない土の平明平凡さが、いかに美しいものだかをつくづく知つて私は垣根と土を見ることにしたのである。(「樹木の悲しみ」)



砂塵の中


われは愛する庭を破壊せり、

自らその古色蒼然に倦怠を感ず、

されば此の日

ひそかなる微風の中に

石を起し樹木を倒伐せり

何ぞ我が情の悲しみあらんや、

石を起し苔を剥奪せるに

おのづから西方に風起り、

我が庭に濠々たる砂塵を上げて行けり。


ーー昭和三年




室生犀星 の"終の住まいと庭" 市川秀和, 2007, PDF 


………………


ファウスト(娘と踊りつゝ。)


いつか己ゃ見た、好い夢を。

一本林檎の木があった。

むっちり光った実が二つ。

ほしさに登って行って見た。    


美人


そりゃ天国の昔からこなさん方の好な物。

女子に生れて来た甲斐に

わたしの庭にもなっている。


メフィストフェレス(老婆と。)


いつだかこわい夢を見た。

そこには割れた木があった。

その木に□□□□□□があった。

□□□□けれども気に入った。    


老婆


足に蹄のある方と

踊るは冥加になりまする。

□□がおいやでないならば

□□の用意をなさりませ。


ーーゲーテ「ファウスト」 森鴎外訳


MEPHISTOPHELES (mit der Alten): 


Einst hatt ich einen wüsten Traum 

Da sah ich einen gespaltnen Baum, 

Der hatt ein ungeheures Loch

So groß es war, gefiel mir's doch.    


DIE ALTE: 


Ich biete meinen besten Gruß 

Dem Ritter mit dem Pferdefuß! 

Halt Er einen rechten Pfropf bereit, 

Wenn Er das große Loch nicht scheut.




……………………



私には今後これ以上のしごとは出来ないと言ってよい。(『杏っ子』あとがき、1957年)


「僕は正直にいっているんだがね、君に嘘を吐いて騙かす気はない、男というなまぐさいものを先ず君の前であらかた料理して、そして君をお膳の前につれてゆく、嘘の料理を食わせる父親がいたら、それが間違いのもとなんだ、僕は君への最後の友情というものがあったとしたら、僕は男だから僕の悪いところをみんな話したいくらいだよ、黙っている時ではないんだよ。」(室生犀星『杏っ子』第八章「苦い蜜」ー「みなれた顔」)


「わたくしきょう、つくづく女というものが厭になって来たんです、たった一人の男にかしずいて、何でもはいはい聞いているなんて何で引きずられているのかと思うと、それを断ち切りたい気がするわ。鎖みたいな物につながれているんですもの。」〔・・・〕


「抜け道はどこも此処も、男の側からいえば女の肉体で行き詰っているし、女の方も同様に男のそれで行き停まりだ。要は肉体を拒絶することにある。柔しいものも沢山要るが、対手方にうっかり乗らないことも必要だ。」〔・・・〕「いやはや、大へんな悪い親父になった気がするが、親切な親父というものはこのくらいの事は話さなければならないものだ、或る意味で凡ゆる親父というものは、娘の一生を採みくちゃにされない前に、知慧をしぼって教えることは教えて置いた方がよい、だがおれの説得はもうだいぶ遅れている。」(第九章「男ーーくさり」)


平四郎はもはや娘としてではなく、市井の女としての彼女をじろりと見た。そこに思慮分別を超越した人間としての、一個の物質に見入った。そしてこれは皆がこうなるのではなく女がそのために、いつもその生涯の大半を失っているからだ。どれだけ多くの女の人が此処で叫び声をあげられないで、荒縄でぐるぐる巻きにされて、おっぼり出されている事か、そのあたりに見よ、一個のきんたまを持った男が控えているだけである。この恐るべき約束事はふだんの行いに算えられている。(第十二章「唾」ー「荒縄」)




……………………




平静な、「晩年」という言葉に伴いやすい沈静したもの、安らかなもの、生活の流れて行く日々といったものは、衝突を避けて行く老年の知恵といったもののないのとともにそこにはなかつた。むしろ犀星において、それらと反対のところに彼の老年の知恵はあったといつていい。それはもう一度、『打情小曲集』、『愛の詩集』、『性に眼覚める頃』、『結婚者の手記』を通して五十年生きてきた命の中心のものを、七十になんなんとしてもう一度最後に生き返すことであつた。世俗の場合しばしば文学者について見てさえ、老年の知恵とか老熟とかいうことは繰り返しにつながつてくる。あるもの、ある然るべきものの繰り返し、人生上また芸術上の金利生活者ということがそこに出てきがちであるのに対して、この作家は、無一文の一人もの青年さながらの姿で、創造的一回的なものとしてこの生き返しにすすんで行った。上辺の形では、それは老年の知恵の逆だつたとさえいつていい。〔・・・〕くり返して、生き返しは繰りかえしではない。むろん蓄積はある。それは大きい。しかし創造は、現在にいたる蓄積を一擲してでなくて、全蓄積をそのまま踏み台にしての一歩前進である。『杏つ子』において犀星はほとんどデスペレートにそれを試みた。〔・・・〕


(『結婚者の手記』と比較して)『杏つ子』で問題はここからずつと進んでいる。家庭をまもるなとも破壊しろともいうのではない。ただ作者は、わが家庭と家族とをしらべ、新しい条件下で人間の間題をとらえようとした。『復讐の文学』、『巷の文学』、『あにいもうと』、『神 々のへど』の時期を経たものとしてそれをしたのである。作者はもはや小説、虚構ということにかまつていない。ほとんど自伝の体を取り、芥川龍之介、菊池寛などを本名で出し、物語りの展開から道草を食つて、あるいは食いすぎて、さまざまに感慨と意見とを存分に書きこんでいる。子を育てようとする人の親の、特に父親でもあるものの誠意と愚かさとを極限まで描き切ろうと作者はしている。何がこの間に経過して、それが何を残したかを、学者のようにしらべようと作者はしている。粗雑にいえば、作品よりも人生がさきというのがこれを書いている作者の姿である。それだから、大部分の家庭小説のいわゆる大団円はついに現れない。愚かな父親は千々に心を砕いてそれなりである。砕けつ放しである。あたつて砕けろという言い方は必ずしも誠実、計画を予想していない。この場合の平山平四郎は、あらゆる彼の誠実と計画とにおいてあたつて砕けている。そこが創造的一回的である。


こういう晩年は生活力に満ちた晩年といわなければならない。激烈な晩年、奮闘と斬り死との晩年といわなければならない。そこから無限の教えを汲み取ることができるとしても、一般的な規範、教条は、ひとかけらも引き出せぬというのが彼の晩年でありこれらの作品である。(中野重治「晩年と最後」『室生犀星全集』第十巻 後記 新潮社 昭和39年)


2021年3月30日火曜日

君は十四歳の膝といふものを僕に見せてくれたことがあるか

 「十四歳の膝」と言うと、ロリコンとか言う人がいるんだろうが、そうじゃない。だいたい男が最初に真に女に惚れるのは、ちょうどその年頃の年齢、かつまたその年頃の少女だ(ボクは小学校五年のときでいくらかはやい、ーーいやほかの人もこのくらいの年齢かも知れないが)。最初に惚れた女は忘れ難い。場合によって特に膝に惚れたり、腋の下に惚れたり、スカートからのぞく太腿に惚れたりする。パートナーの女がいくらいい女でも 「十四歳の膝」はない。


谷川俊太郎の詩に、「素足」というのがある。


赤いスカートをからげて夏の夕方

小さな流れを渡ったのを知っている

そのときのひなたくさいあなたを見たかった

と思う私の気持ちは

とり返しのつかない悔いのようだ


次の犀星の文を私はこういう文脈のなかで読む。


父親は話はこれから妙境にはいるのだと言ひ直し、娘を肘で小突いて見せたが、娘はわかつたわよ、あのことでせうと答へ、例の膝の頭から少しづつスカートに時間を置いて、上の方にずらせて行つた。上の方には十四歳の膝がきよらかな瞳をぱちくりやつて、あらはれた。見物人は一樣に自分の狼狽の氣色を見せまいとして、却つてあをざめた顏色になつた。それはさういふ處で見てはならないものであつて、見た者は一旦それを見たことによつて見ない以前にまで立ち還らなければならないものであつた。そこにまごついて收拾出來ない氣分の混亂があつた。娘の手はスカートを放さずにもつと上の方にまで、それをずり上げる氣はいを見せ、見物人はいま一息といふところで持前の横着な心を取り戻したのである。いまの先に味つた見てはならないものである氣配のきびしさはもう見えなかつた。見てやれ、このちんぴらのそれが何であらうと見てやれといふ圖太い氣が募り出して來た。娘はうたひ出した。夏草は生ひ、橋はかくれた、と、ただそれだけを何度も繰りかへしてゐた。そんな歌よりもつとスカートをあげろ、じらすな、おあづけするなんて、こつとら犬ぢやねえぞと或る者は少し醉つて呶鳴り、娘は顏をあからめスカートをずつと下ろして、膝も何も見えなくして了つた。 


恰度、うまいぐあひに日はさすがに次第に灰鼠色に暮れていつた。さあ、これからだと父親は帽子の裏を見せて、金を集めにかかつた。娘はこの街裏に巡査のすがたが、ないかどうかを警戒しはじめた。

「早く行かないとデパートが閉つてしまひますよ、お金までお出しになつて一體あの娘さんの裸を見るつもりなの、あきれた、あなたといふ人はまるで溝みたいに汚ない處につながつてゐるのね。」

「人間にはいつも偶然といふやつがあつて、それを逃がしてしまふと無味乾燥の地帶を歩かなければならないのだ。何もさう急いで此處を外す必要がない、三百圓といふ金で人間は駭いて、その駭きで見る物を見てゐた方が面白いのだ。」

「女をつれたあなたの、それが本音だと仰言るんですか、獨り者ならそんな氣になることも許せるんだが、あなたはちやんとした妻まで持つてゐて、まだ見たい物がそんなに澤山にあるんですか、まるで恥づかしいことを知らない方だ、あなたがゴミ箱のそばにいらつしやるのを、あたしがぢつと見てゐられるとお思ひになるんですか。」

では、君に質問するが、君は十四歳の膝といふものを僕に見せてくれたことがあるかどうか、いまこの機會をのがしたら僕は十四歳の膝を見ることが生涯にないのだ。」

「十四歳の膝に何があるの。」

「十四歳の膝自體は人間といふものを見たことがないのだ、人間がそれに乘ることが出來ないところに、やがては誰かが乘るまでの、無風状態が僕を惹きつけるのだ。嘗て人間の中の女はみなかういふところで、誰にも見られず本人も知らないで育つたといふことに、いま氣がつきはじめたのだ。たんにそれは清いとか美しいといふものではなく、ああ、能くそれまでにひそかに形づけられ成長したといふことで、人間がまれにおぼえる感謝といふものをひそかに受けとりたいのだ、そしてそれは君の十四歳といふ年齡にあと戻りして君を愛するもとにもなる。君は目前のいやらしさがたまらないといふのであらう、僕だつてこの少女の前では僕自身がどうにも厭らしくてならないのだ、併し僕のかういふ根性はここまで墮落してかからなければゐられないのだ。」

「ぢやごらんになるがいいわ、恥づかしくなかつたら。」

「恥づかしいからそれを揉み消すために、無理にも見物するのだ。」

「出來たらその不潔な眼をくり拔いてあげたい。」

「僕もいつもそれをねがつてゐるのだ、僕のセックスも引き拔きたいのだ。」

「あきれた。」

「この二匹のうはばみを見物してゐるのは僕や君ではなくて、實は僕や他のここにゐる連中がかれらから見られてゐるのだ。少女の前でいやおうなしに何かを白状してゐる僕らが、やはり同樣の何匹かのうはばみなんだ。」

「あなたはそんな下劣さをふだんには、うまく匿くしていらつしつたのね。何食はぬ顏つきで女のどんな部分でも見逃がすまいとしていらつしやる慾情が、あたしに嘔きたくなるくらゐ厭世的な氣持になるわ。あんな女の子の膝が見たいなんて、それは、まともな人間の考へだと思つていらつしやるんですか。」

「僕が拂ふ金であの子は何かが買へる。僕が見ないで通りすぎればあの子の收入がそれだけ減るのだ、僕自身だつて見ないより見た方がいい、美しい人間を見ることに誰に遠慮がいるものか。」「あたしがゐても、見たいんですか。」

「君がゐるから一そう見たいのだ、君にない物がここに存在してゐるとしたら、それを見るといふことも物の順序なんだ。」

「なさけない方だ。そんな方と肌を交はしてゐたことが取り返しのつかない氣がして來るわ。いまは見るかげもない一人の男としてのあなたを、その見るかげのない處からたすけ出すことがあたしには厭になつて來ました。あたしは何時もあなたのいやらしいところから、それをたすけるためにいろいろ苦心をして來たんですけれど、もうまるでそんな氣は打抛つて了ひました。ゆつくりご覽になつた方がいいわ。その眼が眞正面にいとけない女の子に對つてゐられたら、此處に殘つて見ていらつしやい。人間のまもらなければならないところに、そのまもりを破つても物を見ようとする心が、どのあたりできまりがつけられるかも、ついでに能く見て置いた方がいいわ。」

人間なんかに、物のきまりがあるものか。君の説得はそれきりなの。

「あさましい方だ。あさまし過ぎて白紙みたいな方だ。併しどうしてそれにいままであたしが氣がつかなかつたのか、寧ろあたしはそれを搜してみたい氣持なんです。」

「僕はそれでたくさんなのだ、品の好い人間にならうと心がけたことは、いまだ、かつて一度だつてないのだ。」

「では、あたしお先にまゐります。ゆつくりごらんになつてゐた方がいい。」

「何も先きに行かなくとも、二分間もあれば見られるぢやないか。」

「その眞面目くさつたお顏も、いままでに一遍だつて見たことがないお顏なんです。あなたにも、そんな懸命みたいなお顏をなさるときがあるのね。」

「あるさ、けふはそれが甚だしく現はれてゐるとでも、君はいひたいのか。」

「二分間であたしを失ふことになつたら、どう處置なさるおつもり。」

「この二分間がどんなに汚ないものであつても、君は去らないさ。」

「去つたとしたら?」

「去らないよ君は、かういふことで女が去るとしたら、女は一生涯去り續けなければならないものだ。」

「では行くわ。」

(室生犀星『末野女』初出:「小説新潮」1961(昭和36)年9月)





Éric Rohmer, Le Genou de Claire, 1970


怒るなよ、きみの膝だってとってもステキさ




……………

いくらか話を変える。


人はみな多かれ少なかれ愛においてフェティシスト的である。ほとんどの標準的愛においてフェティシズムの絶え間ない服用がある。Tout le monde est plus ou moins fétichiste en amour ; il y a une dose constante de fétichisme dans l'amour le plus régulier(アルフレッド・ビネー Alfred Binet『愛におけるフェティシズム Le fétichisme dans l'amour,』1887年)


これは現在の通念とは異なる。代表的なものは「女にフェティシストはほとんどいない」という通念である。とはいえフロイトにおいてフェティシズムは固着である(原初的には母の身体への固着[参照])。


もしこの観点を取るなら、フェティシズムは男にも女にもにある「我々の存在の核[ Kern unseres Wesen]」である。それはミシェル・レリスがジャコメッティ論で言っている通り。


フェティシズムは、最古代には、われわれ人間存在の基盤であった。le fétichisme qui, comme aux temps les plus anciens, reste à la base de notre existence humaine(ミシェル・レリス Michel Leiris, « Alberto Giacometti », ドキュマンDocuments, n°4, sept. 1929)


要するに一般化フェティシズムである。


排除の普遍性があるなら、ーー女というものとして(大他者の彼岸に)外立する排除の普遍性があるならーー、フェティッシュの普遍性もまたある。すなわち倒錯、ラカンが父とヴァージョンの二つの語をひとつにて記した「父の版の倒錯 père-version」である。〔・・・〕したがって女性のポジションは、一般化フェティシズムから逃れられないのが了解される。


il y a un universel de la forclusion qui ex-siste [siste au-delà de l'Autre] à l'instar de La Femme, il y a aussi un universel du fétiche, c'est-à-dire de la perversion, qu'on l'écrive en deux mots (père-version) ou en un seul. [...] La position féminine n'échappe pas au fétichisme généralisé ainsi entendu.(ピエール=ジル・ゲガーン Pierre-Gilles Guéguen, PSYCHANALYSE AU SIÈCLE DU FÉTICHISME GÉNÉRALISÉ , 2010)


父の名は母の欲望を隠喩化する。この母の欲望は、享楽の名のひとつである。この享楽は禁止されなければならない。我々はこの拒絶を「享楽の排除」あるいは「享楽の外立」用語で語りうる。二つは同じである。


Le nom du père métaphorise le désir de la mère […] ce désir de la mère, c'est un des noms de la jouissance. […] jouissance est interdite […] on peut aussi parler de ce rejet en terme de forclusion de la jouissance, ou d'ex-sistence de la jouissance. C'est le même. (J.-A. MILLER, - L'Être et l 'Un - 25/05/2011)



 Éric Rohmer, Pauline à la plage, 1983


ま、フェティッシュと呼ぼうが固着と呼ぼうがどちらでもよい。人にはみなそれぞれ固有の愛の条件の固着がある筈である。


愛は常に反復である。これは直接的に固着概念を指し示す。固着は欲動と症状にまといついている。愛の条件の固着があるのである。L'amour est donc toujours répétition, […]Ceci renvoie directement au concept de fixation, qui est attaché à la pulsion et au symptôme. Ce serait la fixation des conditions de l'amour. (David Halfon,「愛の迷宮Les labyrinthes de l'amour 」ーー『AMOUR, DESIR et JOUISSANCE』論集所収, Novembre 2015)



もっとも標準的には女性は男ほどにはフェティシストではない。そのかわりに被愛妄想的あるいはナルシスト的である。


ごく小さな特殊なもの、父や母の想起、あるいは兄弟や姉妹、あるいは幼児期における誰かの想起もまた、女性の愛の対象選択に役割をはたします。でも女性の愛の形式は、フェティシストというよりももっと被愛妄想的です。女性たちは愛されたいのです。愛と関心、それは彼女たちに示されたり、彼女たちが他のひとに想定するものですが、女性の愛の引き金をひくために、それらはしばしば不可欠なものです。


Des particularités menues, qui rappellent le père, la mère, le frère, la sœur, tel personnage de l'enfance, jouent aussi leur rôle dans le choix amoureux des femmes. Mais la forme féminine de l'amour est plus volontiers érotomaniaque que fétichiste : elles veulent être aimées, et l'intérêt, l'amour qu'on leur manifeste, ou qu'elles supposent chez l'autre, est souvent une condition sine qua non pour déclencher leur amour, ou au moins leur consentement. (J.-A. Miller, On aime celui qui répond à notre question : " Qui suis-je ? " 2010)


われわれは、女性性には(男性性に比べて)より多くのナルシシズムがあると考えている。このナルシシズムはまた、女性による対象選択 に影響を与える。女性には愛するよりも愛されたいという強い要求があるのである。Wir schreiben also der Weiblichkeit ein höheres Maß von Narzißmus zu, das noch ihre Objektwahl beeinflußt, so daß geliebt zu werden dem Weib ein stärkeres Bedürfnis ist als zu lieben. (フロイト『新精神分析入門』第33講「女性性」1933年)






2021年3月29日月曜日

男なんかに会ってもしようがない

このところドゥルーズをめぐっていくらか記したが、軌道修正しなくてはならない。犀星に戻ろう。

泌尿科は一階にあったから其処の待合室の大勢の外来患者の前を、私の手押車はしずしず通っていった。人々はこの患者にちょいと眼をくれただけで、何の反応もなく皆自分自身のことで一杯なのが、私にすぐ判って気安い思いであった。外来患者は丁度記念撮影でもするように一室の方向にむいて、順位を待っていたが私は急速に眼を走らせ、何物かを見出した。私が始終見ていたものでもっとも婉曲な形態を持ち、いままでにすっかりわすれていた物であった。それらは幾十人となく強くどっしりと眼にうけとられる物ばかりであって、私は一種のにわかに生ずる喘ぎさえおぼえたくらいだ。それは若い婦人達がうまく男性患者の間にはさまって、盛りあがるような勢でくみ合せた膝から下の裸の足だった。私はそれを暫く見ないでいて今突然に眼にいれるとそれがどんなにも、あつかましい程うつくしい物であることが判った。

相子や奥テル子の足は病室でも毎日見かけているが、他人行儀のよそさんの足を見たのは久しぶりであった。見られていることを知らないでいること、その無関心さであちこちに伸ばされ、くみ合されていて無限な優しいものがあった。常識のゆたかな紳士といわれるような人びとは決して私の表現するようなぐあいには言わないが、あの長いものをすらりと組み合せ、それに何の値をももとめないで在るがままに在らしめていることに、私はむねに痞えているものが一度に下りた気がした。(室生犀星「われはうたえども やぶれかぶれ」初出:「新潮」1962(昭和37)年2月1日号)


・・・だな、最後は女がいいよ。犀星は庭やら陶器やらに寄り道したみたいだけど。


私は寝台の上にあがると例によっておんなのことを考えようとする、時間の消える方法に没しようとしたが、この日どういうわけか、おんなという感覚がちっとも頭に来なくて、茫漠と捉えどころのないおんなのいないおんなの考えに出会した。これはこの日に初めて起ったものではなく、おんながうまく考えあてられたのはほんの二三日しかなくて、あとは今日のようにおんなはさっぱり現われて来ない日ばかりが続いていた。これは私にはもはや毎日おんなを考えようとしても、慾情が枯れかかっていることに原因があること、もはやおんなですら私のたすけになることが稀薄になっていることがわかり、無理にこの思いに突きこんでもむだであることを知った。(室生犀星「われはうたえども やぶれかぶれ」初出:「新潮」1962(昭和37)年2月1日号)


ーーこう書いて室生犀星は1962年3月26日に死去した。


Wikipediaには「3月1日虎の門病院入院」とあって注がついている。


見舞客のうち、福永武彦は面談して、辞去する際次にどこにいくつもりなのか、室生が気にしている有様だったが、中村真一郎は、「男なんかに会ってもしようがない。」と室生が娘に言ったため、ついに入室できなかった。(福永武彦「室生犀星伝」『現代日本文学館21 佐藤春夫・室生犀星』文藝春秋、1968年 pp.237-252、中村真一郎「詩人の肖像」『日本の詩歌15 室生犀星』中公文庫、1975年 pp.396-411)





…………

陶器にも女人陶器といふ言葉までつかつてゐる程であるから、たとへば高麗青磁の釉触の面からも、人間にたとへると女のすぐれた肢体が感じられてゐて、それから離れては青磁のうつくしさが完う出来ない。(室生犀星「鬼籍の素陶」 昭和三十二年五月一日「芸術新潮」)


ーー《庭だとて風景だとて、結局氏の『生きる希み』が生み出した愛着であるかぎり、結局は人間の女の美しさに還つてゆくのである。》(山本健吉「室生犀星ーー十二の肖像画」昭和三十七年)


この伝でいけば、詩自体、女の昇華である。


私はあなたを思って気が狂いそうになる。私は「気が狂う」と言った。このオブセッションは常軌を逸しているから。


Je deviens fou de penser à toi. Je dis « fou » car cette obsession se fait anormale.(Lettre de Paul Valéry à Jean Voilier, 7 juin 1939)




外傷は破壊だけでなく、一部では昇華と自己治癒過程を介して創造に関係している。先に述べた詩人ヴァレリーの傷とは彼の意識においては二十歳の時の失恋であり、おそらくそれに続く精神病状態である(どこかで同性愛性の衝撃がからんでいると私は臆測する)。


二十歳の危機において、「クーデタ」的にエロスを排除した彼は、結局三十年を隔てて五十一歳である才女と出会い、以後もの狂いのようにエロスにとりつかれた人になった。性のような強大なものの排除はただではすまないが、彼はこの排除を数学をモデルとする正確な表現と厳格な韻律への服従によって実行しようとした。それは四十歳代の第一級の詩といして結実した。フロイトならば昇華の典型というであろう。


しかし、彼の詩が思考と思索過程をうたう下にエロス的ダブルミーニングを持って、いわば袖の下に鎧が見えていること、才女との出会いによって詩が書けなくなったことは所詮代理行為にすぎない昇華の限界を示すものであり、昇華が真の充足を与えないことを物語る。


彼の五十一歳以後の「女狂い」はつねに片思い的で青年時の反復である(七十歳前後の彼が一画家に送った三千通の片思い的恋文は最近日本の某大学が購入した)。他方、彼の自己治癒努力は、生涯毎朝書きつづけて死後公開された厖大な『カイエ』にあり、彼はこれを何よりも重要な自己への義務としていた。数学の練習と精神身体論を中心とするアフォリズム的思索と空想物語と時事雑感と多数の蛇の絵、船の絵、からみあったPとV(彼の名の頭文字であり男女性器の頭文字でもある)の落書きが「カイエ」には延々と続く。自己治癒努力は生涯の主要行為でありうるのだ。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・記憶・外傷』所収)




人間の今日までの発展は、私には動物の場合とおなじ説明でこと足りるように思われるし、少数の個人においに 完成へのやむことなき衝迫[rastlosen Drang zu weiterer Vervollkommnung ]とみられるものは、当然、人間文化の価値多いものがその上に打ちたてられている欲動抑圧[Triebverdrängung]の結果として理解されるのである。


抑圧された欲動[verdrängte Trieb] は、一次的な満足体験の反復を本質とする満足達成の努力をけっして放棄しない。あらゆる代理形成と反動形成と昇華[alle Ersatz-, Reaktionsbildungen und Sublimierungen]は、欲動の止むことなき緊張を除くには不充分であり、見出された満足快感と求められたそれとの相違から、あらたな状況にとどまっているわけにゆかず、詩人の言葉にあるとおり、「束縛を排して休みなく前へと突き進むungebändigt immer vorwärts dringt」(メフィストフェレスーー『ファウスト』第一部)のを余儀なくする動因が生ずる。

(フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)




2021年3月26日金曜日

永い間、あたいを騙していたのね

 

「おじさまはそんなに永い間生きていらっして、何一等怖かったの、一生持てあましたことは何なの。」

「僕自身の性慾のことだね、こいつのためには実に困り抜いた、こいつの附き纏うたところでは、月も山の景色もなかったね、…」


「これは甚だ困難なしごとだ、ぺとついていて、まるでつまむ事は出来ないじゃないか。もっと、ひろげるんだ。」

「羞かしいわ、そこ、ひろげろなんて仰有ると、こまるわ。」

「なにが羞かしいんだ、そんな大きい年をしてさ。」

「だって、……」

「なにがだってなんだ、そんなに、すぼめていては、指先につまめないじゃないか。」

「おじさま。」

「何だ赦い顔をして。」

「そこに何かあるか、ご存じないのね。」

「何って何さ?」

「そこはね、あのね、そこはあたいだちのね。」

「きみたちの。」

「あのほら、あのところなのよ、何て判らない方なんだろう。」

「あ、そうか、判った、それは失礼、しかし何も羞かしいことがないじゃないか、みんなが持っているものなんだし、僕にはちっとも、かんかくがないんだ。」〔・・・〕


「でも、おじさまとキスはしているじゃないの。」

「きみが無理にキスするんだ、キスだか何だか判ったものじゃない。」

「じゃ、永い間、あたいを騙していたのね、おじさまは。」

「騙してなんかいるものか、まア型ばかりのキスだったんだね。じゃ、そろそろ、尾っぽの継ぎ張りをやろう。もっと、尾っぽをひろげるんだ。」

「何よ、そんな大声で、ひろげろなんて仰有ると誰かに聴かれてしまうじゃないの。」

「じゃ、そっとひろげるんだよ。」

「これでいい、」

「もっとさ、そんなところ見ないから、ひろげて。」

「羞かしいな、これが人間にわかんないなんて、人間にもばかが沢山いるもんだナ、これでいい、……」

「うん、じっとしているんだ。」

「覗いたりなんかしちゃ、いやよ。あたい、眼をつぶっているわよ。」

「眼をつぶっておいで。」

「おじさまは人間の、見たことがあるの。」

「知らないよそんなこと。」


「女のこころが判るものか、判らないから小説を書いたり映画を作ったりしているんだ、だが、ぎりぎりまで行ってもやはり判っていない、判ることはおきまりの文句でそれを積みかさねているだけなんだ。」〔・・・〕


「騙されるということは、気のつかない間は男に媚びているみたいなものよ、気がつくと、がたっと何処かに突き堕された気がしてしまうんです。」

「おばさまも突き堕されたのね。」

(室生犀星『蜜のあわれ』初出:「新潮」1959(昭和34)年1月~4月)





騙されないで人を愛そう、愛されようなんて思うのは、 ずいぶん虫のいい話だ。 (川端康成『女学生』)


愛はイマージュである。それは、あなたの相手があなたに着せる、そしてあなたを装う自己イマージュであり、またそれがはぎ取られるときあなたを見捨てる自己イマージュである。l'amour ; soit de cette image, image de soi dont l'autre vous revêt et qui vous habille, et qui vous laisse quand vous en êtes dérobée,(ラカン、マグリット・デュラスへのオマージュ HOMMAGE FAIT A MARGUERITE DURAS, AE193, 1965)




2021年3月24日水曜日

大宮でたべたべんたうは美味かつたなあ

 


永い服役で積まれた金が、この女の手に渡ることでは、少しもケチな氣にはならずに、金で女のからだの時間を自分のものにすることで、あまい融けるやうな氣持だつた。汽車の中で偶然に會ひ、そして打木田に手までにぎらせてくれたことで、厭だつた娑婆世界に難なくすべりこんだ嬉しさを感じたのだ、打木田は三年間にうれしい氣持といふものを、身をもつて迎へたことがない、うれしいこととは、どういふ事だか打木田から失くなつてゐる、だから、それがどういふことだつたか、まるで判らなくなつてゐた。出獄の日だつて鐵のとびらから辷り出ても、大してうれしい思ひはなかつた。もつと外のものでうれしい事があつた筈だつた。それが汽車で同席したこの女が、一どきに解きあかしてくれたのだ。うれしい事を一杯に手ににぎらせてくれたのである。

いまのおれにうれしいことは女にぴたつとくッつくことなのだ、そこで三年間のものを一度に打ち明けたい。女に分る筈のないおれの聲のかぎりの嗚噎が、おれが女を抱いてゐる間ぢゆう續いてゐるのだ、どんな偉い奴も、どんな美味いものもいまのおれにはいらない、おれにいるものはこの女のお腹や胸や足や、そしておれにはなしてくれる言葉なのである。まともな人間とつきあつてくれるものをいふのだ、そしておれの思ふままにしてくれるからだなのだ、この外におれのいるものに何があらう、何もない、この人のすぐにしたしくして呉れるものの外に、なにが娑婆にあるといふのだ、この女のほかにおれは何處に行つても、行くところは、どこもかしこも行停りなのだ、この女のあたたかいぐにやぐにやしたもの、そしてこのぐにやぐにやしたものの麗しさは、おれのからだに脈を打つてはいつて來るのだ、打木田は自分の顏にくつついてゐる女の顏をしげしげ見ていつた。……

「大宮でたべたべんたうは美味かつたなあ。」「鹽鮭がとてもおいしかつたわ、あんたつたら、あつといふ間に食べたぢやないの、あんなに早く人間がご飯を食べられるものかと思つたわ。」 打木田はうそは吐けない、あの辨當はたべてから、たべたことを知つたくらゐ、夢中でたべて了つてゐた。「おれがあんたの足の上に、足をのつけたのを知つてゐる?」「知つてゐたわ。」「何故外さなかつたの。」「お隣さんですもの、そんなことをしてあんたに厭な思ひをして貰ひたくなかつたわ。」「きみはいい人だね、こんな處にゐる人ではない。」

(室生犀星『汽車で逢つた女』初出:「婦人公論」1954(昭和29)年10月1日)



汽車のなかでの弁当はほんとにいいね、弁当だけじゃなくてさ。それも女づれだったらもっといい。新幹線じゃぜんぜんダメさ。



小津安二郎『浮草』1959年


2021年3月23日火曜日

あの乳房をにぎつたときや、母のかみの毛をくしやくしやにしたりしたとき


明治二十六年の八月朔日の朝、金沢の市街はづれの家並みがだんだん田畑に近づいてゆく裏千日町に、静かな果樹園にかこまれた家があつた。そこの奥座敷で、小間使のおはるさんが難なく美しい男の児を産んだ。そのとき、この家のあるじは六十に近い老齢ではあつたが、出産の室をきよめるため、魔除けの一腰を床の間に供えたりして、まめまめしく若い産婦をいたはつてゐた。(室生犀星「自叙伝奥書――その連絡と梗概について――」大正八年一二月号『中央公論』)


四歳くらゐまでは何一つ記憶してゐない。唯何かしら不分明ながらも、母の乳房をいじくつたことが今も指さきに記憶されてゐるやうである。〔・・・〕やはり畳だの障子だのの記憶がある。ことに柱につかまつてやつと立たうとした記憶がある。(しかしそれはその当時の自分になくて今私に醒された感覚かもしれない。)何かしら犬のやうな白い生きものの類や、青い木のやうなものもある。(室生犀星「自叙伝奥書――その連絡と梗概について――」大正八年)

私の性欲の眼覚めたいちばん初めを問ふ人があれば、やはり母の肉体から教へられたと答へる外はない。性欲がまだ生のまま、ほんのすこしばかりの芽をふいたころだ。あの乳房をにぎつたときや、母のかみの毛をくしやくしやにしたりしたときなどに、正しい性が育つてゆかうとしつつあつたのだ。三四歳で地上におろされた。(室生犀星「自叙伝奥書――その連絡と梗概について――」大正八年)




いやあ実に「正しい」記述だなあ、自伝的事実としては犀星研究者のあいだで議論があるにしろ。


大正八年とは西暦1919年で、1889年生まれの犀星30歳だ。ボクは30歳のときこんなこと毛ほども考えていなかったよ。


小児が母の乳房を吸うことがすべての愛の関係の原型であるのは十分な理由がある。対象の発見とは実際は、再発見である。Nicht ohne guten Grund ist das Saugen des Kindes an der Brust der Mutter vorbildlich für jede Liebesbeziehung geworden. Die Objektfindung ist eigentlich eine Wiederfindung (フロイト『性理論』第3篇「Die Objektfindung」1905年)

母の乳房の、いわゆる原イマーゴの周りに最初の固着が形成される。sur l'imago dite primordiale du sein maternel, par rapport à quoi vont se former […] ses premières fixations, (Lacan, S4, 12 Décembre 1956)


フロイトラカンは別に母胎への固着と解釈しうることを言うのだが(参照)、まずは母の乳房への固着でよろしい。


初期幼児期の愛の固着[frühinfantiler Liebesfixierungen.](フロイト, Eine Teufelsneurose im siebzehnten Jahrhundert, 1923)

母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への隷属(女への囚われの身)として存続する。Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. (フロイト『精神分析概説』第7章、1939年)


フロイトは、幼児期の享楽の固着の反復を発見したのである。 Freud l'a découvert[…] une répétition de la fixation infantile de jouissance. (J.-A. MILLER, LES US DU LAPS -22/03/2000)

私は、分析経験の基盤はフロイトが固着と呼んだものだと考えている。je le suppose, …est fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation.(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)


最も重要なのは、この母の身体への固着があるのは、男にとってだけでなく女にとってもそうだということだ。ここに男女の愛の非対称性がある。乳房と母胎を抱えた女がナルシシズム的愛になるのは必然であり、他方、男は母の代理人としての女への対象愛となる。


子供の最初のエロス対象は、この乳幼児を滋養する母の乳房である。愛は、満足されるべき滋養の必要性へのアタッチメントに起源がある[Das erste erotische Objekt des Kindes ist die ernährende Mutter-brust, die Liebe entsteht in Anlehnung an das befriedigte Nahrungs-bedürfnis.]。


疑いもなく最初は、子供は乳房と自己身体とのあいだの区別をしていない[Die Brust wird anfangs gewiss nicht von dem eigenen Körper unterschieden]。


乳房が分離され「外部」に移行されなければならないときーー子供はたいへんしばしば乳房の不在を見出す--、幼児は、対象としての乳房を、原ナルシシズム的リビドー備給の部分と見なす。[wenn sie vom Körper abgetrennt, nach „aussen" verlegt werden muss, weil sie so häufig vom Kind vermisst wird, nimmt sie als „Objekt" einen Teil der ursprünglich narzisstischen Libidobesetzung mit sich.]

最初の対象は、のちに、母という人物のなかへ統合される。この母は、子供を滋養するだけではなく世話をする。したがって、数多くの他の身体的刺激、快や不快を子供に引き起こす。身体を世話することにより、母は、子供にとって「原誘惑者ersten Verführerin」になる。[Dies erste Objekt vervollständigt sich später zur Person der Mutter, die nicht nur nährt, sondern auch pflegt und so manche andere, lustvolle wie unlustige, Körperempfindungen beim Kind hervorruft. In der Körperpflege wird sie zur ersten Verführerin des Kindes. ]


この二者関係には、独自の、比較を絶する、変わりようもなく確立された母の重要性の根が横たわっている。全人生のあいだ、最初の最も強い愛の対象として、後のすべての愛の関係性の原型としての母であり、それは男女どちらの性にとってもである。[In diesen beiden Relationen wurzelt die einzigartige, unvergleichliche, fürs ganze Leben unabänderlich festgelegte Bedeu-tung der Mutter als erstes und stärkstes Liebesobjekt, als Vorbild aller späteren Liebesbeziehungen ― bei beiden Geschlechtern. ](フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』第7章、1939年)


ーー母の乳房あるいは母は《喪われた子宮内生活を償ってくれる対象である Objekts …das verlorene Intrauterinleben ersetzen 》(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)



これは男女の愛において決定的なことだよ。もっとも人口子宮や人口授乳器、主夫が多くなればいくらか変わるだろうけど。


男性によっての男児の養育(例えば古代における奴隷による教育)は、同性愛を助長するようにみえる。今日の貴族のあいだの性対象倒錯の頻出は、おそらく男性の召使いの使用の影響として理解しうる。母親が子供の世話をすることが少ないという事実とともに。

Die Erziehung der Knaben durch männliche Personen (Sklaven in der antiken Welt) scheint die Homosexualität zu begünstigen; beim heutigen Adel wird die Häufigkeit der Inversion wohl durch die Verwendung männlicher Dienerschaft wie durch die geringere persönliche Fürsorge der Mütter für ihre Kinder um etwas verständlicher.(フロイト『性理論三篇』第三編、1905年)