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2021年3月29日月曜日

男なんかに会ってもしようがない

このところドゥルーズをめぐっていくらか記したが、軌道修正しなくてはならない。犀星に戻ろう。

泌尿科は一階にあったから其処の待合室の大勢の外来患者の前を、私の手押車はしずしず通っていった。人々はこの患者にちょいと眼をくれただけで、何の反応もなく皆自分自身のことで一杯なのが、私にすぐ判って気安い思いであった。外来患者は丁度記念撮影でもするように一室の方向にむいて、順位を待っていたが私は急速に眼を走らせ、何物かを見出した。私が始終見ていたものでもっとも婉曲な形態を持ち、いままでにすっかりわすれていた物であった。それらは幾十人となく強くどっしりと眼にうけとられる物ばかりであって、私は一種のにわかに生ずる喘ぎさえおぼえたくらいだ。それは若い婦人達がうまく男性患者の間にはさまって、盛りあがるような勢でくみ合せた膝から下の裸の足だった。私はそれを暫く見ないでいて今突然に眼にいれるとそれがどんなにも、あつかましい程うつくしい物であることが判った。

相子や奥テル子の足は病室でも毎日見かけているが、他人行儀のよそさんの足を見たのは久しぶりであった。見られていることを知らないでいること、その無関心さであちこちに伸ばされ、くみ合されていて無限な優しいものがあった。常識のゆたかな紳士といわれるような人びとは決して私の表現するようなぐあいには言わないが、あの長いものをすらりと組み合せ、それに何の値をももとめないで在るがままに在らしめていることに、私はむねに痞えているものが一度に下りた気がした。(室生犀星「われはうたえども やぶれかぶれ」初出:「新潮」1962(昭和37)年2月1日号)


・・・だな、最後は女がいいよ。犀星は庭やら陶器やらに寄り道したみたいだけど。


私は寝台の上にあがると例によっておんなのことを考えようとする、時間の消える方法に没しようとしたが、この日どういうわけか、おんなという感覚がちっとも頭に来なくて、茫漠と捉えどころのないおんなのいないおんなの考えに出会した。これはこの日に初めて起ったものではなく、おんながうまく考えあてられたのはほんの二三日しかなくて、あとは今日のようにおんなはさっぱり現われて来ない日ばかりが続いていた。これは私にはもはや毎日おんなを考えようとしても、慾情が枯れかかっていることに原因があること、もはやおんなですら私のたすけになることが稀薄になっていることがわかり、無理にこの思いに突きこんでもむだであることを知った。(室生犀星「われはうたえども やぶれかぶれ」初出:「新潮」1962(昭和37)年2月1日号)


ーーこう書いて室生犀星は1962年3月26日に死去した。


Wikipediaには「3月1日虎の門病院入院」とあって注がついている。


見舞客のうち、福永武彦は面談して、辞去する際次にどこにいくつもりなのか、室生が気にしている有様だったが、中村真一郎は、「男なんかに会ってもしようがない。」と室生が娘に言ったため、ついに入室できなかった。(福永武彦「室生犀星伝」『現代日本文学館21 佐藤春夫・室生犀星』文藝春秋、1968年 pp.237-252、中村真一郎「詩人の肖像」『日本の詩歌15 室生犀星』中公文庫、1975年 pp.396-411)





…………

陶器にも女人陶器といふ言葉までつかつてゐる程であるから、たとへば高麗青磁の釉触の面からも、人間にたとへると女のすぐれた肢体が感じられてゐて、それから離れては青磁のうつくしさが完う出来ない。(室生犀星「鬼籍の素陶」 昭和三十二年五月一日「芸術新潮」)


ーー《庭だとて風景だとて、結局氏の『生きる希み』が生み出した愛着であるかぎり、結局は人間の女の美しさに還つてゆくのである。》(山本健吉「室生犀星ーー十二の肖像画」昭和三十七年)


この伝でいけば、詩自体、女の昇華である。


私はあなたを思って気が狂いそうになる。私は「気が狂う」と言った。このオブセッションは常軌を逸しているから。


Je deviens fou de penser à toi. Je dis « fou » car cette obsession se fait anormale.(Lettre de Paul Valéry à Jean Voilier, 7 juin 1939)




外傷は破壊だけでなく、一部では昇華と自己治癒過程を介して創造に関係している。先に述べた詩人ヴァレリーの傷とは彼の意識においては二十歳の時の失恋であり、おそらくそれに続く精神病状態である(どこかで同性愛性の衝撃がからんでいると私は臆測する)。


二十歳の危機において、「クーデタ」的にエロスを排除した彼は、結局三十年を隔てて五十一歳である才女と出会い、以後もの狂いのようにエロスにとりつかれた人になった。性のような強大なものの排除はただではすまないが、彼はこの排除を数学をモデルとする正確な表現と厳格な韻律への服従によって実行しようとした。それは四十歳代の第一級の詩といして結実した。フロイトならば昇華の典型というであろう。


しかし、彼の詩が思考と思索過程をうたう下にエロス的ダブルミーニングを持って、いわば袖の下に鎧が見えていること、才女との出会いによって詩が書けなくなったことは所詮代理行為にすぎない昇華の限界を示すものであり、昇華が真の充足を与えないことを物語る。


彼の五十一歳以後の「女狂い」はつねに片思い的で青年時の反復である(七十歳前後の彼が一画家に送った三千通の片思い的恋文は最近日本の某大学が購入した)。他方、彼の自己治癒努力は、生涯毎朝書きつづけて死後公開された厖大な『カイエ』にあり、彼はこれを何よりも重要な自己への義務としていた。数学の練習と精神身体論を中心とするアフォリズム的思索と空想物語と時事雑感と多数の蛇の絵、船の絵、からみあったPとV(彼の名の頭文字であり男女性器の頭文字でもある)の落書きが「カイエ」には延々と続く。自己治癒努力は生涯の主要行為でありうるのだ。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・記憶・外傷』所収)




人間の今日までの発展は、私には動物の場合とおなじ説明でこと足りるように思われるし、少数の個人においに 完成へのやむことなき衝迫[rastlosen Drang zu weiterer Vervollkommnung ]とみられるものは、当然、人間文化の価値多いものがその上に打ちたてられている欲動抑圧[Triebverdrängung]の結果として理解されるのである。


抑圧された欲動[verdrängte Trieb] は、一次的な満足体験の反復を本質とする満足達成の努力をけっして放棄しない。あらゆる代理形成と反動形成と昇華[alle Ersatz-, Reaktionsbildungen und Sublimierungen]は、欲動の止むことなき緊張を除くには不充分であり、見出された満足快感と求められたそれとの相違から、あらたな状況にとどまっているわけにゆかず、詩人の言葉にあるとおり、「束縛を排して休みなく前へと突き進むungebändigt immer vorwärts dringt」(メフィストフェレスーー『ファウスト』第一部)のを余儀なくする動因が生ずる。

(フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)