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2022年2月23日水曜日

ウクライナの悦

 

そうか、この三人の名手はみなウクライナ出身なのか。


ウラディミール・ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz)[1903~1989 ]キエフ出身

スヴャトスラフ・リヒテル(Sviatoslav Richter)[1915~1997]ジトーミル出身

エミール・ギレリス(Emil Gilels)[1916~1985]オデッサ出身


ボクの若い頃はピアニストと言えば、まずはこの三人だったんだが、三人ともウクライナ出身とはね。


ウクライナってのは東欧なんだよな、結局。



こんなオイシイ土地をNATO傘下にしたくないっていうロシアの気持ちはわからないではないなあ・・・


東欧やロシアの肥沃な黒土っていうけど、結局、主要なのはウクライナのchernozemなんだろうから




ああとってもいい匂いがするだろうなあ。

ああきゅうに黒パン喰いたくなったなあ、

山羊の臭いチーズをふんだんに塗ってさ。


この匂いを嗅いであの三人のピアニストが育ったんだよなあ(クララ・ハスキルはルーマニアなんだ、彼女のピアノの音もとってもいいにおいがするけど。タチアナ・ニコラーエワはウクライナとの国境の町ベジツァ生まれのようだ)


においを嗅ぐ悦[Riechlust]のうちには、さまざまの傾向が混じり合っているが、そのうちには、下等なものへの昔からの憧れ、周りをとり巻く自然との、土と泥との、直接的合一への憧れが生き残っている[alte Sehnsucht nach dem Unteren fort, nach der unmittelbaren Vereinigung mit umgebender Natur, mit Erde und Schlamm]。対象化することなしに魅せられるにおいを嗅ぐという働きは、あらゆる感性の特徴について、もっとも感覚的には、自分を失い他人と同化しようとする衝動[Drang]について、証しするものである。だからこそにおいを嗅ぐことは、知覚の対象と同時に作用であり――両者は実際の行為のうちでは一つになる――、他の感覚よりは多くを表現する。見ることにおいては、人は人であることにとどまっているが、嗅ぐことにおいて、人は消えてしまう[Im Sehen bleibt man, wer man ist, im Riechen geht man auf. ]。だから文明にとって嗅覚は恥辱[Geruch als Schmach]であり、社会的に低い階層、少数民族と卑しい動物たちの特徴という意味を持つ。文明人にはそういう悦[Lust]に身をまかせることは許されない。(アドルノ&ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』第5章、1947年)


(悦とはフロイトの欲動、ラカンの享楽と同義。そして悦は幼児期の身体の出来事=固着であり、常に回帰する。例えば幼年期に嗅いだにおいは身体の記憶として、各人に刻まれており、成人になってもふとした弾みでレミニサンスする)。



最近のチャラい土地やマンションで育った連中からは

あの下品すれすれの官能の音は生まれないだろうよ。






ウクライナってのは大平原なんだよな、西部にチョロっとカルパティア山脈があるだけで。ゲリラ戦はやりにくい土地だろうな・・・





スクリャービンというのはモスクワ生まれなんだな


Scriabin: Etude for piano in C# minor, Op. 2 no. 1

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Vladimir Horowitz

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Sviatoslav Richter

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Emil Gilels