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2022年10月18日火曜日

くらがりにうごめく見知らぬ女


前回イッサーリスの「鳥の歌」を貼り付けたところで、彼のフォーレop117を久しぶりに聴いてみたんだけど、このアンダンテは最高だね。


Steven Isserlis & Jeremy Denk ― Fauré: Sonata for Cello & Piano No. 2 in G minor, Op. 117

➡︎Andante



ついでに(?)、後期フォーレの緩楽章を聴いてみたよ。



Fauré: Trio pour piano, violon et violoncelle en ré mineur, Op. 120

Kathryn Stott, Priya Mitchell & Christian Poltéra

➡︎Andantino

Fauré String Quartet in G major, Op 121 Guarneri Quartet, 1970

➡︎Andante


イッサーリスの響きがあったらもっといいんだがな。でも後期フォーレは実にいい。みなさんもショパンのたぐいのチョロいのばかり聴いていないで、後期フォーレにもっと馴染まないとな。真の音楽ってのはここにあるんだ。高貴さを隠れ蓑にした妖怪がいるよ、シューマンやシューベルトのいくつかと同様にさ。



音楽は一見いかに論理的・倫理的な厳密なものであるにせよ、妖怪たちの世界に属している、と私にはむしろ思われる。この妖怪の世界そのものが理性と人間の尊厳という面で絶対的に信頼できると、私はきっぱりと誓言したくはない。にもかかわらず私は音楽が好きでたまらない。それは、残念と思われるにせよ、喜ばしいと思われるにせよ、人間の本性から切り離すことができない諸矛盾のひとつである。(トーマス・マン『ファウスト博士』)



暗闇に蠢く幼虫の感覚はシューベルトやシューマン以上かもよ


この音楽のなかで、くらがりにうごめくはっきりしない幼虫[ larves obscures alors indistinctes] のように目につかなかったいくつかの楽節が、いまはまぶしいばかりにあかるい建造物になっていた。そのなかのある楽節はうちとけた女の友人たちにそっくりだった、はじめはそういう女たちに似ていることが私にはほとんど見わけられなかった、せいぜいみにくい女たちのようにしか見えなかった、ところが、たとえば最初虫の好かなかった相手でも、いったん気持が通じたとなると、思いも設けなかった友人を発見したような気にわれわれがなる、そんな相手に似ているのであった。このような二つの状態のあいだに起きたのは、まぎれもない質の変化ということだった。それとはべつに、いくつかの楽節によっては、はじめからその存在ははっきりしていたが、そのときはどう理解していいかわからなかったのに、いまはどういう種類の楽節であるかが私に判明するのであった……(プルースト「囚われの女」井上究一郎訳)




ところでナウモフにop121やってくれってメール入れたら、今年になって3回やってくれたよ、そのなかでは次のコロナマスク版が一番いいね。



Andante piano, Fauré's Andante from String Quartet Opus 121 Emile Naoumof


ナウモフを聴くと、op115にop121がいるのが実によくわかるね。op108にだっているや。


Faure - Piano Quintet No.2 Op.115, Pascal Rogé, Quatuor Ysaÿe

➡︎Andante moderato

Faure Violin Sonata No. 2 in E Minor, Op. 108  Mintz

➡︎Andante



このソナタには世界のはじまりがあるよ、


最後の部分がはじまるところでスワンがきいた、ピアノとヴァイオリンの美しい対話! 人間の言語を除去したこの対話は、隅々まで幻想にゆだねられていると思われるのに、かえってそこからは幻想が排除されていた、話される言語は、けっしてこれほど頑強に必然性をおし通すことはなかったし、こんなにまで間の適切さ、答の明白さをもつことはなかった。最初に孤独なピアノが、妻の鳥に見すてられた小鳥のようになげいた、ヴァイオリンがそれをきいて、隣の木からのように答えた。それは世界のはじまりにいるようであり、地上にはまだ彼ら二人だけしかいなかったかのようであった、というよりも、創造主の論理によってつくられ、他のすべてのものにはとざされたその世界――このソナタ――には、永久に彼ら二人だけしかいないだろうと思われた。それは一羽の小鳥なのか、小楽節のまだ完成していない魂なのか、一人の妖精なのか、その存在が目には見えないで、なげいていて、そのなげきをピアノがすぐにやさしくくりかえしていたのであろうか? そのさけびはあまりに突然にあげられるので、ヴァイオリン奏者は、それを受けとめるためにすばやく弓にとびつかなくてはならなかった。すばらしい小鳥よ! ヴァイオリン奏者はその小鳥を魔法にかけ、手なずけ、うまくつかまえようとしているように思われた。すでにその小鳥はヴァイオリン奏者の魂のなかにとびこんでいた。すでに呼びよせられた小楽節は、ヴァイオリン奏者の完全に霊にとりつかれた肉体を、まるで霊媒のそれのようにゆり動かしていた。スワンは小楽節がいま一度話しかけようとしているのを知るのであった。(プルースト「スワン家のほうへ」)