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2022年10月15日土曜日

近未来に唯一期待すること

 


人間ってのは最終的には自分だけが良ければいいのさ。他者の痛みを感じなさい、というのはたんなるタテマエであり、ホンネは自分のことだけだ。それがあまりにもアカラサマに現れたのが、この2年のコロナ騒動からウクライナでの代理戦争までだね。


最終的には食い物が大事だろうがね。


一個のパンを父と子が死に物狂いでとりあいしたり、母が子を捨てて逃げていく。

私は疲れきっていた。虚脱状態だった。火焔から逃げるのにふらふらになっていたといっていい。何を考える気力もなかった。それに、私は、あまりにも多くのものを見すぎていた。それこそ、何もかも。たとえば、私は爆弾が落ちるのを見た。…渦まく火焔を見た。…黒焦げの死体を見た。その死体を無造作に片づける自分の手を見た。死体のそばで平気でものを食べる自分たちを見た。高貴な精神が、一瞬にして醜悪なものにかわるのを見た。一個のパンを父と子が死に物狂いでとりあいしたり、母が子を捨てて逃げていくのを見た。人間のもつどうしようもないみにくさ、いやらしさも見た。そして、その人間の一人にすぎない自分を、私は見た。(『小田実全仕事』第八巻六四貢)



次には金だな。


高橋悠治)あらゆる科学だろうと哲学だろうと結局取引関係にいくわけじゃないですか、だから取引関係に基づいて科学も経済もすべてができている。これこそ問題じゃないですか?〔・・・〕


でもそのね、すべてがビジネスにもとづいているということがますますはっきりしてきたというのは、ひとつの文明の衰えていく過程で露になってきた、そういう事実。言葉があれだけど。


つまり、文明が盛んなときは別に取引だろうがなんだろうが、そういうことはいわなかったし、それで成り立ってたわけですよ。それで、今すべてがビジネスだというようなことになったときに、そこから何か生まれてくるということはこれ以上ない。儲かる人は儲かるし、力のある人はもっと力があるし、そういうようなことでしかないわけでしょ。


そうすると、そういうことをいくら批判したって始まらないわけだから、どういうふうに違うものがあるかということになりますね。(高橋悠治×茂木健一郎 「他者の痛みを感じられるか」2005年)



人間のもつどうしようもないみにくさ、いやらしさ」が赤裸々に露出した現在の「人類史のなかの災厄の窮地」からいくらかでも逃れるためには、あの連中を金に困らせる他ないね。


誰もキエフへの支援は停止しなければならないと公言する政府がない。各国の与党にもない。まったくないのである。このような愚鈍を突き抜けたような、薄弱、白痴。糞を舐めても味がわからないような人の無感覚さは、これまでの人類史のなかで災厄の窮地だと惟う(ロシアからの最後通牒は今日、DULLES N. MANPYO · @iDulles 10th Oct 2022 from TwitLonger


基軸通貨ドル崩壊やら、欧での電気ガス代暴騰での大衆の暴動による「指導者断頭台行き」が近いうち起こるだろ。もはやそれに期待する他ないところに世界は来ているよ。


手始めに日本でもタッカー・カールソンのようにモノを言いうる人材がひとりでも多く増えることだな、唯一の救いの望みは。それしかない。➡︎動画