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2022年11月22日火曜日

ナチウイルスに対する免疫力の弱さ

 ははあ、ラブロフはうまいこと言ってるね、「ナチウイルスに対する免疫力の弱さ」なんて。いままでも折に触れてそう思ったことはあるが、ユーモアも含めて言葉を扱う才能は、プーチンをはるかに上回るね。


ラブロフ外相の「国際学術実践フォーラム『時効なし』大祖国戦争当時のナチスおよびその共犯者によるソ連国民のジェノサイド:歴史認識と判例」

“No Statute of Limitations. Genocide of the Soviet people by the Nazis and their proxies during the Great Patriotic War: Historical reflection and judicial practice

21-11-2022


不幸なことに、ヨーロッパの多くの国々ではナチウィルスに対する免疫力が非常に弱まっている。特に懸念されるのは、ウクライナとバルト諸国の状況だ。総じて言えるのは、ニュルンベルク裁判の法的、政治的および道義・倫理的結果を見直し歪曲しようとする試みに、国際社会は益々頻繁に直面しているということだ。

Unfortunately, many European countries have lost much of their immunity to the Nazi virus. The situation in Ukraine and the Baltic countries is particularly alarming. In general, the international community is increasingly facing the attempts to revise and distort the legal, political, moral and ethical lessons of the Nuremberg Trials.


К сожалению, сегодня в целом ряде европейских стран серьезно ослаб иммунитет к нацистскому вирусу. Особенно тревожит ситуация на Украине и в Прибалтике. В целом, мировое сообщество все чаще сталкивается с попытками пересмотреть, исказить правовые, политические и морально-этические итоги Нюрнбергского трибунала.





日本でもこの9ヶ月ナチウイルスに対する免疫力がきわめて弱い政治家や国際政治学者なる種族が跳梁跋扈したけどさ、要するに小さなヒトラー、アイヒマンのような連中が。



ファシズムは、理性的主体のなかにも宿ります。あなたのなかに、小さなヒトラーが息づいてはいないでしょうか?われわれにとって重要なことは、理性的であるか否かということよりも、少なくともファシストでないかどうかということなのです。(船木亨『ドゥルーズ』「はじめに」2016年)


アイヒマンという人物の厄介なところはまさに、実に多くの人が彼に似ていたし、しかもその多くの者が倒錯してもいずサディストでもなく、恐ろしいほど正常であったし、今でも正常であるということなのだ。われわれの法律制度とわれわれの道徳的判断基準から見れば、この正常性はすべての残虐行為を一緒にしたよりもわれわれをはるかに慄然とさせる。

The trouble with Eichmann was precisely that so many were like him, and that the many were neither perverted nor sadistic, that they were, and still are, terribly and terrifyingly normal. From the viewpoint of our legal institutions and of our moral standards of judgment, this normality was much more terrifying than all the atrocities put together. (ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil, The New Yorker. 1963)




彼らはおおむねきわめて美徳の人なんだよな



われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない[Nos vertus ne sont, le plus souvent, que des vices déguisés.](ラ・ロシュフコー『箴言集』1665年)

ゲーテは、美徳とともに、欠点も育まれると正しく言った。また、誰もが知っているように、肥大した美徳は、ーー私には、現代の歴史的意味と思われるがーー肥大した悪徳と同様に、人々の破滅になりかねない。

Goethe mit gutem Rechte gesagt hat, daß wir mit unseren Tugenden zugleich auch unsere Fehler anbauen, und wenn, wie jedermann weiß, eine hypertrophische Tugend – wie sie mir der historische Sinn unserer Zeit zu sein scheint – so gut zum Verderben eines Volkes werden kann wie ein hypertrophisches Laster: (ニーチェ『反時代的考察』第二部「序文」)