以下、あまり詳しくない「分裂病=統合失調症」に関する領域なので、基本的には引用の列挙に終始する。
中井久夫は、分裂病は妄想病だと言っている。 |
分裂病が一次的には妄想病ではないかと私が考えていることを言っておく必要があるだろう(中井久夫「詩の基底にあるもの」初出「現代詩手帳」第37巻5号、1994年5月) |
《一次的には》とあるように例外はある。例を出しているのは、私の知る限りで、「緊張病」だ。 |
緊張病の極致は恐怖の世界です。この頃それが見えなくなってきましたね、緊張病の場合は薬で曖昧になるものですから。私も、ケースカンファレンスに出て、「この人は鬱病でしょうか」とか、「病気か病気でないかわかりません」といわれる人が、昔だったら急性の緊張病状態で重症となるはずの人でした。皮肉なことに、統合失調症で一番派手であり、重症の重症たるゆえんであると思われてきた緊張病状態に一番薬が効くんですね。いまのドクターもナースも、薬が入っていない患者さんは、初診のときにちょっと見るだけでしょう。あとは、薬が入っている状態ばかり見ているものですから、緊張病の世界がよくわからなくなってきている。 |
昔は緊張病で何年も全然動かない人というのがたくさんおられました。それは、すごい緊張のエネルギーを内側に向けている状態です。患者さんは「指一本動かしたら世界が壊れるかもしれない」と本当に思っているわけです。身動きしたら世界が壊れるかもしれない、自分は全世界に責任をもっているという感じです。これを緊張病性昏迷といいます。意識はあって、しかも刺激に対してまったく反応できない状況です。 それに対して、緊張病性錯乱の人は、世界が善と悪との分かれて戦っていて、自分は、本当は嫌なんだけれども、それに否応なしに巻き込まれているという人が多いです。……(中井久夫「統合失調病の経過と看護」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収) |
これはジャック=アラン・ミレールも同じことを言っている。 |
実際、精神病において、それが完全な緊張病 (緊張型分裂病 catatonia)でないなら、あなたは常に何かを持っている。その何かが主体を逃げ出したり生き続けたりすることを可能にする。En réalité, c'est la même structure. Au bout du compte, dans la psychose, si ce n'est pas une catatonie complète, vous avez toujours quelque chose qui rend possible pour le sujet de s'en sortir ou de continuer à survivre. (J.-A. Miller, Retour sur la psychose ordinaire; 2009) |
「何かを持っている」というのは、ラカンの言い方なら、トラウマの穴に対する穴埋め(補填)だ。 |
我々はみな現実界のなかの穴を穴埋めするために何かを発明する。現実界は穴=トラウマをなしている。…tous, nous inventons un truc pour combler le trou dans le Réel. le Réel… fait « troumatisme ».(Lacan, S21, 19 Février 1974) |
そしてこの穴埋めを最晩年には妄想と言うようになる。 |
フロイトはすべては夢だけだと考えた。すなわち人はみな(もしこの表現が許されるなら)、ーー人はみな狂っている。すなわち人はみな妄想する[Freud…Il a considéré que rien n’est que rêve, et que tout le monde (si l’on peut dire une pareille expression), tout le monde est fou, c’est-à-dire délirant ](Jacques Lacan, « Journal d’Ornicar ? », 1978) |
要するにトラウマの穴の穴埋めが妄想だ。 |
まさにラカンは最後の教えで、「人はみな狂っている(人はみな妄想する)」と定式化した。これは臨床の彼岸にあるものを指し示している。すなわち「人はみなトラウマ化されている」である。〔・・・〕そしてこの意味は「すべての人にとって穴がある」であることである。 C'est la valeur que je donne au Tout le monde est fou qu'a formul é Lacan dans son tout dernier enseignement. Ça pointe vers un au-delà de la clinique, ça dit que tout le monde est traumatisé,… Et ce qu'il y a pour tous ceux-là, c'est un trou. (J.-A. Miller, Vie de Lacan, 17/03/2010 ) |
フロイトの言い方なら妄想は回復の試み・再構成である。 |
病理的生産物と思われている妄想形成は、実際は、回復の試み・再構成である。Was wir für die Krankheitsproduktion halten, die Wahnbildung, ist in Wirklichkeit der Heilungsversuch, die Rekonstruktion. (フロイト、シュレーバー症例 「自伝的に記述されたパラノイア(妄想性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察」1911年) |
何に対する回復の試みかと言えば、不安、トラウマ的不安からの回復の試みであり、ラカンの思考と等価である。 |
すべての症状形成は、不安を避けるためのものである[alle Symptombildung nur unternommen werden, um der Angst zu entgehen](フロイト 『制止、不安、症状』第9章、1926年) |
不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年) |
経験された寄る辺なき状況をトラウマ的状況と呼ぶ[Heißen wir eine solche erlebte Situation von Hilflosigkeit eine traumatische](フロイト『制止、症状、不安』第11章B) |
…………………
ここで中井久夫に戻れば、重要なのは、阪神大震災被災後、分裂病(統合失調症)の底にトラウマがあるのではないかと言うようになったことだろう。 |
治療はいつも成功するとは限らない。古い外傷を一見さらにと語る場合には、防衛の弱さを考える必要がある。〔・・・〕統合失調症患者の場合には、原外傷を語ることが治療に繋がるという勇気を私は持たない。 統合失調症患者だけではなく、私たちは、多くの場合に、二次的外傷の治療を行うことでよしとしなければならない。いや、二次的外傷の治療にはもう少し積極的な意義があって、玉突きのように原外傷の治療にもなっている可能性がある。そうでなければ、再演であるはずの二次的外傷が反復を脱して回復することはなかろう。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・記憶・外傷』所収) |
統合失調症と外傷との関係は今も悩ましい問題である。そもそもPTSD概念はヴェトナム復員兵症候群の発見から始まり、カーディナーの研究をもとにして作られ、そして統合失調症と診断されていた多くの復員兵が20年以上たってからPTSDと再診断された。後追い的にレイプ後症候群との同一性がとりあげられたにすぎない。われわれは長期間虐待一般の受傷者に対する治療についてはなお手さぐりの状態である。複雑性PTSDの概念が保留になっているのは現状を端的に示す。いちおう2012年に予定されているDSM-Ⅴのためのアジェンダでも、PTSDについての論述は短く、主に文化的相違に触れているにすぎない。 しかし統合失調症の幼少期には外傷的体験が報告されていることが少なくない。それはPTSDの外傷の定義に合わないかもしれないが、小さなひびも、ある時ガラスを大きく割る原因とならないとも限らない。幼児心理において何が重大かはまたまだ探求しなければならない。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006年『日時計の影』所収) |
なおR・D・レインが『引き裂かれた自己』で既にこう言っているそうだ、ーー《レインが、 スキゾイドの人においては記憶が散弾のように刺さっているという意味のことを言うとき、彼は外傷性記憶の素因的側面を述べていることになるだろう。》(中井久夫「発達的記憶論ーー外傷性記憶の位置づけを考えつつ」2002年) トラウマについて、中井久夫はフロイトの外傷神経症あるいは現実神経症ーー、一般には現勢神経症[Aktualneurose]と訳されることが多いーーを口にしている。 |
今日の講演を「外傷性神経症」という題にしたわけは、私はPTSDという言葉ですべてを括ろうとは思っていないからです。外傷性の障害はもっと広い。外傷性神経症はフロイトの言葉です。 医療人類学者のヤングによれば、DSM体系では、神経症というものを廃棄して、第4版に至ってはついに一語もなくなった。ところがヤングは、フロイトが言っている神経症の中で精神神経症というものだけをDSMは相手にしているので、現実神経症と外傷性神経症については無視していると批判しています(『PTSDの医療人類学』)。 もっともフロイトもこの二つはあんまり論じていないのですね。私はとりあえずこの言葉(外傷性神経症)を使う。時には外傷症候群とか外傷性障害とか、こういう形でとらえていきたいと思っています。(中井久夫「外傷神経症の発生とその治療の試み」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収) |
戦争神経症は外傷神経症でもあり、また、現実神経症という、フロイトの概念でありながらフロイト自身ほとんど発展させなかった、彼によれば第三類の、神経症性障害でもあった。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・記憶・外傷』所収) |
現実神経症と外傷神経症との相違は、何によって規定されるのであろうか。DSM体系は外傷の原因となった事件の重大性と症状の重大性によって限界線を引いている。しかし、これは人工的なのか、そこに真の飛躍があるのだろうか。 目にみえない一線があって、その下では自然治癒あるいはそれと気づかない精神科医の対症的治療によって治癒するのに対し、その線の上ではそういうことが起こらないうことがあるのだろう。心的外傷にも身体的外傷と同じく、かすり傷から致命的な重傷までの幅があって不思議ではないからである。しかし、DSM体系がこの一線を確実に引いたと見ることができるだろうか。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006年『日時計の影』所収) |
というわけで、中井久夫においても、フロイトラカンと同様に、分裂病はトラウマに対する防衛の病いであり、これを妄想というのである。後期ラカンにとっては標準的な症状「神経症」自体が妄想の病いである。さらに言えば、言語自体が欲動の身体のトラウマに対する防衛としての妄想である。おそらく分裂病(統合失調症)は最もギリギリのところでの防衛だろうが。
ラカン派が《我々の全言説は現実界に対する防衛である[tous nos discours sont une défense contre le réel]》 (Anna Aromí, Xavier Esqué, XI Congreso, Barcelona 2-6 abril 2018)というのと、中井久夫が《妄想は言語的防衛です》(中井久夫「統合失調症とトラウマ」2002年)とするのはほぼ等置しうる。
もっとも中井久夫は、ラカンのように言語自体が妄想だと極端なことは言っていないが、とはいえ世界の貧困化とは言っている、ーー《言語化への努力はつねに存在する。それは「世界の言語化」によって世界を減圧し、貧困化し、論弁化して秩序だてることができるからである。》(中井久夫「発達的記憶論」2002年『徴候・記憶・外傷』所収)
中井久夫は統合失調症について、例えば次のように言っている。 |
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統合失調症は解体の危機をかけてでも一つの人格を守ろうとする悲壮なまでの努力です。(中井久夫「統合失調症とトラウマ」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収) |
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「精神分裂病」〔・・・〕。精神科医の神田橋條治氏は,精神を無理にでも統一しようとして失調するのだから「精神統一病」と名づけるべきだと主張していたが、これは単なる逆説ではなく,「統合失調症」の思想を先取りしていた。(中井久夫「「統合失調症」についての個人的コメント」初出「精神看護」2002年3月号) |
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サリヴァンは「人間は意識と両立しないものを絶えずエネルギーを注いで排除しているが、排除するエネルギーがなくなると排除していたものがいっせいに意識の中に入ってくるのが急性統合失調症状態だ」と言っています。自我の統一を保つために排除している状態が彼の言う解離であり、これは生体の機能です。この生体の機能は免疫学における自己と非自己維持システムに非常に似ていて、1990年代に免疫学が見つけたことを先取りしています。解離されているものとは免疫学では非自己に相当します。これを排除して人格の単一性(ユニティ)を守ろうとするのです。統合失調症は解体の危機をかけてでも一つの人格を守ろうとする悲壮なまでの努力です。統合失調症はあくまで一つの人格であろうとします。(中井久夫「統合失調症とトラウマ」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収) |
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このサリヴァンの解離=排除(フロイトの原抑圧)についてのもういくら詳しくは、「超自我把握の誤謬(中井久夫)」を参照されたし。 なお主流ラカン派(フロイト大義派=ミレール派)においてレミニサンスとは欲動の病い、排除ーー排除されたものの回帰ーーの病いである。 このレミニサンスは中井久夫がしばしば口にする「外傷性フラッシュバック」に相当する。
この異物(異者としての身体)の後年のフロイトの定義はエスの欲動蠢動である。
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ここで分裂病から離れて「いじめ」についていくらか触れておこう。中井久夫の名高いいじめ論自体、自らのいじめられトラウマに基盤があるとすることができる。
笑われるかもしれないが、大戦中、飢餓と教師や上級生の私刑の苦痛のあまり、さきのほうの生命が縮んでもいいから今日一日、あるいはこの場を生かし通したまえと、“神”に祈ったことが一度や二度ではなかった……(中井久夫「知命の年に」1984年初出『記憶の肖像』所収) |
たまたま、私は阪神・淡路大震災後、心的外傷後ストレス障害を勉強する過程で、私の小学生時代のいじめられ体験がふつふつと蘇るのを覚えた。それは六十二歳の私の中でほとんど風化していなかった。(中井久夫「いじめの政治学」『アリアドネからの糸』所収、1996年) |
阪神・淡路大震災は私の中の何かを変えた。地面が揺れたごときで何が変わるかと自分に言いきかせたのは今から思えば笑止であった。 まず、私は沈黙している患者の側に何時間でもいるという精神科医にとって不可欠な能力をまだ回復していない。三十年以上続けられていたこのことができなくなった。私は一九九七年春に病院を定年で退くからおそらく回復の機会はないだろう。これは高揚状態というか躁状態で地震に続く事態に対応した後遺症ではないかと思う。 いっぽう、私は患者のこころの傷に敏感となった。幼年時代の虐待や学校でのいじめを受けた過去が現在に働いているのを察知するのに敏速になった。過去の過酷な体験のフラッシュバックに今も苛まれている患者がいかに多いか。(中井久夫「私の「今」」1996年8月初出『アリアドネからの糸』所収) |
そしていじめの底には別のトラウマがあるとも言っている。 |
一般に、語られる外傷性事態は、二次的な体験、再燃、再演であることが多い。学校でのいじめが滑らかに語られる時など、奥にもう一つあると一度は考えてみる必要がある。〔・・・〕 しかし、再燃、再演かと推定されても、当面はそれをもっぱら問題にしてよい。急いで核心に迫るべきではない。それは治療関係の解消あるいは解離その他の厄介な症状を起こす確率が高い。「流れがつまれば水下より迫れ(下流の障害から除去せよ)」とは下水掃除の常道である。(中井久夫「トラウマと治療体験」初出2000年『徴候・記憶・外傷』所収) |
最初に語られるトラウマは二次受傷であることが多い。たとえば高校の教師のいじめである。これはかろうじて扱えるが、そうすると、それの下に幼年時代のトラウマがくろぐろとした姿を現す。震災症例でも、ある少年の表現では震災は三割で七割は別だそうである。トラウマは時間の井戸の中で過去ほど下層にある成層構造をなしているようである。ほんとうの原トラウマに触れたという感覚のある症例はまだない。また、触れて、それですべてよしというものだという保証などない。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006年『日時計の影』所収) |
中井久夫自身にとってのいじめの底にあるトラウマはなんだろうか。これは『治療文化論』などににさっと読んだだけではわかりにくい形で触れられている。ここでは母にかかわるトラウマだとだけ言っておこう。
「治療文化論」は時々引用された。なぜか必ず奈良盆地についての三ページであった。〔・・・〕あの一節には私をなかだちとして何かが働いているのであろうか。たとえば、私の祖父――丘浅次郎の生物学によって自らをつくり、老子から魯迅までを愛読し、顕微鏡のぞきと書、彫刻、絵画、写真、釣りに日を送り迎えた好事家、自らと村のためにと財を蕩尽した旧村長の、一族にはエゴイストと不評の祖父。あるいその娘の母――いくらか傷害を持ち、末期の一カ月を除いて幸せとはいえぬ生涯を送り、百科事典を愛読してよく六十四歳の生涯を閉じた母の力が……。(中井久夫『治療文化論』「あとがき」1990年) |
父母の結婚は見合いであるが、お互いに失望を生んだ。父親と母親は文化が違いすぎた。そこに私が生まれてきたのだが、祖父母は、父の付け焼き刃の大正デモクラシーが大嫌いで、早熟の気味があった私に家の将来を托すると父の前で公言して、父親と私の間までが微妙になった。 〔・・・〕 私が東大から名市大に移る時、一カ月赴任を遅らせて末期の胃癌だった母をみとった。うっかり、四月から出る予定といっただめであろう、その一〇日前、「一〇日後、食べる」と言って、食も水も断った。一〇日目、棺の前に箸一本をさしたご飯が供えられた。私にこれ以上の迷惑をかけたくないという母の意志を秘めた最後のユーモアであった。(中井久夫「私が私になる以前のこと」2000年『時のしずく』所収) |