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2023年4月11日火曜日

「焼け跡で交わっている男女」の髑髏

 


古井由吉はこう言っているわけで。


僕は作品でエロティックなことをずっと追ってきました。そのひとつの動機として、空襲の中での性的経験があるんですよ。爆撃機が去って、周囲は焼き払われて、たいていの人は泣き崩れている時、どうしたものか、焼け跡で交わっている男女がいます。子供の眼だけれども、もう、見えてしまう。家人が疎開した後のお屋敷の庭の片隅とか、不要になった防空壕の片隅とか、家族がみんな疎開して亭主だけ残され、近所の家にお世話になっているうちにそこの娘とできてしまうとか、いろんなことがありました。(古井由吉『人生の色気』2009年)



「焼け跡で交わっている男女」の記憶は生涯つき纏って離れたなかった筈だよ。1937年生まれだから8歳のときの記憶だね。


焼け跡で交わる男女⋯⋯焼き払われると、境がなくなってしまうんですね。敷地と敷地の境も、町と町の境も、それから時間の境もなくなってしまう。そういう無境の中で、男女が交わる。(古井由吉「すばる」2015年9月号)



繰り返されるんだ、この話は。何度も何度も。


瓦礫の中で闇の品をおおっぴらに取りひきする者もあれば、崩れのこった壁の陰にわずかに人目を隠して、そそくさとまじわる男女もいた。(古井由吉『楽天の日々』2017年)

ところが、その場所にどうしても行き着けない。女に初めて声をかけられた所はわかった。それに問違いはなかった。そこを起点として、あたり一帯がいくら変わり果てたと言っても、おのずと知ってたどっていたはずの道のことだから、たやすくたどり返せると思って歩き出すと、それらしい焼跡にあっさりと出る。しかし立ち停まって見渡せば、夕日にあまねく赤く照らされて、あちこちに瓦礫の山はあっても、男女の交わる物陰はありそうにもない。時刻が早すぎたかと思って、夕闇の降りかかるまであたりをうろついたが、暗くなるほどに、違った場所に見えてくる。


つぎの時には暮れようともしないその焼跡を横目にして通り過ぎ、その先は足にまかせて、たそがれるまで歩くと、それらしい場所も見つからなかったかわりに、遠くまで来ていた。あの日も女と交わった所が自分の帰る道から大きく逸れていたことを、女と別れて引き返す道々、そんなことのあった後の放心の中から、自分は一体、どこへ行くつもりだったのだろう、と不思議がったものだが、それよりも、そこまで女の先に立って、ロもきかず、振り向いて顔も見ず、どこをどう、たそがれるまで歩いて来たのだろう、といまさら驚くと、幼い頃に聞かされて怯えた、惑わし神という名が耳もとに息づかいのようにふくらんで、足もとから慄えが突き抜け、恐怖ともつかず、一瞬つのった女への恋情ともつかず、立ちながらに精を洩らした。(古井吉吉「瓦礫の陰に」『やすらい花』2010年)



これらが古井由吉の「幼少の砌の髑髏」、少なくもその一つなのは紛いようがない。



頼朝公卿幼少の砌の髑髏〔しゃれこうべ〕、という古い笑い話があるが、誰しも幼少年期の傷の後遺はある。感受性は深くて免疫のまだ薄い年頃なので、傷はたいてい思いのほか深い。はるか後年に、すでに癒着したと見えて、かえって肥大して表れたりする。しかも質は幼年の砌のままで。


小児の傷を内に包んで肥えていくのはむしろまっとうな、人の成熟だと言えるのかもしれない。幼い頃の痕跡すら残さないというのも、これはこれで過去を葬る苦闘の、なかなか凄惨な人生を歩んできたしるしかと想像される。しかしまた傷に晩くまで固着するという悲喜劇もある。平生は年相応のところを保っていても、難事が身に起ると、あるいは長い矛盾が露呈すると、幼年の苦についてしまう。現在の関係に対処できなくなる。幼少の砌の髑髏が疼いて啜り泣く。笑い話ではない。


小児性を克服できずに育った、とこれを咎める者もいるだろうが、とても、当の小児にとっても後の大人にとってもおのれの力だけで克服できるようなしろものではない、小児期の深傷〔ふかで〕というものは。やわらかな感受性を衝いて、人間苦の真中へ、まっすぐに入った打撃であるのだ。これをどう生きながらえる。たいていはしばらく、五年十年あるいは二十年三十年と、自身の業苦からわずかに剥離したかたちで生きるのだろう。一身の苦にあまり耽りこむものではない、という戒めがすくなくとも昔の人生智にはあったに違いない。一身の苦を離れてそれぞれの年齢での、家での、社会での役割のほうに付いて。芯がむなしいような心地でながらく過すうちに、傷を克服したとは言わないが、さほど歪まずとも受け止めていられるだけの、社会的人格の《体力》がついてくる。人の親となる頃からそろそろ、と俗には思われているようだ。


しかし一身の傷はあくまでも一身の内面にゆだねられる、個人において精神的に克服されなくてはならない、克服されなくては前へ進めない、偽善は許されない、という一般的な感じ方の世の中であるとすれば、どういうことになるだろう。また社会的な役割の、観念も実態もよほど薄い、個人がいつまでもただの個人として留まることを許される、あるいは放置される世の中であるとすれば。(古井由吉「幼少の砌の」『東京物語考』1984年)


《傷に晩くまで固着するという悲喜劇》とあるが、この固着はフロイトラカン観点からは誰にでもある。


この固着がフロイトの原症状であり、ラカンの享楽だよ[参照]。


享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours. ](Miller, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009)



回帰と反復は等価である、ーー《フロイトは、幼児期の享楽の固着の反復を発見したのである[ Freud l'a découvert (…) une répétition de la fixation infantile de jouissance.]》 (J.-A. MILLER, LES US DU LAPS -22/03/2000)



晩年のラカンのサントーム概念ーー現実界の症状ーー自体、この固着の反復のこと[参照]。


サントームは固着の反復である。サントームは反復プラス固着である[le sinthome c'est la répétition d'une fixation, c'est même la répétition + la fixation]. (Alexandre Stevens, Fixation et Répétition ― NLS argument, 2021/06)



日本のチョロいフロイトラカン注釈書読んでいる暇があったら、古井由吉を読むべきだよ、いや古井由吉に限らず、「まともな」小説家の作品だったら固着の反復の顕れが必ずあるんじゃないかね。僕が日本の小説家でそれをはっきりと見出したのは漱石、芥川[参照]、荷風、犀星、谷崎、安吾、三島(最も端的に「母の乳房への固着」)、大江、それに中上健次だけれど、他の小説家にもきっとあるよ。


固着とは古井由吉の云う「傷への固着」ーーフロイトの「トラウマへの固着と反復強迫」ーーであり、真の作家は自らの傷を探るのが仕事のようなもんだよ、《私といふ作家はその全作品を通じて、自分をあばくことで他をもほじくり返し、その生涯のあいだ、わき見もしないで自分をしらべ、もっとも身近かな一人の人間を見つづけてきたのである。》(室生犀星「杏っ子」後書、1957年)


中井久夫は「発達的記憶論ーー外傷性記憶の位置づけを考えつつ」初出2002年(『徴候・記憶・外傷』所収)にはセフェリスの詩がエピグラフに掲げられている。


海の神秘は浜で忘れられ、

深みの暗さは泡の中で忘れられる。

だが、思い出の珊瑚はにわかに紫の火花を放つ。


ーーヨルゴス・セフェリス(中井久夫訳)



これが幼少の砌の髑髏ーー幼少時の傷への固着の反復ーーの内実であるだろう。