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2021年8月26日木曜日

芥川太宰三島の「母の乳房の喪失」と自殺性向

いままで断片的には何度か記してきた話だが、ここではいくらかまとめて掲げる。このように精神分析的に捉えるということはいささか図式化しすぎのきらいはあるにせよ、基本的には、《幼児の最初期の出来事は、後の全人生において比較を絶した重要性を持つ[die Erlebnisse seiner ersten Jahre seien von unübertroffener Bedeutung für sein ganzes späteres Leben,]》(フロイト『精神分析概説』第7章、1939年)ーーだと私は考えている。



僕の母は狂人だった。僕は一度も僕の母に母らしい親しみを感じたことはない。僕は僕の母に全然面倒を見て貰ったことはない。・・・


僕は時々幻のように僕の母とも姉ともつかない四十恰好の女人が一人、どこかから僕の一生を見守っているように感じている。


僕は母の発狂した為に生まれるが早いか養家に来たから、(養家は母かたの伯父の家だった。)僕の父にも冷淡だった。(芥川龍之介「点鬼簿」1926(大正15)年)

信輔は全然母の乳を吸つたことのない少年だつた。元来体の弱かつた母は一粒種の彼を産んだ後さへ、一滴の乳も与へなかつた。のみならず乳母を養ふことも貧しい彼の家の生計には出来ない相談の一つだつた。彼はその為に生まれ落ちた時から牛乳を飲んで育つて来た。それは当時の信輔には憎まずにはゐられぬ運命だつた。彼は毎朝台所へ来る牛乳の壜を軽蔑した。又何を知らぬにもせよ、母の乳だけは知つてゐる彼の友だちを羨望した。


信輔は壜詰めの牛乳の外に母の乳を知らぬことを恥ぢた。これは彼の秘密だつた。誰にも決して知らせることの出来ぬ彼の一生の秘密だつた。(芥川龍之介「大導寺信輔の半生」1925年)


私の母は病身だつたので、私は母の乳は一滴も飲まず、生れるとすぐ乳母に抱かれ、三つになつてふらふら立つて歩けるやうになつた頃、乳母にわかれて、その乳母の代りに子守としてやとはれたのが、たけである。私は夜は叔母に抱かれて寝たが、その他はいつも、たけと一緒に暮したのである。三つから八つまで、私はたけに教育された。(太宰治『津軽』1944年)


三島の初期の母子関係は異様なものであった。多くの人がその異様さの一端として引用するが,『伜』 によれば,三島の授乳は4時間おきで,祖母・夏子によって管理されており,授乳時間も10分か15分と 決まっていたという(安藤,1998)。また,早くから母親と引き離され,ヒステリー持ちの祖母のカビ臭い部屋に置かれ,祖母の世話役的な育てられ方をした。近所の男の子との遊びも悪戲を覚えてはいけないとの理由で禁止され,女の子として育てられた。祖母の名を差し置いて最初に母の名を呼ぶことが祖母のヒステリーを誘発することを恐れた幼い三島は,いつも祖母の名を先に呼ぶよう気を遣っていた(平岡, 1990)

こうした陰鬱な時間は,三島が16歳で書いた処女作『花盛りの森(1944)』の中に,「祖母は神経痛をやみ,痙攣を始終起こした。(中略)痙攣が,まる一日,ばあいによっては幾夜さもつづくと,もっと顕著なきざしが表れてきた。それは『病気』がわがものがおに家じゅうにはびこることである」と,幼い感受性でとらえた異常さと緊張が描写されている。ここには,①母性の早期の剥奪,②性の同一性の混乱,③依存を体験する前に大人に対する気遣いや世話を身につけてしまったことなど,世代の錯綜の問題などがすでに孕まれており,三島自身が初期に拘るようになるに十分な人生のスタートであった。(井原成男「ロールシャッハ・テストプロトコルからみた 三島由紀夫の母子関係と同性愛」2015


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私は自殺をする人間がきらひである。自殺にも一種の勇気を要するし、私自身も自殺を考へた経験があり、自殺を敢行しなかつたのは単に私の怯懦からだと思つてゐるが、自殺する文学者といふものを、どうも尊敬できない。武士には武士の徳目があつて、切腹やその他の自決は、かれらの道徳律の内部にあつては、作戦や突撃や一騎打と同一線上にある行為の一種にすぎない。だから私は、武士の自殺といふものはみとめる。しかし文学者の自殺はみとめない。〔・・・〕

あるひは私の心は、子羊のごとく、小鳩のごとく、傷つきやすく、涙もろく、抒情的で、感傷的なのかもしれない。それで心の弱い人を見ると、自分もさうなるかもしれないといふ恐怖を感じ、自戒の心が嫌悪に変はるのかもしれない。しかし厄介なことは、私のかうした自戒が、いつしか私自身の一種の道徳的傾向にまでなつてしまつたことである。〔・・・〕


自殺する作家は、洋の東西を問わず、ふしぎと藝術家意識を濃厚に持つた作家に多いやうである。〔・・・〕芥川は自殺が好きだつたから、自殺したのだ。私がさういふ生き方をきらひであつても、何も人の生き方に咎め立てする権利はない。(三島由紀夫「芥川龍之介について」1954(昭和29)年)

「大体僕は自殺する人間の衰えや弱さがきらいだ。でも一つだけ許せる種類の自殺がある。それは自己正当化の自殺だよ」(三島由紀夫『天人五衰』1970)



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ナルシシズムの自殺的攻撃[l'agression suicidaire du narcissisme. (Lacan, Propos sur la causalité psychique , E174, 1946)

ナルシシズムの背後には、死がある[derrière le narcissisme, il y a la mort.(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 06/04/2011)


自殺性向とイマージュの関係は、本質的にナルシスの神話に表現されている[le rapport de l'image à la tendance suicide que le mythe de Narcisse exprime essentiellement.。この自殺性向は、私の見解では、フロイトがそのメタ心理学において、「死の本能」と「原マゾヒズム 」の名の下に[le nom d'instinct de mort ou encore de masochisme primordial]、探し求めようとしたものである。〔・・・〕これは、私の見解では次の事実に準拠している、すなわちフロイトの思考における最初期の悲惨な段階[la phase de misère originelle]、つまり出産外傷[traumatisme de la naissance]から、離乳外傷[traumatisme du sevrage]までである。 (Lacan, Propos sur la causalité psychique , Ecrits 187, 1946、摘要訳)

口唇的離乳と出産の離乳(分離)とのあいだには類似性がある。il у а analogie entre le sevrage oral  et le sevrage de la naissance (Lacan, S10, 15 Mai, 1963)



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享楽は去勢である[la jouissance est la castration.](Lacan parle à BruxellesLe 26 Février 1977


去勢は、身体から分離される糞便や離乳における母の乳房の喪失という日常的経験を基礎にして描写しうる。Die Kastration wird sozusagen vorstellbar durch die tägliche Erfahrung der Trennung vom Darminhalt und durch den bei der Entwöhnung erlebten Verlust der mütterlichen Brust〔・・・〕


死の不安は、去勢不安の類似物として理解されるべきである。自我が反応するその状況は、保護的超自我ーー運命の力ーーに見捨てられること[das Verlassensein vom schützenden Über-Ich – den Schicksalsmächten]であり、危険に対するすべての保障が消滅してしまうことである。

die Todesangst als Analogon der Kastrationsangst aufzufassen ist und daß die Situation, auf welche das Ich reagiert, das Verlassensein vom schützenden Über-Ich – den Schicksalsmächten – ist, womit die Sicherung gegen alle Gefahren ein Ende hat. (フロイト『制止、症状、不安』第7章、1926年)


※「保護的超自我」=「母なる超自我」➡︎ 「母なる超自我=母との同一化=母への固着



乳児はすでに母の乳房が毎回ひっこめられるのを去勢[der Säugling schon das jedesmalige Zurückziehen der Mutterbrust als Kastration]、つまり、自己身体の重要な一部の喪失[Verlust eines bedeutsamen, zu seinem Besitz gerechneten Körperteils と感じるにちがいないこと、規則的な糞便もやはり同様に考えざるをえないこと、そればかりか、出産行為[Geburtsakt ]がそれまで一体であった母からの分離[Trennung von der Mutter, mit der man bis dahin eins war]として、あらゆる去勢の原像[Urbild jeder Kastration]であるということが認められるようになった。(フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註)


寄る辺なさと他者への依存性という事実は、愛の喪失の不安と名づけるのが最も相応しい。Es ist in seiner Hilflosigkeit und Abhängigkeit von anderen leicht zu entdecken, kann am besten als Angst vor dem Liebesverlust bezeichnet werden. (フロイト『文化の中も居心地の悪さ』第7章、1930年)

不安は対象を喪った反応として現れる。最も根源的不安(出産時の《原不安》)は母からの分離によって起こる。Die Angst erscheint so als Reaktion auf das Vermissen des Objekts, […] daß die ursprünglichste Angst (die » Urangst« der Geburt) bei der Trennung von der Mutter entstand. (フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11B1926年)


愛の喪失の不安[Angst vor dem Liebesverlust]は明瞭に、母の不在を見出したときの幼児の不安、その不安の後年の生で発展形である。あなた方は悟るだろう、この不安によって示される危険状況がいかにリアル[reale]なものかを。母が不在あるいは母が幼児から愛を退かせたとき、幼児のおそらく最も欲求の満足はもはや確かでない。そして最も苦痛な緊張感に曝される。次の考えを拒絶してはならない。つまり不安の決定因はその底に出生時の原不安の状況[die Situation der ursprünglichen Geburtsangst を反復していることを。それは確かに母からの分離[Trennung von der Mutter]を示している。(フロイト『新精神分析入門』第32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben1933年)


※参照:「愛の三相



【愛の喪失=享楽の喪失】

反復強迫はなんらかの快の見込みのない過去の体験、すなわち、その当時にも満足ではありえなかったし、ひきつづき抑圧された欲動蠢動でさえありえなかった過去の体験を再現する。daß der Wiederholungszwang auch solche Erlebnisse der Vergangenheit wiederbringt, die keine Lustmöglichkeit enthalten, die auch damals nicht Befriedigungen, selbst nicht von seither verdrängten Triebregungen, gewesen sein können. 

幼時の性生活の早期開花は、その願望が現実と調和しないことと、子供の発達段階に適合しないことのために、失敗するように運命づけられている。それは深い痛みの感覚をもって、最も厄介な条件の下で消滅したのである。この愛の喪失と失敗とは、ナルシシズム的傷痕として、自我感情の永続的な傷害を残す。Die Frühblüte des infantilen Sexuallebens war infolge der Unverträglichkeit ihrer Wünsche mit der Realität und der Unzulänglichkeit der kindlichen Entwicklungsstufe zum Untergang bestimmt. Sie ging bei den peinlichsten Anlässen unter tief schmerzlichen Empfindungen zugrunde. Der Liebesverlust und das Mißlingen hinterließen eine dauernde Beeinträchtigung des Selbstgefühls als narzißtische Narbe,(フロイト『快原理の彼岸』第3章、1920年)


反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance]。〔・・・〕フロイトは強調している、反復自体のなかに、享楽の喪失があると[FREUD insiste :  que dans la répétition même, il y a déperdition de jouissance]。ここにフロイトの言説における喪われた対象の機能がある。これがフロイトだ[C'est là que prend origine dans le discours freudien la fonction de l'objet perdu. Cela c'est FREUD.   〔・・・〕フロイトの全テキストは、この「廃墟となった享楽」への探求の相がある。conçu seulement sous cette dimension de la recherche de cette jouissance ruineuse, que tourne tout le texte de FREUD. Lacan, S17, 14 Janvier 1970



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芥川はこうも書いている。


僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた。僕のしみじみした心もちになつてマインレンデルを読んだのもこの間である。(芥川龍之介「或旧友へ送る手記」昭和二年七月、遺稿)

マインレンデルは頗る正確に死の魅力を記述してゐる。実際我々は何かの拍子に死の魅力を感じたが最後、容易にその圏外に逃れることは出来ない。のみならず同心円をめぐるやうにぢりぢり死の前へ歩み寄るのである。(芥川龍之介「侏儒の言葉」1927(昭和2)年)


この当時も今もあまり知られていないマインレンデルは、おそらく鴎外の記述起源だろう。


この頃自分は Philipp Mainlaender が事を聞いて、その男の書いた救抜の哲学を読んで見た。 〔・・・〕人は最初に遠く死を望み見て、恐怖して面を背ける。次いで死の廻りに大きい圏を画いて、震慄しながら歩いてゐる。その圏が漸く小くなつて、とうとう疲れた腕を死の項に投げ掛けて、死と目と目を見合はす。そして死の目の中に平和を見出すのだと、マインレンデルは云つてゐる。


さう云つて置いて、マインレンデルは三十五歳で自殺したのである。


自分には死の恐怖が無いと同時にマインレンデルの「死の憧憬」も無い。 


死を怖れもせず、死にあこがれもせずに、自分は人生の下り坂を下つて行く。(森鴎外「妄想」明治四十四年三月四月)


鴎外は、どちらかと言えば、芥川の分離不安類型ではなく、融合不安類型だったのだろう。


最初の母子関係において、子供は身体的な未発達のため、必然的に、最初の大他者の受動的対象として扱われる。この関係は二者-想像的であり、それ自体、主体性のための障害を引き起こす。そこでは二つの選択しかない。母の欲望に従うか、それともそうするのを拒絶して死ぬか、である。


そのときの基本動因は、不安である。この原不安は母に向けられた二者関係にかかわる。この母は、現代では最初の世話役としてもよい。寄る辺ない幼児は母を必要とする。これゆえに、明らかに「分離不安」がある。とはいえ、この母は過剰に現前しているかもしれない。母の世話は息苦しいものかもしれない。これは母に呑み込まれる不安である。これを「融合不安」と呼びうる。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, new studies of old villainsーーA Radical Reconsideration of the Oedipus Complex, 2009、摘要)