ボクは主にジャック=アラン・ミレールとポール・バーハウに依拠しつつ、「モノは超自我」だとか、「モノは固着」だとか言っているわけだけど、一応は裏付けとってんだよ。説明するのがメンドイから明示化してないだけで。日本のフロイトラカン研究者はそんなこと言ってないと言われてもな、知らんよ、そんなことは。もし連中がこれに微かでも掠っていなかったら、木瓜の花ぞろいってことだろ。
超自我と原抑圧との一致がある[il y a donc une solidarité du surmoi et du refoulement originaire](J.-A. MILLER, LA CLINIQUE LACANIENNE, 24 FEVRIER 1982) |
フロイトの原抑圧として概念化したものは何よりもまず固着である。この固着とは、身体的な何ものかが心的なものの領野外に置き残されるということである。〔・・・〕原抑圧はS(Ⱥ) に関わる [Primary repression concerns S(Ⱥ)]。(PAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST?, 1997) |
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フロイトは、超自我[Über-Ich]をめぐって、同一化[Identifizierung](取り入れ[Introjektion])、固着[Fixierung]という用語を使っている。 |
超自我への取り入れ〔・・・〕。幼児は優位に立つ権威を同一化によって吸収する。するとそれは幼児の超自我になり、できれば幼児がその権威に用いたであろうあらゆる攻撃性向を備えるにいたる。[Introjektion ins Über-Ich…indem es diese unangreifbare Autorität durch Identifizierung in sich aufnimmt, die nun das Über-Ich wird und in den Besitz all der Aggression gerät, die man gern als Kind gegen sie ausgeübt hätte. (フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第7章、1930年) |
超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する[Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend. ](フロイト『精神分析概説』第2章、1939年) |
権威との同一化における原初の権威は、母である。 |
全能の構造は、母のなかにある、つまり原大他者のなかに。…それは、あらゆる力をもった大他者である[la structure de l'omnipotence, …est dans la mère, c'est-à-dire dans l'Autre primitif… c'est l'Autre qui est tout-puissant](ラカン, S4, 06 Février 1957) |
このフロイト二文とラカン一文から、前エディプス期の母との同一化[Mutteridentifizierung]、母への固着[Fixierung an die Mutter]が、超自我にかかわると読むことができる。 |
前エディプス期の母との同一化[Die Mutteridentifizierung …die präödipale,](フロイト「女性性 Die Weiblichkeit」『続・精神分析入門講義』第33講、1933年) |
おそらく、幼児期の母への固着の直接的な不変の継続がある[Diese war wahrscheinlich die direkte, unverwandelte Fortsetzung einer infantilen Fixierung an die Mutter. ](フロイト『女性同性愛の一事例の心的成因について』1920年) |
1950年代に既にメラニー・クラインとラカンはこう言っている。 |
私の観点では、乳房の取り入れは、超自我形成の始まりである。…したがって超自我の核は、母の乳房である[In my view…the introjection of the breast is the beginning of superego formation…The core of the superego is thus the mother's breast,] (Melanie Klein, The Origins of Transference, 1951) |
母の乳房の、いわゆる原イマーゴの周りに最初の固着が形成される[sur l'imago dite primordiale du sein maternel, par rapport à quoi vont se former … ses premières fixations, ](Lacan, S4, 12 Décembre 1956) |
母なる超自我[surmoi maternel]・太古の超自我[surmoi archaïque]、この超自我は、メラニー・クラインが語る原超自我 [surmoi primordial]の効果に結びついているものである。…最初の他者の水準において、ーーそれが最初の要求[demandes]の単純な支えである限りであるがーー私は言おう、幼児の欲求[besoin]の最初の漠然とした分節化、その水準における最初の欲求不満[frustrations]において、…母なる超自我に属する全ては、この母への依存[dépendance]の周りに分節化される。 (Lacan, S5, 02 Juillet 1958) |
この三文を併せて読めば、取り入れ(同一化)、超自我、固着をほとんど等置しているように読める。 |
もっとも最初の固着は必ずしも「母の乳房」に限定はされない(フロイトラカンの後年の議論、とくにフロイトが問い続けたオットー・ランクの『出産外傷』における「女性器への固着」を、最晩年のフロイトは、母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter ]としている)。 したがってラカンは二年後、母の乳房を「母の身体」と一般化した。 |
モノは母である[das Ding, qui est la mère](ラカン, S7, 16 Décembre 1959) |
クラインの分節化は次のようになっている、すなわちモノの中心的場に置かれるものは、母の神秘的身体である[L'articulation kleinienne consiste en ceci : à avoir mis à la place centrale de das Ding le corps mythique de la mère,] (Lacan, S7, 20 Janvier 1960) |
ここまで示してきた内容から、このモノが固着(母への固着)であり、かつまた超自我(母なる超自我)とすることができる。 |
さらにまたこのモノが現実界であり享楽である。 |
フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne …ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
モノは享楽の名である[das Ding…est tout de même un nom de la jouissance](J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse XX, 10 juin 2009) |
母なる対象はいくつかの顔がある。まずは「要求の大他者」である。だがまた「身体の大他者」、「原享楽の大他者」である[L'objet maternel a plusieurs faces : c'est l'Autre de la demande, mais c'est aussi l'Autre du corps…, l'Autre de la jouissance primaire.](Colette Soler , LE DÉSIR, PAS SANS LA JOUISSANCE Auteur :30 novembre 2017) |
こうしてジャック=アラン・ミレールの[モノ=サントーム=固着=S(Ⱥ) =超自我]を受け入れることができる筈である。 |
ラカンがサントームと呼んだものは、ラカンがかつてモノと呼んだものの名、フロイトのモノの名である[Ce que Lacan appellera le sinthome, c'est le nom de ce qu'il appelait jadis la Chose, das Ding, ou encore, en termes freudiens](J.-A.MILLER,, Choses de finesse en psychanalyse X, 4 mars 2009) |
サントームは固着である[Le sinthome est la fixation]. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011、摘要) |
シグマΣ、サントームのシグマは、シグマとしてのS(Ⱥ) と記される[c'est sigma, le sigma du sinthome, …que écrire grand S de grand A barré comme sigma] (J.-A. Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 6 juin 2001) |
S(Ⱥ)に、フロイトの超自我の翻訳を見い出しうる[S(Ⱥ) …on pourrait retrouver une transcription du surmoi freudien. ](J.-A.MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses Comités d'éthique - 27/11/96) |
後年のラカンはこう言っている。 |
一般的に神と呼ばれるもの、それは超自我と呼ばれるものの作用である[on appelle généralement Dieu …, c'est-à-dire ce fonctionnement qu'on appelle le surmoi.](ラカン, S17, 18 Février 1970) |
一般的に神と呼ばれるものがある。だが精神分析が明らかにしたのは、神とは単に女なるものだということである[C'est celui-là qu'on appelle généralement Dieu, mais dont l'analyse dévoile que c'est tout simplement « La femme ». ](ラカン, S23, 16 Mars 1976) |
この二文から、女なるものは超自我とすることができる。この女なるものは、基本的には、母なる女だ。 |
(原母子関係には)母なる女の支配がある。語る母・幼児が要求する対象としての母・命令する母・幼児の依存を担う母が。女なるものは、享楽を与えるのである、反復の仮面の下に。[…une dominance de la femme en tant que mère, et : - mère qui dit, - mère à qui l'on demande, - mère qui ordonne, et qui institue du même coup cette dépendance du petit homme. La femme donne à la jouissance d'oser le masque de la répétition.] (Lacan, S17, 11 Février 1970) |
「母なる女なるものが幼児に享楽を与える」とあるが、享楽とは何よりもまず固着である。 |
享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する。[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours. ](J.-A.MILLER, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009) |
母なる女が幼児に固着を与えるのである。 |
女への固着(おおむね母への固着)[Fixierung an das Weib (meist an die Mutter)](フロイト『性理論三篇』1905年、1910年注) |
母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への拘束として存続する。Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. (フロイト『精神分析概説』第7章、1939年) |
後年のラカンは享楽はマゾヒズムとしているが、マゾヒズム自体、母への固着だ。 |
享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムから構成されている。マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはこれを見出したのである[la jouissance c'est du Réel. …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert ](Lacan, S23, 10 Février 1976) |
マゾヒズムの病理的ヴァージョンは、対象関係の前性器的欲動への過剰な固着を示している。それは母への固着である[le masochisme, …une version pathologique, qui, elle, renvoie à un excès de fixation aux pulsions pré-génitales de la relation d'objet. Elle est fixation sur la mère,. (Éric Laurent発言) (J.-A. Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 7 février 2001) |
以上、モノは固着であり[ La Chose est la fixation]、かつまた、モノは超自我である[ La Chose est le surmoi]。これはネット上を仏語独語英語で検索する限りで誰も「直接的には=文字通りには」そう言っている人には行き当たらないが、上の引用群を受け入れるなら、どうしたってそうなる。事実上、ジャック=アラン・ミレールはほとんどそう言っているのを示したし、フロイトラカンクラインからもそう読める。