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2023年4月5日水曜日

能面師中村光江

 実に美しい。鳥肌が立つほど。





YouTube:能面ができるまで。日本で40年以上磨き上げた職人の能面作り



能面師中村光江。次のような経歴をもたれている方だそうだ。


三重県生まれ。1969年京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)洋画科卒業。

1983年能面を習いはじめ、1990年から能面師・堀安右衞門に師事、本格的に能面の創作に入る。

観世宗家をはじめ多数の能楽師に作品を納めている。また、大阪、神戸、京都で制作の指導にあたっている。




関連づけるつもりはないが、小林秀雄の文を想い出したので、ここに掲げておく。



当麻寺に詣でた念仏僧が、折からこの寺に法事に訪れた老尼から、昔、中将姫がこの山に籠り、念仏三昧のう ちに、正身(しやうじん)の弥陀の来迎を拝したといふこの寺の縁起を聞く、老尼は物語るうちに、嘗て中将姫 の手引きをした化尼と変じて消え、中将姫の精魂が現れて舞ふ。音楽と踊りと歌との最小限度の形式、音楽は叫 び声の様なものとなり、踊りは日常の起居の様なものとなり、歌は祈りの連続の様なものになつて了つてゐる。 そして、さういふものが、これでいゝのだ、他に何か必要なのか、と僕に絶えず囁いてゐる様であつた。音と形 との単純な執拗な流れに、僕は次第に説得され征服されて行く様に思へた。最初のうちは、念仏僧の一人は、麻雀がうまさうな顔付をしてゐるなどと思つてゐたのだが。


老尼が、くすんだ菫色の被風を着て、杖をつき、橋掛りに現れた。真っ白な御高祖頭巾の合い間から、灰色の眼鼻を少しばかり覗かせているのだが、それが、何かが化けた様な妙な印象を与え、僕は其処から眼を外らす事が出来なかった。僅かに能面の眼鼻が覗いているという風には見えず、例えば仔猫の屍骸めいたものが二つ三つ重なり合い、風呂敷包みの間から、覗いて見えるという風な感じを起させた。何故そんな聯想が浮かんだのかわからなかった。僕が漠然と予感したとおり、婆さんは、何もこれと言って格別な事もせず、言いもしなかった。含み声でよく解らぬが、念仏をとなえているのが一番ましなんだぞ、という様な事を言うらしかった。要するに、自分の顔が、念仏層にも観客にもとっくりと見せたいらしかった。


勿論、仔猫の屍骸なぞと馬鹿々々しい事だ、と言ってあんな顔を何んだと言えばいいのか。間狂言になり、場内はざわめいていた。どうして、みんなあんな奇怪な顔に見入っていたのだろう。念の入ったひねくれた工夫。併し、あの強い何とも言えぬ印象を疑うわけにはいかぬ、化かされていたとは思えぬ。何故、眼が離せなかったのだろう。この場内には、ずい分顔が集まっているが、眼が離せない様な面白い顔が、一つもなさそうではないか。どれもこれも何という不安定な退屈な表情だろう。そう考えている自分にしたところが、今どんな馬鹿々々しい顔を人前に曝しているか、僕の知った事でないとすれば、自分の顔に責任が持てる様な者はまず一人もいないという事になる。而も、お互に相手の表情なぞ読み合っては得々としている。滑稽な果敢無い話である。幾時ごろから、僕等は、そんな面倒な情無い状態に堕落したのだろう。そう古い事ではあるまい。現に眼の前の舞台は、着物を着る以上お面も被った方がよいという、そういう人生がつい先だってまで厳存していた事を語っている。


仮面を脱げ、素面を見よ、そんな事ばかり喚きながら、何処へ行くのかも知らず、近代文明というものは駆け出したらしい。ルッソオはあの「懺悔録」で、懺悔など何一つしたわけではなかった。あの本にばら撒かれていた当人も読者も気が付かなかった女々しい毒念が、次第に方図もなく拡がったのではあるまいか。僕は間狂言の間、茫然と悪夢を追う様であった。(小林秀雄「当麻」)