以下、この齢になるまでほとんど無知だったことの「オベンキョウ」備忘。
国土総合研究所資料「歴史まちづくりの手引き(案)」(2013年、PDF)を覗いてみると、こうある。 |
我が国の各都道府県の中心的な都市は、そのほとんどが近世(およそ安土桃山時代~江戸時代位)に城下町として発展した都市である。明治維新以降、城郭や寺社地は破壊等され現存していない場合も多いものの、その当時に整備された都市基盤を継承している。 |
城下町以外を起源とする歴史的な都市としては、例えば門前町を起源とする長野市(善光寺)や伊勢市(伊勢神宮)、港町を起源とする新潟市や函館市等がある。 特に城下町は、領主の拠点である城郭を中心に家臣の居宅領域である武家地、寺社地、町人地等といった、武士と町人の領域が複合的に立地することで都市として発展し、城下町の中にいくつもの特徴的な町が形成された。街道と接する領域は宿場町へ、舟運等により物資集積の拠点となった地区は港町(川湊町を含む)へ、製造や生産を主とした領域は在郷町へと発達したことで、現在では城下町としての歴史性よりも、個別に発展した領域での歴史性が色濃く表れている都市も多いと考えられる。 |
我が国のほとんどのまちは、こうした歴史的な都市の構造を背景に有しており、歴史まちづくりの資質を備えていると考えられる。 |
宿場町というのは必ずしも駅逓事務や参勤交代の宿駅ではなく、一般庶民の参詣(伊勢神宮等)の宿泊施設でもあったんだな。知ってた気もするが、でも知らなかったと言っておくよ。
(そもそも故郷のまちのごく近場に御油宿場があって、あの歌川広重の「客の取り合い」浮世絵は駅逓でも大名一行でもないに決まってんだけど。➡︎浮世の果は皆小町なり)
➡︎Anna Film Production【関宿】東海道の宿場