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2023年5月24日水曜日

群衆と集団の区別

 


少し前、ル・クレジオの文を拾って一度引用したことがあるが、彼は群衆[foule]と集団[groupe]を区別している。


群衆は枯れ葉のように渦巻く。男たちと女たちの集団は、磁場を動き回る鉄のやすり屑のように、くっつき合い、散らばり、少し先でまた集まる。La foule allait et venait, tourbillonnait comme les feuilles mortes. Les groupes d'hommes et de femmes s'aggloméraient, se dispersaient, se reformaient plus loin, comme la limaille de fer dans un champ magnétique. (ル・クレジオ「リュラビー(Lullaby)」『海を見たことがなかった少年』1978年)


ここでのル・クレジオの用語使いでは、散らばった群衆が何らかの仕方でくっつき合うのが集団である。


これはラカンも同様の仕方で使っている。


フロイトの集団心理学は、ヒトラー大躍進の序文である。人はみなこの種の虜になり、群衆[foule]と呼ばれるものが集団になっての捕獲[la prise en masse]、ゼリー状の捕獲になるのではないか?

FREUD …la psychologie collective…préfaçant la grande explosion hitlérienne…pour que chacun entre dans cette sorte de fascination qui permet la prise en masse, la prise en gelée de ce qu'on appelle une foule ?(ラカン, S8, 28 Juin 1961)



フロイトの『集団心理学と自我の分析(Massenpsychologie und Ich-Analyse)』第3章は、ウイリアム・マックドゥガル(William McDougall)の『集団の心(The Group Mind)』(1920年)が引用されているが、マックドゥガルは集団 groupと群集 crowdを区別していることが指摘されている。組織化されていない人間の群が群衆であり、何らの形で組織化された人間の群が集団である。



マックドゥガル(William McDougall)の『集団の心(The Group Mind)』によれば、もっとも簡単な場合には集団 groupはなんの組織ももっていないか、あるいは、組織と名づけるに値しない程度のものしかもっていない。彼はこのような集団を群集 crowdといいあらわしている。


けれども彼は、群集(人間の群れ[ Haufen Menschen」)には少なくとも組織の最初の端緒がつくられていて、それがなければ、人間が群れをなしてあつまることは稀であることを認めている。また、群集というこの簡単な集団にこそ、集合心理学[Kollektivpsychologie]の多くの根本事実がとりわけ容易にみとめられると語っている。

Doch gesteht er zu, daß ein Haufen Menschen nicht leicht zusammenkommt, ohne daß sich in ihm wenigstens die ersten Anfänge einer Organisation bildeten, und daß gerade an diesen einfachen Massen manche Grundtatsachen der Kollektivpsychologie besonders leicht zu erkennen sind


偶然に吹き寄せられたような人間の群れの仲間[Mitgliedern eines Menschenhaufens] が、心理学的な意味での集団[Masse im psychologischen Sinne]に類したものを形成するには、これらの個人たちが相互に何か共通なもの、つまりある一つの対象にたいする共通の関心とか、ある状況の中で、おなじ方向にむかう感情とか、そして(その結果と私はいいたいが) 相互に影響し合うある程度の集団成員相互間の影響とか、これらのものを共有していることが条件として必要になる。Damit sich aus den zufällig zusammengewehten Mitgliedern eines Menschenhaufens etwas wie eine Masse im psychologischen Sinne bilde, wird als Bedingung erfordert, daß diese Einzelnen etwas miteinander gemein haben, ein gemeinsames Interesse an einem Objekt, eine gleichartige Gefühlsrichtung in einer gewissen Situation und (ich würde einsetzen: infolgedessen) ein gewisses Maß von Fähigkeit, sich untereinander zu beeinflussen.(»Some degree of reciprocal influence between the members of the group.«)


この共通性[Gemeinsamkeiten](この精神的な同質性 this mental homogeneity) が高ければ高いほどそれだけ容易に、個人たちのあいだから心理学的集団[psychologische Masse]が作られ、「集団精神[Massenseele](集団の心)」の現れはますます際立ってくる。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第3章、1921年)


今、グレーに塗った箇所の記述が重要である。もっともこの記述がある前章(第2章)では、フロイトは、ル・ボンの『群衆心理(La psychologie des foules)』(1895年)を引用して、この群衆[foules]という語を集団[Masse]という独語にしつつ記述しているということはある。だが、後の章になればなるほど、マックドゥガルの『集団の心(The Group Mind)』1920年)における集団[group]と群集[crowd]の区別が重要視されているように読める。


フロイトにとって集団心理学とは、群衆がいかに集団となるかの心理学であり、それが次の名高い図に示されていることである[参照]。






ラカン派では、自我が自我理想を取り入れることを象徴的同一化、各自我がこの自我理想を通して投射し合うことを想像的同一化と言う。





この想像的同一化にもフロイト概念の理想自我 Idealichーー自我理想 Ichidealとは異なる自己愛 Selbstliebeの審級ーーが関与する。ツイッターなどで、或る理念やイデオロギー(自我理想)の下に集団形成して互いに共感し合うのは、フロイトラカンの思考の下では、殆どの場合、この理想自我を通した自己愛による。