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2023年7月28日金曜日

カイエの回帰

 

結局、オットー・ランクの女性器への固着なんだけどな、(精神分析においての)人間の根にあるのは。

出生の器官としての女性器の機能への不快な固着は、究極的には成人の性的生のすべての神経症的障害の底に横たわっている[Die unlustvolle Fixierung an diese Funktion des weiblichen Genitales als Gebärorgan, liegt letzten Endes noch allen neurotischen Störungen des erwachsenen Sexuallebens zugrunde」(オットー・ランク『出産外傷』Otto Rank "Das Trauma der Geburt" 1924年)


ーー不快な固着[unlustvolle Fixierung]とあるが、この不快[unlust]は、ランクの『出産外傷』を大々的に取り上げた『制止、症状、不安』のフロイト用語では不安[Angst]のこと。


不安は特殊な不快状態である[Die Angst ist also ein besonderer Unlustzustand](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)



で、この不安はトラウマであり、喪失(母の喪失)のことだ。


不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma]。(フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)

不安は対象の喪失への反応として現れる。…最も根源的不安(出産時の《原不安》)は母からの分離によって起こる[Die Angst erscheint so als Reaktion auf das Vermissen des Objekts, (…) daß die ursprünglichste Angst (die » Urangst« der Geburt) bei der Trennung von der Mutter entstand.](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

母なる対象の喪失[Verlust des Mutterobjekts] (フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)


究極の原不安を、女性器よりも母胎の喪失と言うほうをフロイトは好んだが。


心理的な意味での母という対象は、子供の生物的な胎内状況の代理になっている。Das psychische Mutterobjekt ersetzt dem Kinde die biologische Fötalsituation.  (フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

喪われた子宮内生活[verlorene Intrauterinleben](フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)



以上、何よりもまず、不快[unlust]=不安[Angst]=トラウマ[Trauma]=喪失[Verlust]であり、これがラカンの享楽だよ。





不快は享楽以外の何ものでもない [déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. ](Lacan, S17, 11 Février 1970)


ラカンは享楽を穴としたが、トラウマの穴のことだ。


享楽は穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que …comme trou ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)

現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)



そして、穴と喪失は等価。


享楽の喪失がある[il y a déperdition de jouissance](Lacan, S17, 14 Janvier 1970)

穴、すなわち喪失の場処[un trou, un lieu de perte]   (Lacan, S20, 09 Janvier 1973)



享楽の対象は喪われた母であり、究極的には胎盤だ。


享楽の対象としてのモノは、快原理の彼岸にあり、喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…au niveau de l'Au-delà du principe du plaisir…cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970、摘要)

母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノ[das Ding]の場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding.](Lacan, S7, 16  Décembre  1959)

例えば胎盤は、個人が出産時に喪なった己れ自身の部分を確かに表象する。それは最も深い意味での喪われた対象を徴示する[le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance, et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond.  ](Lacan, S11, 20 Mai 1964)


子宮内生活は、まったき享楽の原像である[La vie intra-utérine est l'archétype de la jouissance parfaite](Pierre Dessuant, Le narcissisme primaire, 2007)



ジャック=アラン・ミレールは異なる時期において次の図を示している。




上辺は下辺に対する防衛(抑圧)ということであり、大他者=父の名で抑圧する。下辺のモノChoseは、喪われた母、喪われた享楽ということだ。



以上、オットーランクの女性器への不快な固着は、喪われた母胎へのトラウマ的固着、喪われた享楽への固着等々言い換えうる。


出産外傷、つまり出生という行為は、一般に母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま、原抑圧[Urverdrängung]を受けて存続する可能性をともなう原トラウマ[Urtrauma]と見なせる。

Das Trauma der Geburt .… daß der Geburtsakt,… indem er die Möglichkeit mit sich bringt, daß die »Urfixierung«an die Mutter nicht überwunden wird und als »Urverdrängung«fortbesteht. …dieses Urtraumas (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年、摘要)

人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, (…)  eine solche Rückkehr in den Mutterleib. ](フロイト『精神分析概説』第5章、1939年)



原固着=原抑圧であり、この母胎回帰が究極の抑圧されたものの回帰だよ、

ないかい、キミたちにはこの回帰が?


結局、成人したからといって、原トラウマ的不安状況の回帰に対して十分な防衛をもたない[Gegen die Wiederkehr der ursprünglichen traumatischen Angstsituation bietet endlich auch das Erwachsensein keinen zureichenden Schutz](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年)



蚊居肢子にはしじゅうあるがね、不幸にも真の回帰は死ぬまで待たなくちゃいけないようだけど。



死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない[le chemin vers la mort n'est rien d'autre que  ce qu'on appelle la jouissance. ](Lacan, S17, 26 Novembre 1969)


死は愛である [la mort, c'est l'amour.](Lacan, L'Étourdit  E475, 1970)

愛への意志、それは死をも意志することである[Wille zur Liebe: das ist, willig auch sein zum Tode. ](ニーチェ『ツァラトゥストラ』  第2部「無垢な認識」1884年)


人間は死ぬまで愛情に飢ゑてある動物ではなかつたか(室生犀星『随筆 女ひと』1955年)

生きているということもまた、死の観念におさおさ劣らず、思いこなしきれぬもののようだ。生きていることは、生まれて来た、やがて死ぬという、前後へのひろがりを現在の内に抱えこんでいる。このひろがりはともすれば生と死との境を、生まれる以前へ、死んだ以後へ、本人は知らずに、超えて出る。(古井由吉『この道』「たなごころ」2019年)



ま、これは実はみんな知ってることだよ、よほどのボケじゃない限り。多くの場合、遠回りの道をとってるだけでさ。


女性の場合の母胎回帰は、モロに永遠回帰の形になるんだろうよ。




自傷行為が女性に片寄っているのは、このせいじゃないかね。



主体の自傷行為は、イマジネールな身体ではなくリビドーの身体による[l'auto mutilation du sujet (…)  le corps qui n'est pas le corps imaginaire mais le corps libidinal]( J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6   - 16/06/2004)

享楽の名は、リビドーというフロイト用語と等価である[le nom de jouissance, … le terme freudien de libido …faire équivaloir. ](J.-A. MILLER, - Orientation lacanienne III, 10 -30/01/2008)


すべての欲動は実質的に、死の欲動である[toute pulsion est virtuellement pulsion de mort](Lacan, E848, 1966年)

リビドーは愛の欲動である[Libido est Liebestriebe](フロイト『集団心理学と自我の分析』第4章、1921年、摘要)

リビドーはそれ自体、死の欲動である[La libido est comme telle pulsion de mort](J.-A. Miller,  LES DIVINS DÉTAILS, 3 mai 1989)


真の女が知らないわけないだろ、このことを? ファザコン妄想に耽っている女たちだけだよ、知らないのは。



男はみな知ってるよ、真の女に出会ったことないヤツ以外は。あの女蜘蛛の回帰、あの女郎蜘蛛の永遠回帰を。


蜘蛛よ、なぜおまえはわたしを糸でからむのか。血が欲しいのか。ああ!ああ![Spinne, was spinnst du um mich? Willst du Blut? Ach! Ach!   ](ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「酔歌」第4節、1885年)

おお、永遠の泉よ、晴れやかな、すさまじい、正午の深淵よ。いつおまえはわたしの魂を飲んで、おまえのなかへ取りもどすのか[- wann, Brunnen der Ewigkeit! du heiterer schauerlicher Mittags-Abgrund! wann trinkst du meine Seele in dich zurück?](ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「正午 Mittags」)

月光をあびてのろのろと匍っているこの蜘蛛[diese langsame Spinne, die im Mondscheine kriecht]、またこの月光そのもの、また門のほとりで永遠の事物についてささやきかわしているわたしとおまえーーこれらはみなすでに存在したことがあるのではないか。

そしてそれらはみな回帰するのではないか、われわれの前方にあるもう一つの道、この長いそら恐ろしい道をいつかまた歩くのではないかーーわれわれは永遠回帰[ewig wiederkommen]する定めを負うているのではないか。 (ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3部「 幻影と謎 Vom Gesicht und Räthsel」 第2節、1884年)


だいたいフロイトラカンってのは原理の部分はニーチェのパクリなんだよ、


真の女は常にメデューサである[une vraie femme, c'est toujours Médée. ](J.-A. Miller, De la nature des semblants, 20 novembre 1991)

『夢解釈』の冒頭を飾るフロイト自身のイルマの注射の夢、おどろおどろしい不安をもたらすイマージュの亡霊、私はあれを《メドゥーサの首 》と呼ぶ[rêve de l'injection d'Irma, la révélation de l'image terrifiante, angoissante, de ce que j'ai appelé  « la tête de MÉDUSE »]。あるいは、名づけようもない深淵の顕現[la révélation abyssale de ce quelque chose d'à proprement parler innommable]と。あの喉の背後には、錯綜した場なき形態、まさに原初の対象そのものがある[l'objet primitif par excellence,]…すべての生が出現する女陰の奈落 [- l'abîme de l'organe féminin, d'où sort toute vie]、すべてを呑み込む湾門であり裂孔[- aussi bien le gouffre et la béance de la bouche, où tout est englouti,   ]、すべてが終焉する死のイマージュ [- aussi bien l'image de la mort, où tout vient se terminer,]…(Lacan, S2, 16 Mars 1955)





ーー《恐らく真理とは、その根底を窺わせない根を持つ女なるものではないか?恐らくその名は、ギリシア語で言うと、バウボ[Baubo]というのではないか?…

Vielleicht ist die Wahrheit ein Weib, das Gründe hat, ihre Gründe nicht sehn zu lassen? Vielleicht ist ihr Name, griechisch zu reden, Baubo?... 》(ニーチェ『悦ばしき知』「序」第2版、1887年)



…………………


◼️ニーチェフロイトの不気味なものセット

未来におけるすべての不気味なもの、また過去において鳥たちをおどして飛び去らせた一切のものも、おまえたちの「現実」にくらべれば、まだしも親密さを感じさせる[Alles Unheimliche der Zukunft, und was je verflogenen Vögeln Schauder machte, ist wahrlich heimlicher noch und traulicher als eure "Wirklichkeit". ](ニーチェ『ツァラトゥストラ 』第2部「教養の国」1884年)

不気味ななかの親密さ[heimisch im Unheimlichen](フロイト『ある錯覚の未来』第3章、1927年)


不気味なものは人間の実存[Dasein]であり、それは意味もたず黙っている[Unheimlich ist das menschliche Dasein und immer noch ohne Sinn ](ニーチェ『ツァラトゥストラ 』第1部「序説」1883年)

死の欲動は本源的に沈黙しているという印象は避けがたい[müssen wir den Eindruck gewinnen, daß die Todestriebe im wesentlichen stumm sind ](フロイト『自我とエス』第4章、1923年)


※ラカン

意味の排除の不透明な享楽[Jouissance opaque d'exclure le sens ](Lacan,  “Joyce le Symptôme”, AE 569)

享楽の反復は意味を超えている。ラカンは、最初に女性のセクシャリティにおいて見出したこの沈黙した享楽の事例を一般化した。基本的には、ラカンは引き続いて、男性においてもこの沈黙した享楽を拡張した。つまり、これを通して、意味に対して不透明な享楽の根源的位置を授けたのである。

Cette répétition de jouissance se fait hors-sens,… C'est aussi par là que Lacan a pu généraliser l'instance de cette jouissance muette qu'il découvrait dans la sexualité féminine. Au fond, il l'a étendue dans un second temps au mâle aussi, pour dire que c'est elle qui donne le statut fondamental de la jouissance comme opaque au sens. (J.-A. MILLER, - L'Être et l'Un, 23/03/2011)


享楽は現実界にある。現実界の享楽である[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel](Lacan, S23, 10 Février 1976)

死の欲動は現実界である。死は現実界の基盤である[La pulsion de mort c'est le Réel …la mort, dont c'est  le fondement de Réel] (Lacan, S23, 16 Mars 1976)




①不気味な女性器の回帰=抑圧されたものの回帰

女性器は不気味なものである[das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. ](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第2章、1919年)

不気味なものは秘密の慣れ親しんだものであり、一度抑圧をへてそこから回帰したものである[Es mag zutreffen, daß das Unheimliche das Heimliche-Heimische ist, das eine Verdrängung erfahren hat und aus ihr wiedergekehrt ist,](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第3章、1919年)



②同一の不気味なものの回帰=反復強迫

いかに同一のものの回帰という不気味なものが、幼児期の心的生活から引き出しうるか。Wie das Unheimliche der gleichartigen Wiederkehr aus dem infantilen Seelenleben abzuleiten ist〔・・・〕


心的無意識のうちには、欲動蠢動から生ずる反復強迫の支配が認められる。これはおそらく欲動の性質にとって生得的な、快原理を超越するほど強いものであり、心的生活の或る相にデモーニッシュな性格を与える。

Im seelisch Unbewußten läßt sich nämlich die Herrschaft eines von den Triebregungen ausgehenden Wiederholungszwanges erkennen, der wahrscheinlich von der innersten Natur der Triebe selbst abhängt, stark genug ist, sich über das Lustprinzip hinauszusetzen, gewissen Seiten des Seelenlebens den dämonischen Charakter verleiht,〔・・・〕


不気味なものとして感知されるものは、この内的反復強迫を思い起こさせるものである[daß dasjenige als unheimlich verspürt werden wird, was an diesen inneren Wiederholungszwang mahnen kann.](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第2章、1919年)



③同一の不変の個性刻印の永遠回帰=反復強迫=死の欲動

同一の出来事の反復[Wiederholung der nämlichen Erlebnisse]の中に現れる不変の個性刻印[gleichbleibenden Charakterzug]を見出すならば、われわれは同一のものの永遠回帰[ewige Wiederkehr des Gleichen]をさして不思議とも思わない。〔・・・〕この反復強迫[Wiederholungszwang]〔・・・〕あるいは運命強迫 [Schicksalszwang nennen könnte ]とも名づけることができるようなものについては、合理的な考察によって解明できる点が多い。(フロイト『快原理の彼岸』第3章、1920年)

われわれは反復強迫の特徴に、何よりもまず死の欲動を見出だす[Charakter eines Wiederholungszwanges …der uns zuerst zur Aufspürung der Todestriebe führte.](フロイト『快原理の彼岸』第6章、1920年)



④反復強迫=無意識のエスの反復強迫

欲動蠢動は「自動反復」の影響の下に起こるーー私はこれを反復強迫と呼ぶのを好むーー。この欲動は克服した危険状況がまだ存在するかのように、以前に抑圧されたものと同じ道を辿る。この抑圧においての固着の契機は「無意識のエスの反復強迫」である[Triebregung …vollzieht sich unter dem Einfluß des Automatismus – ich zöge vor zu sagen: des Wiederholungszwanges –, er wandelt dieselben Wege wie der früher verdrängte, als ob die überwundene Gefahrsituation noch bestünde. Das fixierende Moment an der Verdrängung ist also der Wiederholungszwang des unbewußten Es]

(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年、摘要)



⑤お前は聞こえぬか、エスの声を?

いま、エスは語る、いま、エスは聞こえる、いま、エスは夜を眠らぬ魂のなかに忍んでくる。ああ、ああ、なんと吐息をもらすことか、なんと夢を見ながら笑い声を立てることか。

ーーおまえには聞こえぬか、あれがひそやかに、すさまじく、心をこめておまえに語りかけるのが? あの古い、深い、深い真夜中が語りかけるのが?

- nun redet es, nun hört es sich, nun schleicht es sich in nächtliche überwache Seelen: ach! ach! wie sie seufzt! wie sie im Traume lacht!

- hörst du's nicht, wie sie heimlich, schrecklich, herzlich zu _dir_ redet, die alte tiefe tiefe Mitternacht? (ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「酔歌」第3節、1885年)



⑥不気味な異者(自我の異郷)の回帰

不気味なものは、抑圧の過程によって異者化されている[dies Unheimliche ist …das ihm nur durch den Prozeß der Verdrängung entfremdet worden ist.](フロイト『不気味なもの』第2章、1919年、摘要)

エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。〔・・・〕この異者は内界にある自我の異郷部分である[Triebregung des Es …ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen …das ichfremde Stück der Innenwelt ](フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)

偶然の事柄がわたしに起こるという時は過ぎた。いまなおわたしに起こりうることは、すでにわたし自身の所有でなくて何であろう。

Die Zeit ist abgeflossen, wo mir noch Zufälle begegnen durften; und was _könnte_ jetzt noch zu mir fallen, was nicht schon mein Eigen wäre!  


つまりは、ただ回帰するだけなのだ、ついに家にもどってくるだけなのだ、ーーわたし自身の「おのれ」が。ながらく異郷にあって、あらゆる偶然事のなかにまぎれこみ、散乱していたわたし自身の「おのれ」が、家にもどってくるだけなのだ。

Es kehrt nur zurück, es kommt mir endlich heim - mein eigen Selbst, und was von ihm lange in der Fremde war und zerstreut unter alle Dinge und Zufälle.  (ニーチェ『ツァラトゥストラ 』第3部「さすらいびと Der Wanderer」1884年)