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2023年9月18日月曜日

歴史とはタンテイの作業と同じもの

 


むろん政治には色々の裏があり綾があるから、表面の史実をウノミにすれば裏面の真相は判らない。政治というものは、現代史の裏面すら一般の現代人にはわからないのだ。 (「安吾の新日本地理 10 高麗神社の祭の笛――武蔵野の巻――」1951年)


この一年六ヶ月、歴史というのはつくづくわからないものだというのが判然としたね。ウクライナの2014年の出来事どころか、2022年2月のロシアの軍事侵攻さえ、少なくとも最初はその原因がまったくわからなかったのは、私ひとりではあるまい。《現代史の裏面すら》そうなのだから、ましてや日本の古代史なんてサッパリだよ、安吾はその判らなさ具合を懇切丁寧に教示してくれる。


「安吾の新日本地理」は1951年の3月から12月、『文藝春秋』で連載された旅行記で、もう70年以上の前の文だが、実に勉強になる。


安吾の新日本地理 01 安吾・伊勢神宮にゆく

安吾の新日本地理 02 道頓堀罷り通る

安吾の新日本地理 03 伊達政宗の城へ乗込む――仙台の巻――

安吾の新日本地理 04 飛鳥の幻―― 吉野・大和の巻――

安吾の新日本地理 05 消え失せた沙漠一大島の巻――

安吾の新日本地理 06 長崎チャンポン――九州の巻――

安吾の新日本地理 07 飛騨・高山の抹殺――中部の巻――

安吾の新日本地理 08 宝塚女子占領軍――阪神の巻――

安吾の新日本地理 09 秋田犬訪問記――秋田の巻――

安吾の新日本地理 10 高麗神社の祭の笛――武蔵野の巻――


このなかでもとくに、「伊勢神宮にゆく」「飛鳥の幻」「飛騨・高山の抹殺」「高麗神社の祭の笛」が白眉だね、安吾の歴史家の相が面目躍如していて。古事記や日本書紀などを念入りに読み込んでいるのがよく分かる。


同年の10月に「歴史探偵方法論」(『新潮』未完)を書いていてーーこれは青空文庫にまだ入庫されてなくネット上で断片を拾っただけだがーー、こうあるらしいね、


歴史とはタンテイの作業と同じものだということである〔・・・〕

(日本の古代史家たちは)推理の方法に於てこう劣等生では学問としてあまりにたよりない。(坂口安吾「歴史探偵方法論」)



要するに、古代の日本史学者をバカにしてるーーいや穏やかに「挑発している」と言い直しておこうーーだなア。もっとも最近の古代史学者からは、蘇我天皇説や天皇の出自朝鮮説、あるいはDNA鑑定による先住民の縄文人と、朝鮮半島から来た弥生人が混血を繰り返して現在の日本人になったとする混血説などがあって、いくらか安吾に追いついてきたようだが。


日本書紀が蝦夷入鹿を誅するのを記述するに途方もないテンカンやヒステリイの発作を起しているからです。きわめて重大な理由がなくて、このような妖しい記述が在りうるものではなかろう。蝦夷入鹿は自ら天皇を称したのではなく、一時ハッキリ天皇であり、民衆がそれを認めたのだ。私製の一人ぎめの天皇に、こんな妖しい記述をする筈はないね。その程度のことは、否それよりも重大な肉親の皇位争い、むごたらしい不吉な事件はほかにいくつもあるではないか。(安吾『飛鳥の幻』)

神話とか、記紀以前の人皇史は、民間伝承というものでもない。日本にはそれまでに何回もの侵略や征服が行われたに相違ない。そういうことが何回あったか判らないが、その最後の征服者が天皇家であったことだけは確かなのである。そして天皇家に直接征服されたものが、大国主命だか、長スネ彦だか、蘇我氏だか、それも見当はつけ難いが、征服しても、征服しきれないのは民間信仰あるいは人気というようなものだ。


今日の全国の神社の分布から考えて、民間に最大の人気を博していたのは大国主命、それにつづいてスサノオの命である。大国主命は曾て日本の統治者であった如くであり、それが天皇家か、天皇家以前の誰かに征服されて亡びた如くであるが、その民間の人気は全く衰えなかった。しかし、大国主が日本元来の首長であったと断定することはできない。彼も亦誰かを征服したのかも知れないし、朝鮮から渡ってきた外来人種であったかも知れないのである。(安吾「伊勢神宮にゆく」)




とはいえ安吾は《天皇家は…日本歴史に示されている通りの第一の家柄さ》と書いているので、ネトウヨに代表される巷間のみなさん、安心シテクダサイ?!


天皇は国家の象徴だという言い方もアイマイで、後日神道家の舌に詭弁の翼を与え る神秘モーローたる妖気を含んでいるね。天皇家はかつて日本の主権者であった立派な家柄さ。日本歴史に示されている通りの第一の家柄さ。そして、他の日本人よりも特に古いということはないが、歴史的に信用できる系図を持つものとしては日本最古の家柄さ。歴史の事実が示す通りに、それだけのものなのだ。そして人間がそれに相応して社交的にうけるような敬意をうければ足りるであろう。ガイセン将軍に対してもお光り様に対しても土下座しないと気がすまないような狂的怪人物に恵まれている日本では、アイマイな規定はつつしむことがカンジンだね。新しい神様をつくる必要があるのは共産党だけさ。(安吾『飛鳥の幻』)



今回読み返してとくに感に入ったのは、安吾の歴史タンテイは、何よりもまずシャーロック・ホームズの方法だということだな、


「何か、私の注意すべきことはないでしょうか」 「あの夜の、犬の不思議なできごに注意するといいでしょう」 「犬は何もしなかったはずですが」 「それが不思議な出来事なのです」とシャーロック・ホームズは言った。(コナン・ドイル『白銀号事件』1892年)

“Is there any point to which you would wish to draw my attention?'
'To the curious incident of the dog in the night-time.'
'The dog did nothing in the night-time.'
'That was the curious incident,' remarked Sherlock Holmes.” 

Arthur Conan Doyle, Silver Blaze




古事記や日本書紀に何も書かれていない不思議な出来事があるんだよ、


特にヒダは古代史上、一度も重大な記事のないところで、昔から鬼と熊の住んでいただけの未開の山奥のようだ。ところが国史の表面には一ツも重大な記事がないけれども、シサイによむと何もないのがフシギで、いろいろな特殊な処置がある隠されたことをめぐって施されているように推量せざるを得なくなるのです。(安吾の新日本地理 07 飛騨・高山の抹殺)




さらに、《歴史は勝者によって書かれる History Is Written by the Victors》ーー、一般にはチャーチルやヘルマン・ゲーリング(ヒトラーの後継予定者)の言葉だとされるが、過去にいろんな人が同様のことを言ってるようだ[参照]ーー、この観点から、安吾は古事記や日本書紀などをタンテイしてる。


だいたい日本神話と上代の天皇紀は、仏教の渡来まで、否、天智天皇までは古代説話とでも云うべく、その系譜の作者側に有利のように諸国の伝説や各地の土豪の歴史系譜などをとりいれて自家の一族化したものだ。だから全国の豪族はみんな神々となって天皇家やその祖神の一族親類帰投者功臣となっている。そして各国のあらゆる豪族と伝説と郷土史がみんな巧妙にアンバイされて神話(天智までの天皇紀をも含めて)にとりいれられていると見てよろしい。(安吾「飛騨・高山の抹殺」)





「安吾の新日本地理」だけでなく、同年1951年9月に発表されている「飛騨の顔」や翌年の2月の「道鏡童子」も読み逃せないね、


天智以前の天皇記と神話は嫡流をヒダへ追って亡して大和中原を定めた庶流が、その事実を隠したり正当化するために、神話から三十代ぐらいまでの長い天皇物語をつくって、同一人物や事件に色々と分身をつくって各時代に分散させて、これを国史と定めた。だから古代史を解くのは探偵作業に当ります。殺人犯がいろいろ偽装すると同じような偽装事業として成ったものが最古の国史であるから、その偽装やアリバイを史書から見破るのが古代史を解く作業で、それはタンテイという仕事の原則と同じくよい加減な状況証拠でなくてハッキリと物的証拠をだしてやってゆかねばならぬ。過去の史家はこの分りきった偽装の方をうのみにして、これを真実の物としていました。そして、それに反する史料が現れると理窟ぬきでそれは国史に反するもの、マチガイを書いた偽書偽作ときめつけていたものです。〔・・・〕


天智以前の国史上の人物には、本当の史実が各時代の人物や事件に分散されたり集合されたりしておって、各々の時代に各々の特定の個人や業績があったわけではない。モロモロの人物や事件を合計して割ると、いくつもない人物と事件に還元されてしまう。本当の史実は百年間ぐらいの短期間に起った大和飛鳥の争奪戦にすぎなくて、九州四国中国方面から攻めてきて大和を平定したニギハヤヒ系の物部氏、次にこれを元の四国へ迫ッ払ったヒダ王家、次にその嫡流をヒダへ追い落して亡したヒダ庶流たる天皇家。この争奪戦のわずかの秘史を神話と三十代の天皇の長い国史に書き代えて、その秘められた史実を巧妙に偽装してしまったのであろう。(坂口安吾「飛騨の顔」1951年9月)


国史以前に、コクリ、クダラ、シラギ等の三韓や大陸南洋方面から絶え間なく氏族的な移住が行われ、すでに奥州の辺土や伊豆七島に至るまで土着を見、まだ日本という国名も統一もない時だから、何国人でもなくただの部落民もしくは氏族として多くの種族が入りまじって生存していたろうと思う。そのうちに彼らの中から有力な豪族が現れたり、海外から有力な氏族の来着があったりして、次第に中央政権が争わるるに至ったと思うが、特に目と鼻の三韓からの移住土着者が豪族を代表する主要なものであったに相違なく、彼らはコクリ、クダラ、シラギ等の母国と結んだり、または母国の政争の影響をうけて日本に政変があったりしたこともあったであろう。(坂口安吾「安吾史譚2 道鏡童子」1952年2月)


これらに先に掲げた安吾の「蘇我天皇説」とは別の「飛騨王朝説」の叙述のひとつがある。私は安吾の仮説の正否を云ぬんするつもりはない、そんな日本古代史の知識はまったくない。とはいえ、重要なのは歴史イデオロギーの相対化である。とくに戦前の、記紀神話への闇雲な信仰に基づく「天皇神聖化」のプロパガンダへの強烈な批判精神が安吾のこれらの叙述に滲み出ていることに感嘆してしまったね、とっても。


千二百年前の政治上の方便が現代でもまだ政治上の方便でなければならぬように思いこまれている現代日本の在り方や常識がナンセンスきわまるのですよ。この原始史観、皇祖即神論はどうしても歴史の常識からも日本の常識からも実質的に取り除く必要があるだろうと思います。さもないと、また国全体が神ガカリになってしまう。(安吾の新日本地理 07 飛騨・高山の抹殺)


どうもいまだ臭いんだよな、日本の保守主義者、少なくともその一部、いや大部は。このナンセンスな神ガカリの悪臭がするんだよ。