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2023年11月1日水曜日

人間性の邪悪さと救いがたさ(トインビー)

 

何度かセットで引用してきた次の二文がある。


これからきみにぼくの人生で最も悲しかった発見を話そう。それは、迫害された者が迫害する者よりましだとはかぎらない、ということだ。ぼくには彼らの役割が反対になることだって、充分考えられる。(クンデラ『別れのワルツ』)

過去の虐待の犠牲者は、未来の加害者になる恐れがあるとは今では公然の秘密である。(When psychoanalysis meets Law and Evil: Jochem Willemsen and Paul Verhaeghe, 2010)


これはトインビーが『歴史の研究』において、ユダヤ人とアラブ人ーー特にイスラエル人とパレスチナ人ーーについて言っている事態でもある。


人類の歴史の陰湿な皮肉の中で、これ以上に人間性の邪悪さと救いがたさを明らかにしたものはないだろう。つまり、ユダヤ人は恐るべき迫害の憂き目に遭った直後に、ナチスから塗炭の苦しみを受けた教訓を生かそうとはしないで、自分たちがユダヤ人として被害者になったのと同じような犯罪を、加害者として再び犯さないようにするのではなくて、今度は自ら新たな民族主義者になって、自分たちの父祖が住んでいた郷土に今アラブ人がいるという理由から、自分よりも弱い民族を犠牲にして迫害したことである。(アーノルド・トインビー『歴史の研究』ARNOLD J. Toynbee, A STUDY OF HISTORY, ABRIDGEMENT OF VOLUMES Ⅶ―Ⅹ、p177.)



トインビーは、1940年代から1950年代にかけては、広く読まれ議論される学者であったが、その後、人気がなくなった。中井久夫は「不当に無視されているが偉大な歴史学者」としているが、トインビーのヘレニズム文化賛と同様に、イスラエルのシオニズムへの考察も、無視されるようになった理由のひとつであるだろう。


アーノルド・J・トインビーは「人類は二つの問題――“悪”と彼は言っているーーを解決するための努力をして成功していない。それは『戦争』と『階級』である」と断言している。彼は不当に無視されているが偉大な歴史学者である。少なくともヘレニズム時代の研究者として第一級であり、「すべての歴史は同時代的である、古代ギリシャであってもアッシリアであっても現代イギリスであっても」という彼の洞察には共鳴する。彼が英国の学界に無視されるようになったのは、ヘレニズムを平和で学術の栄えた時代として内戦を繰り返した古典ギリシャ期よりも称賛したためであることは知られていない。それは西欧文化が自己の正統性を古典ギリシャ・ローマの直系に求めている信仰への挑戦であって、カヴァフィスのようなアレクサンドリアの詩人にして初めて許されることだったのである。(中井久夫「精神医学と階級性について」1991年『記憶の肖像』所収)


ユダヤ人は、パレスチナの先住アラブ系住民の唯一の生き残りであり、パレスチナの民族的故郷に対する更なる権利を有している。しかしそれは、パレスチナのアラブ系住民の権利と正当な利益を損なうことなく実施できる限りにおいてのみである。the Jews, being the only surviving representatives of any of the pre-Arab inhabitants of Palestine, have a further claim to a national home in Palestine, but this only in so far as it can be implemented without injury to the rights and to the legitimate interests of the native Arab population of Palestine. JEWISH RIGHTS IN PALESTINE by Arnold J . Toynbee  From The Jewish Quarterly Review'

Vol. LII No.1, July 1961.)




………………



ここでプリーモ・レーヴィ の『これが人間か』(Se questo è un uomo)ーー旧邦題『アウシュヴィッツは終わらない――あるイタリア人生存者の考察』ーーからいくつかの文を引用しておこう。


そこで私たちははじめて気がつく。この侮辱、この人間破壊を表現する言葉が、私たちの言葉にはないことを。一瞬のうちに、未来さえも見通せそうな直感の力で、現実があらわになった。わたしたちは地獄の底に落ちたのだ。これより下にはもう行けない。これよりみじめな状態は存在しない。考えられないのだ。自分のものはもう何一つない。服や靴は奪われ、髪は刈られてしまった。話しかけても聞いてくれないし、私たちの言葉が分からないだろう、名前も取り上げられてしまうはずだ。もし名前を残したいなら、そうする力を自分の中に見つけなければならない、名前のあとに、まだ自分である何かを、自分であった何かを、残すようにしなければならない。 〔・・・〕

さて、家、衣服、習慣など、文字通り持っているものをすべて、愛する人とともに奪われた男のことを想像してもらいたい。この男は人間の尊厳や認識力を忘れて、ただ肉体の必要を満たすだけの、空っぽな存在になってしまうだろう。というのは、すべてを失ったものは、自分自身をも容易に失ってしまうからだ。こうなると、このぬけがらのような人間の生死は、同じ人間だという意識を持たずに、軽い気持ちで決められるようになる。運が良くても、せいぜい、役に立つかどうかで生かしてもらえるだけだ。こう考えてくると「抹殺収容所」という言葉の二重の意味がはっきりするだろうし、地獄の底にいる、という言葉で何を言いたいか、分かることだろう。
(プリーモ・レーヴィ 『これが人間か』(Se questo è un uomo)ーー旧邦題『アウシュヴィッツは終わらない――あるイタリア人生存者の考察』)


ナチの宣伝によって広められた憎悪と侮蔑は、抹殺収容所の生活の一こまーこまに、 実際の行為としてあらわれていた。 …… ユダヤ人とジプシーとスラブ人は野獣で、藁くずで、ぼろきれであることを偏執狂のように唱え、見せつけていた。 たとえばアウシュヴィッツでは、人間にも、牛馬にするように、入れ墨をほどこしたことを思い出してほしい。 また流刑者たち (男に女に、子供たち、みな人間だ)を家畜用の貨車にとじこめて旅をさせ、何日も自らの排泄物にまみれさせたこと。 名前に変えて登録番号を用いたやり方。 スプーンを配給しないで、犬のようにスープをすすらせたやり方。 ······死体を名もない、ただの原料と見なして、歯の金冠を抜き取り、髪を織物の原料にし、灰を肥料にした、おぞましいまでの死体利用法。 そして男や女をモルモットにおとしめ、薬の実験をし、その後殺してしまったやり方。

虐殺用に選ばれた方法自体が(綿密な実験を経たものだった)、はっきりとした象徴的意味を含んでいた。 使用されるべき毒ガスは、南京虫や蚤のはびこった場所や船倉の消毒に用いられる毒ガスでなければならなかった。 過去にはもっと残虐な方法もあったが、これほど人間を侮辱しばかにしたやり方はなかった。(プリーモ・レーヴィ 『これが人間か』)




ほとんどの人のなかにはナチがいる。とくに愛国心を熱烈に言い出したときが危ない。



個人にせよ、集団にせよ、多くの人が、多少なりとも意識的に、「外国人はすべて敵だ」と思いこんでしまう場合がある。この種の思いこみは、大体心の底に潜在的な伝染病としてひそんでいる。もちろんこれは理性的な考えではないから、突発的な行動にしか現われない。だがいったんこの思いこみが姿を現わし、いままで陰に隠れていた独断が三段論法の大前提になり、外国人はすべて殺さねばならないという結論が導き出されると、その行き着く先にはラーゲルが姿を現わす。つまりこのラーゲルとは、ある世界観の論理的発展の帰結なのだ。だからその世界観が生き残る限り、帰結としてのラーゲルは、 私たちをおびやかし続ける。 (プリーモ・レーヴィ 『これが人間か』)



すこし前、「沈黙はジェノサイドに対する共犯」で記した内容も、プリーモ・レーヴィはすでに言っている。



情報を得る可能性がいくつもあったのに、それでも大多数のドイツ人は知らなかった、それを知りたくなかったから、無知のままでいたいと望んだからだ。国家が行使してくるテロリズムは、確かに、抵抗不可能なほど強力な武器だ。だが全体的に見て、ドイツ国民がまったく抵抗を試みなかった、というのは事実だ。ヒットラーのドイツには特殊なたしなみが広まっていた。知っているものは語らず、知らないものは質問をせず、質問をされても答えない、というたしなみだ。こうして一般のドイツ市民は無知に安住し、その上に殻をかぶせた。ナチズムへの同意に対する無罪証明に、無知を用いたのだ。目、 耳、口を閉じて、目の前で何が起ころうと知ったことではない、だから自分は共犯ではない、 という幻想をつくりあげたのだ。

知り、知らせることは、ナチズムから距離をとる一つの方法だった。(そして結局、さほど危険でもなかった。)ドイツ国民は全体的に見て、そうしようとしなかった、この考え抜かれた意図的な怠慢こそ犯罪行為だ、と私は考える。 (プリーモ・レーヴィ 『これが人間か』)




執筆活動を通して収容所トラウマを克服したと考えられていたプリーモ・レーヴィは、だが1987 年、自宅のアパートで飛び降り自殺をした。プリーモの友人エリ・ヴィーゼルはーー彼もアウシュヴィッツの生き残りでノーベル平和賞受賞作家であるーー、その自伝でこう書いている。


死ぬとはどうしてなんだ、 プリーモ? どんな人間の人生について、どんな真理をわたしたちに語ってくれるというんだ。彼は自分の思索と思い出をとことん突き詰めたかったのだろうか。 本気で死の中に入りたかったのだろうか。 もはや理由を知る術もないが、彼が死ぬ少し前に私は電話をしていた。 突然の虫の知らせだったのか? 彼の声はねばつき、重かった。 「うまくいかない。 まったくだめなんだ」と、彼はゆっくりした口調で言った。 「なにがだめなんだ、プリーモ? 「ああ、この世だ、この世がだめなんだ。」 そして彼は、それほどうまくいかない世の中に何を探し求めに来たのかわからなかった。 「心配事があるのかい、プリーモ?」いいや、 心配事があるのではなかった。 ・・・イタリアで彼は読まれ、讃えられ、栄誉を受け、だがうまくいかなかったのだ。・・・


それは強制収容所を体験した彼という作家が記憶とその働き、ものを書くこととその罠、言語とその限界にどう対処するかということと関わる。 カフカという不幸な使者のように、 彼は自分のメッセージが受け取られもせず、伝えられもしないと考えた。 もっと悪いのは、伝えられたのに何も変わらなかった場合だ。 彼は社会や人間の本性になんの影響も及ぼさなかったことになる。 まるで人類が彼を使者とした死者たちを忘れ去ったように、すべてが過ぎていく。あたかも彼が使者たちの遺言を紛失したかのようにだ。(エリ・ヴィーゼル『しかし海は満ちることなく』)






なおフロイトにおいてトラウマと固着は同義であり[参照]、マゾヒズムーーマゾヒズム的出来事とは何よりもまず受動的な身体の出来事を意味するーーである。


無意識的なリビドーの固着は性欲動のマゾヒズム的要素となる[die unbewußte Fixierung der Libido  …vermittels der masochistischen Komponente des Sexualtriebes](フロイト『性理論三篇』第一篇Anatomische Überschreitungen , 1905年)

外傷神経症は、外傷的出来事の瞬間への固着がその根に横たわっていることを明瞭に示している。Die traumatischen Neurosen geben deutliche Anzeichen dafür, daß ihnen eine Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles zugrunde liegt. (フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着、無意識への固着 Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte」1917年)



そしてこのマゾヒズム的固着は自己破壊欲動(=死の欲動)を生む。


マゾヒズムはその目標として自己破壊をもっている。〔・・・〕そしてマゾヒズムはサディズムより古い。サディズムは外部に向けられた破壊欲動であり、攻撃性の特徴をもつ。或る量の原破壊欲動は内部に残存したままでありうる。


Masochismus …für die Existenz einer Strebung, welche die Selbstzerstörung zum Ziel hat. …daß der Masochismus älter ist als der Sadismus, der Sadismus aber ist nach außen gewendeter Destruktionstrieb, der damit den Charakter der Aggression erwirbt. Soundsoviel vom ursprünglichen Destruktionstrieb mag noch im Inneren verbleiben; 〔・・・〕

我々は、自らを破壊しないように、つまり自己破壊傾向から逃れるために、他の物や他者を破壊する必要があるようにみえる。ああ、モラリストたちにとって、実になんと悲しい開示だろうか!

es sieht wirklich so aus, als müßten wir anderes und andere zerstören, um uns nicht selbst zu zerstören, um uns vor der Tendenz zur Selbstdestruktion zu bewahren. Gewiß eine traurige Eröffnung für den Ethiker! 〔・・・〕


我々が、欲動において自己破壊を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動の顕れと見なしうる。それはどんな生の過程からも見逃しえない。

Erkennen wir in diesem Trieb die Selbstdestruktion unserer Annahme wieder, so dürfen wir diese als Ausdruck eines Todestriebes erfassen, der in keinem Lebensprozeß vermißt werden kann. (フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)


他者破壊としてのサディズムは、自己破壊としてのマゾヒズムから逃れるための、ある意味での防衛機制である。ここに、冒頭近くに引用した「人間性の邪悪さと救いがたさ」の起源のひとつがひょっとしてあるのかもしれない。


そしてこの原欲動としてのマゾヒズム、あるいはマゾヒズム的固着が、ラカンの現実界の享楽である。


享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムによって構成されている。…マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはそれを発見したのである[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert,] (Lacan, S23, 10 Février 1976)


ーーそして《問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. ]》 (Lacan, S23, 13 Avril 1976)、かつ《死の欲動は現実界である[La pulsion de mort c'est le Réel ]》(Lacan, S23, 16 Mars 1976)


さらに、


享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours. (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 20/5/2009)



ーーつまり現実界の享楽=マゾヒズム=トラウマ=死の欲動=固着であり、これはフロイトの思考の下にある。そして先に見たように死の欲動は自己破壊欲動である。


ここからおそらくこういう言い方ができる、強烈なトラウマ体験をもった者は自己破壊欲動から逃れるために、ときに他者破壊欲動によって「自己治癒」の試みをする、と。



なお、超自我も自己破壊的固着(マゾヒズム的固着)に関わる。


超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着され、そこで自己破壊的に作用する。Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert und wirken dort selbstzerstörend. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)

超自我はマゾヒズムの原因である[le surmoi est la cause du masochisme](Lacan, S10, 16  janvier  1963)


これが、ジジェクがホロコートの生存者にみられる自殺欲動を指摘している理由ーー少なくともその主要なひとつである。


想いだしてみよう、奇妙な事実を。プリーモ・レーヴィや他のホロコーストの生存者たちによって何度も引き起こされる事実をだ。生き残ったことへの彼らの内奥の反応が、いかに深刻な分裂によって刻印されているか。


意識的には彼らは十全に気づいている、自らの生存は意味のない偶然の結果であることを。彼らが生き残ったことについて何の罪もない。責めを負うべき加害者はたただナチの拷問者たちのみであると。


だが同時に、彼らは「非合理的な」罪の意識にとり憑かれている。まるで彼らは他者たちの犠牲によって生き残ったかのように、そしていくらかは他者たちの死に責任があるかのようにして。


よく知られているように、この耐えがたい罪の意識が生存者の多くを自殺に追いやるのだ。これが示しているのは、最も純粋な超自我の審級である。この猥雑な審級、それがわれわれを操り、自己破壊の渦巻く奈落へと導く。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、2012)



……………


※附記


ヒトラーがユダヤ人をガスで殺したのは、第一次大戦の毒ガス負傷兵であった彼の、被害者が加害者となる例であるからだという推定もある。薬物中毒者だったヒトラーを戦争神経症者として再検討することは、彼を「理解を超えた悪魔」とするよりも科学的であると私は思う。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・記憶・外傷』所収)


ーー戦争神経症とあるが、フロイト概念の外傷性戦争神経症 [traumatischen Kriegsneurosen]である。


ヒトラーがPTSD (心的外傷後ストレス障害)だったのではないかとは、英語版のWIKIにも、Theodore Dorpat (2003)、Gerhard Vinnai (2004)等を引用しつつ、その記述がある➡︎Psychopathography of Adolf Hitler

ヒトラーは1918年(29歳)、第一次世界大戦でのロシア前線に従軍しているときに毒ガス攻撃に遭遇し、ポメラニア(現ポーランド北西部からドイツ北東部にかけて広がる地域)のパーゼヴァルク Pasewalk 病院に入院している。


ヒトラーの『我が闘争 Mein Kampf』の記述はすべてが事実ではないとされるが、彼は1918年10月13日夕方以降の出来事についてこう記している。《ガス爆弾が夜中、雨のように降りかかり、夜半、我々の多くは失神した。多くの仲間はそのまま永遠に。私もまた、朝に向けて苦痛に囚われ、時を経る毎により酷い痛みに襲われた。そして朝の7時、私は灼けつくような目の痛みによろめき揺らいだ。数時間後には私の両目は、灼熱した炭になり、周りは暗闇に変じた。》


ヒトラーは不眠症で多量の睡眠薬・コカイン等を摂取したことでも知られている。特に第二次大戦中は、秘書たちと夜を徹して談話に耽り、朝6時頃に寝入り、午後1時から2時に起きるなどという事態になったらしい。そして部下とともの遅い昼食の前にも、強迫的なモノローグを延々と続けたなどという話もある。