岡真理さんがこう言っているらしいよ、 |
この間、岡真理さんの3回の講演(10月20日、10月23日、10月27日)をWEBで聞いた。いずれも、IWJ等で今も公開されているので、是非、見てほしい。 岡さんは、振り絞るような言葉で、「これはジェノサイド(集団虐殺)です」と繰り返されている。そして、「私たちの目の前でジェノサイドが起きている。あなたはその時、何をしていたのかが問われます。今、沈黙することは、進行中のジェノサイドに対する共犯者になることです」と私たちに訴えられている。 https://blog.goo.ne.jp/chuy/e/50c699e6341b82c52269ea724665399f |
「私たちの目の前でジェノサイドが起きている。あなたはその時、何をしていたのかが問われます。今、沈黙することは、進行中のジェノサイドに対する共犯者になることです」という言葉のダイレクトな映像は見出せなかったが、次のスクリーン画像はツイッターに落ちていた。 |
ーーま、こういうことだな、彼女が繰り返して引用しているマンスール・アル=ハッラージュの言葉からも必然的にこうなる。
「地獄とは人が苦しんでいる場所のことではない。人の苦しみを誰も見ようとしない場所のことだ。」 ―マンスール・アル=ハッラージュ(岡真理『ガザに地下鉄が走る日』2018年)
ところが、ほとんどの人は見ないんだよ、
聞きたいことは信じやすいのです。はっきり言われていなくても、自分が聞きたいと思っていたことを誰かが言えばそれを聞こうとするし、しかも、それを信じやすいのです。聞きたくないと思っている話はなるべく避けて聞こうとしません。あるいは、耳に入ってきてもそれを信じないという形で反応します。(加藤周一「第2の戦前・今日」2004年) |
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沈黙については、一年ほどまえ似たようなことを記したことがあるな、ジャック・ボーを引用しつつ。
◼️ジャック・ボーの最新インタビュー Our latest interview with Jacques Baud |
私は、戦争犯罪はどちらの側でも行われていると思うが、そのメディアの報道は非常に異なっている。われわれのメディアは、ロシアに起因する犯罪(事実か否かにかかわらず)を大々的に報道してきた。一方、ウクライナの犯罪については、極めて沈黙している。ブチャの大虐殺の全貌はわからないが、ウクライナが自国の犯罪を隠蔽するために演出したという仮説は、利用可能な証拠によって裏付けられている。このような犯罪を黙殺することで、我々のメディアは犯罪に加担し、免責の感覚を生み出し、ウクライナ人がさらなる犯罪を犯すのを助長してきたのだ。 |
I think that war crimes have been committed on both sides, but that their media coverage has been very different. Our media have reported extensively about crimes (true or false) attributed to Russia. On the other hand, they have been extremely silent about Ukrainian crimes. We do not know the whole truth about the Bucha massacre, but the available evidence supports the hypothesis that Ukraine staged the event to cover up its own crimes. By keeping these crimes quiet, our media have been complicit with them and have created a sense of impunity that has encouraged the Ukrainians to commit further crimes. |
で、こう記したんだけどさ、 ーーーー ジャック=ボー曰くの《このような犯罪を黙殺することで、我々のメディアは犯罪に加担し、免責の感覚を生み出し、ウクライナ人がさらなる犯罪を犯すのを助長してきたのだ》、ーーこのメディアだけではなく、あの犯罪にムッツリしている連中はみな「戦争犯罪の共犯者」だよ。 |
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芸術家とは、その内的な感性の鋭さ故に政治に背を向けるのではない。内的な繊細さが要求されてもいないときに外的な鈍感さを装う、きわめて政治的な存在なのである。それはほかでもない、制度的に深く政治に加担する存在だということだ。〔・・・〕 自分には政治のことはよくわからないと公言しつつ、ほとんど無意識のうちに政治的な役割を演じてしまう人間をいやというほど目にしている…。学問に、あるいは芸術に専念して政治からは顔をそむけるふりをしながら彼らが演じてしまう悪質の政治的役割がどんなものかを、あえてここで列挙しようとは思わぬが……。 混乱に対して共感を示さずにおくことの演じうる政治性に無自覚であることの高度の政治的選択。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』1988年) |
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ここでの蓮實の「凡庸な芸術家」は、実際には、文化人、知識人、中野重治のいう「芸能人」のことだ。…… ーーーーー 最近のボクは、人ってのはこういうものであることを前提に議論を展開した方がいい気がするしてきてね、つまり《混乱に対して共感を示さずにおくことの演じうる政治性に無自覚であることの高度の政治的選択》をするのが大半の人だと。 あるいはーー、
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