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2024年1月25日木曜日

私たちが人間であるために(松下新土)

 

こよなくすぐれて力の入った文を拾った。


詩人松下新土が日々なにを言っているかは彼のツイッターアカウントを見よ。

例えば2024年1月24日ならこうだ。


ここでは冒頭文を文字変換してしっかり記録に残しておく。



(公財) 丸木美術館ニュース 2024年1月15日


私たちが人間であるために  松下新土



戦争と相関関係にある「平和〔フリーデ〕」という語が、戦争を必要とする「講和〔フリーデ〕」と同じ音であることに警鐘を鳴らしたのは、ナチス・ドイツに抗し、服毒自殺を遂げた思想家、ヴァルター・ベンヤミンである。 「もっとも繊細な感受性は、〈法〉の中にある何か腐ったものを感じとる」と、ベンヤミンはいった。


ヨーロッパ諸国が、植民地主義とレイシズムを克服することができなかった究極の証明として、イスラエルが建国された一九四八年。 パレスチナ人に対する大量虐殺と追放のあとで、国際社会は「世界人権宣言」を採択した。 今日の我々の人権は、「パレスチナ人は人間でない」という暴力と共に成り立ったものだった。同年、南アフリカでは国民党が政権をとり、アパルトヘイトが法制として確立した。日本では優生保護法が制定されている。〈法〉は、生死を決する暴力を行使することによって、まさに自身を強化する。


ガザで生まれた友人は、彼女の祖母がその眼で見たデイル・ヤーシーンの虐殺と、その後の離散の物語を幼い頃に聞き、それを書きとめていた。 ナクバの記憶が刻まれた、ちいさな心のメモを、彼女は手渡してくれた。記憶を繋ぎ、一秒でも早くこの虐殺を止め、私たちが人間であるために。


今この瞬間、ガザでは未曾有の大量虐殺が起きている。


十月七日の遥か以前から、ガザ地区は、イスラエルによって『反-開発』下にあった。「強制収容所体制」から、『生存不可能』な土地へとすでに変えられていたのである。 ナクバ以来、七八年以上にわたって、パレスチナは〈漸進的ジェノサイド〉と呼ばれる状態だった。我々の目の前で、「絶滅収容所」と化したせまいガザに閉じこめられている人びとに、広島の原爆の二倍を超える火薬量が投下された。世界中の市民がこれを止めようと闘っている。イスラエルは「飢餓」を戦争兵器として利用し、ガザの全人口の四割もの人が餓えている。イスラエルとアメリカの目的はガザ人の『追放』であり、国際社会が「人道的避難」という呼び名で誤魔化される「民族浄化」の完遂に手をかす時を待っている。その時まで、すでに秒読みの状態である。


二〇二三年八月。画家の松下真理子さんとともに私はパレスチナに滞在していた。真理子さんは、ガザへの空爆が開始された十月七日直後、「ガザは何もない土地になってしまうかもしれない」と、現在の危機を直感していた。私は今、友人たちへのサバイバーズギルトと、吐き気のほかには、何かを感じることが困難になっている。生きていること自体への恥と怒り。自分が「存在」しているということに、恥を覚える。


市民たちが、アパルトヘイト体制に抗しようとする時、とるべき非暴力の行動は明確である。 BDS (ボイコット、資本撤退、経済制裁)の徹底を。PACBI(文化・学術ボイコット) の拡張を。パレスチナの中から呼びかけられているグローバルストライキに応答を。 おおきな声の者たちの言葉が、私たちの体の奥深くに入れてもいい音かどうか、ひかり、いろ、イメージかどうか、もっと深く、繊細になること。


さもなければさらに危険な、〈法の力〉の暴走を招く社会がやってくる。


今イスラエルは、パレスチナ人の「歴史」をまるごと消滅させようとしている。彼らが、詩人、作家、ジャーナリストたちをつぎつぎと殺し、店や図書館といった場所を消し去っているのは、詩がつねに我々に、「人間でありつづけること」を思い出させるからだ。


もしも、ガザ人の追放が起きてしまったら。 スーダンで、コンゴで、ミャンマーで、イエメンで、シリアで起きている虐殺のすべてが正当化されるだろう。この島もあっというまに火の海になる。 琉球弧の市民たちは、大和の軍拡に抗しつづけてきた。


今ガザで起きているのは、究極の非対称性をもつジェノサイドにほかならないが、この大量虐殺を止められるかどうかに、世界中が巨大な戦争〔Waron〕の時代へ突入するかどうかの、すべてがかかっている。


……………

名のあがっている画家松下真理子さんも鋭く怒りのこもったツイートをしている➡︎Mariko Matsushita@tmptnb