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2024年4月11日木曜日

教育装置としての風景

 


風景の問いは何も文学や絵画だけに限らず、まさにマグリットのいう「人間の条件」であり、例えばわかりやすい事例ならケージの指摘する音楽の風景としてのソルフェージュがある。


かつて音楽は、まず人々の―特に作曲家の頭の中に存在すると考えられていた。音楽を書けば、聴覚を通して知覚される以前にそれを聞くことができると考えられていたんです。私は反対に、音が発せられる以前にはなにも聞こえないと考えています。ソルフェージュはまさに、音が発せられる以前に音を聞き取るようにする訓練なのです……。この訓練を受けると、人間は聾になるだけです。他のあれこれとかの音ではなく、決まったこの音あの音だけを受け入れられるよう訓練される。ソルフェージュを練習することは、まわりにある音は貧しいものだと先験的に決めてしまうことです。ですから〈具体音の〉ソルフェージュはありえない。あらゆるソルフェージュは必然的に、定義からして〈抽象的〉ですよ……。(ジョン・ケージ『小鳥たちのために』John Cage, Pour les oiseaux , 1976)


これは前回掲げた蓮實の文を活かして言えば、「音楽の風景は聴覚の対象であるかにみえて、実は聴覚を対象として分節化する装置にほかならない」となる。


風景…それは、 視線の対象であるかにみえて、実は視線を対象として分節化する装置にほかならない。…つまりここで問題となる風景とは、 視界に浮上する現実の光景の構図を一つの比喩にしたてあげもするあの不可視の、 だが透明とはほど遠い濁った壁の表層にまといついた汚点や斑点の戯れそのものにほかなら(ない)⋯⋯


解釈される風景と解釈する視線という抽象的な対応性を超えて、解釈する視線が解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線でしかなく、つまり視線が世界の物語を語る話者である以前にそれじたいが物語の説話論的要素として風景の一部に分節化されてしまっており、したがって視線が分節化する風景の物語は風景が分節化する視線の物語にそれと知らずに汚染しているということ、しかもその事実によって視線同士がたがいに確認しあう風景の解釈は、遂に風景が語る物語を超えることがないという視点は、なにも科学史という「知」の一領域に限らず、こんにち、「文化」と呼ばれる「制度」のあらゆる領域で問題とされているごく退屈な議論にすぎないことは誰もが知っている。(蓮實重彦「風景をこえて」『表層批判宣言』1979年)



政治の風景ももちろん同じだ。政治は1989年に断絶があるから、現代に生きる世代でも異なった風景をもっている。つまり教養形成期を1989年以降に持った世代とそれ以前の世代とは、政治の風景が大きく異なる。仮に1989年に20歳以下の世代と既に20歳以上の世代とすれば、前者はおおむね自由民主主義という風景をもってそれをほとんど疑うことがない。実は主人はマネーの世代かもしれないのに。


民主主義の極地は、「民意」という名の下に全体主義の形を取り、全体主義の極地は、国家間の境界を越えた超資本主義の形を取ります。

ここで、無主主義という観念を導入した方がいいと思います。今は民主主義が尖鋭化して全体主義になった状況を考えた方が世界を見易いですが、独裁者がいるかと問われれば、 いないでしょう。主人はマネーかもしれないんです。(古井由吉『新潮 45』2012 年 1 月号 片山杜秀との対談)




他方、1989年に既に20歳以上の世代は冷戦期の風景をもっており、いまでもそれを引き摺って世界を見ている人が多い。55歳以上の世代だね、良し悪しの価値判断は保留しておくが。


ある意味では冷戦の期間の思考は今に比べて単純であった。強力な磁場の中に置かれた鉄粉のように、すべてとはいわないまでも多くの思考が両極化した。それは人々をも両極化したが、一人の思考をも両極化した。この両極化に逆らって自由検討の立場を辛うじて維持するためにはそうとうのエネルギーを要した。社会主義を全面否定する力はなかったが、その社会の中では私の座はないだろうと私は思った。多くの人間が双方の融和を考えたと思う。いわゆる「人間の顔をした社会主義」であり、資本主義側にもそれに対応する思想があった。しかし、非同盟国を先駆としてゴルバチョフや東欧の新リーダーが唱えた、両者の長を採るという中間の道、第三の道はおそろしく不安定で、永続性に耐えないことがすぐに明らかになった。一九一七年のケレンスキー政権はどのみち短命を約束されていたのだ。

今から振り返ると、両体制が共存した七〇年間は、単なる両極化だけではなかった。資本主義諸国は社会主義に対して人民をひきつけておくために福祉国家や社会保障の概念を創出した。ケインズ主義はすでにソ連に対抗して生まれたものであった。ケインズの「ソ連紀行」は今にみておれ、資本主義だって、という意味の一節で終わる。社会主義という失敗した壮大な実験は資本主義が生き延びるためにみずからのトゲを抜こうとする努力を助けた。今、むき出しの市場原理に対するこの「抑止力」はない。(中井久夫「私の「今」」初出1996年『アリアドネからの糸』所収)


重要なのは、この今、特に2022年以降、政治の風景が大きく変貌しつつあることだ。特に集団的西側の破廉恥さが赤裸々に露顕して、教育装置としての風景がもはやまったく機能しなくなっていることだ。


風景は教育する。風景が風景としてあることの意義は、ほぼその点に尽きるといってよい。風景をめぐって口にされるあれやこれやの言説は、風景がまというるもろもろの表情がそうであるように、ときには教育とは無縁の体験へと人を導くかにみえるが、そうした体験も所詮は風景にとって二義的なものにすぎない。教育装置として機能することで、風景ははじめて風景となる。だから無償の風景というものは存在しない。それが風景であるかぎりにおいて、あらゆる風景は耐えがたく醜い。そして、風景に瞳を向けることは、おしなべて恥ずかしい身振りなのである。あらゆる視線は、習得する視線にほかならないからだ。風景を賛美し風景を貶めるといった振舞いは、恥ずかしさを何とか隠蔽せんとするものにのみ可能な貧しい延命の儀式にほかならない。


風景は教育する。風景は、教育装置として機能することではじめて風景となる。とはいえ、そうした教育的資質に自覚的な風景というものはごく稀であろう。ほとんどの場合、風景は悪意を欠いた無邪気さを露呈しながらあらゆる視線にその全貌をさらしているかにみえる。風景は慎ましく彼方にひかえ、みずから視線を選択したりはしないし、瞳という瞳を平等にうけいれてもいる。だから、驚嘆すべき眺めとして存在を刺激し、退屈な眺めとして存在をまどろませるとき、驚嘆し退屈するのは視線の特権だと思われてしまいがちなのだ。心象風景として内的視線を招き寄せるときも、想像力に同じ特権が委ねられているかにみえる。いずれにしろ、美しかったり醜かったり、またそのどちらでもなかったりするのが風景だと考えられているし、風景自身もそう信じこんでいるに違いない。(蓮實重彦「風景をこえて」『表層批判宣言』1979年ーー「風景は教育する」より)



肝腎なのは裸の視線はないということだ。政治に限って言えば、人はみなそれぞれの時代や環境などによって政治の風景に汚染された視線しか持っていない。それは1989年以降であろうとそれ以前の世代であろうと変わりがない。だがこの今、その教育装置としての風景が崩壊しつつある。


ラブロフは「西側は500年以上にわたって世界の主導権を握っていたが、この時代は終わった」 と言っているが、ひょっとしてホントに500年維持された「政治の風景」が変貌しているのがこの今かもしれないよ。