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2024年4月10日水曜日

風景の発見


柄谷行人が『日本近代文学の起源』を振り返って次のように言っている。


◾️日本、近代、文学、起源 すべてをカッコに入れて:私の謎 柄谷行人回想録⑬ 2024.04.01

〔・・・〕

――冒頭に置かれたのは「風景の発見」です。近代文学が前提しているような主観と客観という考え方を問題にしています。

《「近代文学の起源に関して、一方では、内面性や自我という観点から、他方では、対象の写実という観点から論じられている。しかし、これらは別々のものではない。重要なのは、このような主観や客観が歴史的に生じたということ」「それは確立されるやいなやその起源が忘却されてしまうような装置である」。『定本 日本近代文学の起源」』》


柄谷さんは、絵画史の観点も踏まえながら、日本近代文学の始祖の一人とされる国木田独歩が客観=風景をどのように描いたか論じています。独歩の「忘れ得ぬ人々」では、主人公がふつうは見過ごしてしまうような人々に執着して、いかにも意味ありげな人のことは取り上げない。そして、見過ごしてしまうような人たち=風景を描くことが、「孤独で内面的な状態と緊密に結びついている」と指摘します。


柄谷 もちろん、風景として描かれているような山とか木、忘れてしまいそうな人たちは、もともとそこに存在していた。だけど、僕がここで言っている“風景”というのは、なんでもないような山野や人々をわざわざ“風景”として描くことです。
近代以前には、それ以降に生じたような意味での主観と客観の区別はありませんでした。たとえば、山水画で書かれたような山や木は、そこにあるものを写生していたんじゃなくて、宗教的な“概念”として描かれていた。自然に対する宗教的な解釈がまずあって、その表現として描いた、ということですね。
だから、“風景”には、ものの見方そのものが含まれている。見方が変わると、“風景”も変わるってことなんです。外側に物理的・客観的な風景があって、内側に主観的な風景があるということではなくて、風景においては、見る者と見られるものは切り離せない。 “風景”を論じることは、近代への転換を論じることだったんです。




これを読んで久しぶりに読み返してみたが、面白いね、日本近代文学の起源』は。柄谷が30歳代に書いたものだが、今でもとても勉強になる。


私がしばしば引用する蓮實重彦の風景論があるが、おそらく柄谷の「風景の発見」を受けて書かれたのではないか。


風景…それは、 視線の対象であるかにみえて、実は視線を対象として分節化する装置にほかならない。…つまりここで問題となる風景とは、 視界に浮上する現実の光景の構図を一つの比喩にしたてあげもするあの不可視の、 だが透明とはほど遠い濁った壁の表層にまといついた汚点や斑点の戯れそのものにほかなら(ない)⋯⋯


解釈される風景と解釈する視線という抽象的な対応性を超えて、解釈する視線が解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線でしかなく、つまり視線が世界の物語を語る話者である以前にそれじたいが物語の説話論的要素として風景の一部に分節化されてしまっており、したがって視線が分節化する風景の物語は風景が分節化する視線の物語にそれと知らずに汚染しているということ、しかもその事実によって視線同士がたがいに確認しあう風景の解釈は、遂に風景が語る物語を超えることがないという視点は、なにも科学史という「知」の一領域に限らず、こんにち、「文化」と呼ばれる「制度」のあらゆる領域で問題とされているごく退屈な議論にすぎないことは誰もが知っている。(蓮實重彦「風景をこえて」『表層批判宣言』1979年)

より長くは、➡︎風景は教育する




これまた何度か引用してきた「マグリットの窓」の話もこの柄谷と蓮實の文脈のなかで把握できる筈。




窓の問題は『人間の条件』を生んだ。部屋の内側から見える窓の前に、私は絵を置いた。その絵は、絵が覆っている風景の部分を正確に表象している。したがって絵のなかの樹木は、その背後、部屋の外側にある樹木を隠している。それは、見る者にとって、絵の内部にある部屋の内側であると同時に、現実の風景のなかの外側である。

これが、我々が世界を見る仕方である。我々は自己の外側にある世界を見る。だが、自己自身のなかにある世界の表象を抱くに過ぎない。

Le problème de la fenêtre donna La Condition humaine. Je plaçai devant une fenêtre vue de l’intérieur d’une chambre un tableau représentant exactement la par­tie de paysage recouverte par ce tableau. L’arbre représenté par ce tableau cachait donc l’arbre situé derrière lui, hors de la chambre.  Il se trouvait pour le spectateur à la fois à l’intérieur de la chambre sur le tableau et à l’extérieur dans le paysage réel. ... C'est ainsi que nous voyons le monde. Nous le voyons à l'extérieur de nous-mêmes et cependant nous n'en avons qu'une représentation en nous. (ルネ・マグリットRené MAGRITTE,  La Ligne de Vie, 1940)