もとより、「天皇」は「父親」が投影されているスクリーンに過ぎない。(中井久夫「「昭和」を送るーーひととしての昭和天皇」初出「文化会議」1989年) |
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明治以後になって、第二次大戦前までの父はしばしば、擬似一神教としての天皇を背後霊として子に臨んだ。(中井久夫「母子の時間 父子の時間」初出2003年 『時のしずく』所収) |
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私は必ずしもすべてがこうだとは考えていないけどね、特に今の若い人ならなおさら(両親は既に戦後生まれだから)。でもソコマデ?ーーリンクはやめとくよーー「非論理的に」あるいは「妄想的に」すべてを天皇非難に結びつける人を観察すると、何かあるんじゃないか、と勘繰りたくなるね。たとえば溺愛するオッカサマが、天皇崇拝者かつ支配的なオットサマかジイサマに酷い目にあったとかで強い怨恨を抱いているとかさ。 |
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以下、先の中井久夫が言うスクリーンと投影についての参考文献。 |
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◾️スクリーン記憶 |
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隠蔽記憶(スクリーンメモリー)…幼児期から来る本質的なものはたんにいくつかではなく実際にはすべてがこの隠蔽記憶のなかに保持されている[Deckerinnerungen…In diesen ist nicht nur einiges Wesentliche aus dem Kindheitsleben erhalten, sondern eigentlich alles Wesentliche.](フロイト 『想起、反復、徹底操作』Erinnern, Wiederholen und Durcharbeiten' 1914年) |
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幼児期に固着された欲動[der Kindheit fixierten Trieben]( フロイト『性理論三篇』1905年) |
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ーー要するにスクリーン記憶とは基本的には欲動の固着に対する覆いということだ。固着の症状とは文字通り固くくっ着いて離れない「出来事」を持っていること。 |
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◾️投影 |
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自己自身の邪悪な欲動を魔神に投影することは、原始人の「世界観」となった組織の一部にすぎない。…われわれはこれを「アニミズム的組織」として知る。Die Projektion der eigenen bösen Regungen in die Dämonen ist nur ein Stück eines Systems, welches die »Weltanschauung« der Primitiven geworden ist, …als das »animistische« kennen lernen werden. (フロイト『トーテムとタブー』「Ⅱ タブーと感情のアンビヴァレンツ」第4節、1913年) |
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日本の宗教はアニミズムだからな、よくあるよコレはーー《アニミズムは日本人一般の身体に染みついているらしい》(中井久夫「日本人の宗教」1985年) |
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他人に対する一連の非難は、同様な内容をもった、一連の自己非難の存在を予想させる。個々の非難を、それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである。自己非難から自分を守るために、他人に対して同じ非難をあびせるこのやり方は、何かこばみがたい自動的なものがある。〔・・・〕 パラノイアでは、このような他人への非難の投影[Projektion des Vorwurfes auf einen anderen]は、内容を変更することなく行われ、したがってまた現実から遊離しており、妄想形成の過程[wahnbildender Vorgang]として顕にされる。 (フロイト『あるヒステリー患者の分析の断片(症例ドラ)』1905年) |
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投影メカニズムの使用とその結果において妄想的性格が現れる[…den Projektionsmechanismus und den Ausgang dem paranoiden Charakter Rechnung trägt. ]。発育の過程で、いくつかの固着[Fixierungen]が置き残されることがあり、その一つ一つが連続して、押しやられていたリビドーの侵入を許すことがあるーーおそらく、後に獲得した固着から始まり、病気の展開とともに、出発点に近いところにある原初の固着へと続いていく。(フロイト『症例シュレーバー』第3章、1911年) |
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つまり投影自体、内在的なリビドーの固着(欲動の固着)の外在化だ。 で、フロイトは投影と妄想形成の関係を連発しているが、具体的には固着からの回復の試みであり、軽度のものならよくある防衛症状。 |
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病理的生産物と思われている妄想形成は、実際は、回復の試み・再構成である。[Was wir für die Krankheitsproduktion halten, die Wahnbildung, ist in Wirklichkeit der Heilungsversuch, die Rekonstruktion.] (フロイト『自伝的に記述されたパラノイア(妄想性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察』「症例シュレーバー」第3章、1911年) |
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最晩年ラカンの《人はみな妄想する》というのはこの文脈のなかにある。フロイト的に言えば「人はみな投影する」にほかならない。
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