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2024年8月13日火曜日

日本は奴隷であり、事実上存在しない(アレクサンドル・ドゥーギン)

 

ドゥーギン、キツイ「真理」を言ってるな、

現代のドイツや日本の行動に対する憤慨は無駄である。第二次世界大戦の結果、彼らは西側の奴隷となり、単に存在しないのである。

That is why it is pointless to be outraged by the behavior of modern Germany or Japan ― because they lost World War Two, they are now slaves of the West; they effectively do not exist.


ーー「事実上、存在しない」they effectively do not exist.と訳すがね、僕だったら。



◾️「戦争だけが、何がそうで、何がそうでないかを決める」

アレクサンドル・ドゥーギン 13.08.2024 翻訳:林田一博

Victory as Existence by Alexander Dugin (@Agdchan)


勝者は裁かれない。他のすべての人は裁かれるが、勝者だけは例外である。
われわれの真実が勝利するためには――それが文明的、哲学的、宗教的な大きな意味においても、砲撃や死傷者、侵略、核施設への攻撃といった単純な事実においても――少なくとも勝たなければならない。


戦争は存在論に触れるものである。戦争こそが何が存在し、何が存在しないかについての決定を下すものである。これは戦争の形而上学であり、存在を消し去ることもあれば存在を与えることもある。ヘラクレイトスが言ったように、戦争は一方を主人とし他方を奴隷にする。勝者は主人であり存在する者である。敗者は存在せず、あるいは奴隷であり、奴隷であることは存在しないよりも悪い。

したがって、現代のドイツや日本の行動に対する憤慨は無駄である。第二次世界大戦の結果、彼らは西側の奴隷となり、単に存在しないのである。


冷戦終結後、ロシアもまた、ゴルバチョフ、エリツィン、リベラルな改革者たちのおかげで奴隷の立場に追いやられた。そしてこのろくでなしを支持し、マクドナルドの行列に従順に並んだすべての人々のおかげである。


教会法には「起きていないことを起こす」という公式がある。これは正しさについての裁きではなく、存在についての裁きである。ある意味ではそれが存在したかもしれないが、教父たちはその存在を廃止し無と同一視するよう命じている。現在を支配し、それに勝利した者たちは過去を自由かつ主権的に裁き、過去にあったものと本質的になかったものを区別する。

これは評議会の教父たちだけでなく、あらゆるイデオロギーや権力が行うことである。オーウェルも言ったように、現在を支配する者が過去を創造する。
これを誰もが常に行っているのである。もし過去についての評決に異議を唱えたいなら権力を掌握し、勝利すればよいのである。


プーチンは地政学的なスパルタカスのように反旗を翻し、ロシアを忘却の彼方へと導いた。しかしロシアは勝利してこそ存在するのである。

存在と勝利は同義である。

ロシアは「なるようになる」ものである。



追記:この戦争は当然ながらウクライナの運命も左右する。
そしてそれが存在するかどうか(私はそうならないことを願っている)だけでなく、それがかつて存在していたかどうかも決まる。
存在は過去に証明されるものではなく、未来を創造する行為を通じて現在決定されるものである。




このドゥーギンの穏やか版が次の加藤周一だろうよ、

戦後の日本の外交に関しては、もちろん、さまざまな要因を考慮しなければならない。

2・26事件の1936年以後敗戦の45年まで陸軍は事実上外交を無視していた。45年から52年まで占領下の日本には外交権がなかった。52年から「冷戦」の終わった89年まで、日本は「米国追随」に徹底していた。

ということは、事実上外交的な「イニシアティブ」をとる余地がほとんどなかった、ということである。日本国には半世紀以上も独自の外交政策を生み出す経験がなかった。そこでわずかに繰り返されたのが、情勢の変化に対するその場の反応、応急手当、その日暮らし、先のことは先のこととして現在にのみこだわることになったのだろう。
おそらく過去を忘れ、失策を思い煩わず、現在の大勢に従って急場をしのぐ伝統文化があった。〔・・・〕

人々が大勢に従うのは、もちろん現在の大勢にである。大勢は時代によってその方向を変える。…当面の時代、歴史的時間の現在、大勢の方向が決定する今日は伸縮するが、昨日の立場から切り離して、今日の大勢に、それが今日の大勢であるが故に、従おうとするのが大勢順応主義の態度である。その態度は昨日と今日の立場の一貫性に固執しない。別の言葉でいえば、大勢順応主義は集団の成員の行動様式にあらわれた現在中心主義である。

(加藤周一『日本文化における時間と空間』2007年)


ーーその内実はほとんど同じだね、「日本は事実上存在しない」と。


「存在しない」とはラカニアンの言い方だと「見せかけに過ぎない」ということだ。


大他者は存在しない。それを私はS(Ⱥ)と書く[l'Autre n'existe pas, ce que j'ai écrit comme ça : S(Ⱥ).](Lacan, S24, 08 Mars 1977)

ラカンは父の名を終焉させた。それは、(トラウマの表象)S(Ⱥ)というマテームの下でなされた。斜線引かれた大他者のシニフィアンである[le Nom-du-Père, c'est pour y mettre fin. …sous les espèces du mathème qu'on lit grand S de A barré,  signifiant de l'Autre barré, ]〔・・・〕

これは大他者の不在、大他者は見せかけに過ぎないことを意味する[celle de l'inexistence de l'Autre. …que l'Autre n'est qu'un semblant. ](J.-A.MILLER, L'Autre qui n'existe pas, 20/11/96)

ロラン・バルトは自分の日本をめぐるエッセーを 『表徴の帝国』 L'Empire des signes と題しているが、 それは 『見せかけの帝国』 l'empire des semblantsを意味する。(ラカン、リチュラテール.Lituraterre 1971)




これとは別に日本には風土的問題があるがね

中国人は平然と「二十一世紀中葉の中国」を語る。長期予測において小さな変動は打ち消しあって大筋が見える。これが「大国」である。アメリカも五十年後にも大筋は変るまい。日本では第二次関東大震災ひとつで歴史は大幅に変わる。日本ではヨット乗りのごとく風をみながら絶えず舵を切るほかはない。為政者は「戦々兢々として深淵に臨み薄氷を踏むがごとし」という二宮尊徳の言葉のとおりである。他山の石はチェコ、アイスランド、オランダ、せいぜい英国であり、決して中国や米国、ロシアではない。(中井久夫「日本人がダメなのは成功のときである」初出1994年『精神科医がものを書くとき』所収)

日本という国は地震の巣窟だということ。大水、噴火、飢餓なども、年譜を見ればのべつ幕なしでしょう。この列島に住み、これだけの文明社会を構築してしまったという問題があります。(古井由吉「新潮45」2012 年1 月号 )






忘れないようにな、わずか10年ちょっと前のことなんだから。


このたびの東日本大地震大津波の惨事の後から、千何百年昔にも東北に今回の規模に劣らぬ大地震大津波のあったことが指摘された。


平安初期の貞観年間のことだという。年表を見ると、八六九年、陸奥大地震大津波とある。 しかもその五年前には、富士山が大噴火を起こしている。陸奥の災害の九年後には関東の 大地震、そのまた九年後には畿内の大地震が記されている。


あまりのことに大昔のことながら暗然とさせられているうちに、ふっと貞観の仏たちの相貌が浮かんだ。〔・・・〕

ひきつづき人知を尽くさなくてはならない。それでも災害をすっかり排除することはできない。 しかしまた、災害にたいして備わっている、まもられている、という信頼なしに、人は日常の心で生きられるものだろうか。苦しいところへ追いこまれたものだ。


これまでの大災害、天変地異や飢饉や疫病の歴史を年譜だけでも眺めて、その頻繁なくり かえしの中で生きた古人たちの心を思うべきなのだろう。厄災の脅威に身近から迫られな がらの日常もあり、祭りや踊りもあった。


生きながらえたと感じる古人たちの祭りは、現代のイベントよりも、はるかに強烈なものだったと思われる。心身の底で死者たちと通じあっていたはずだ。〔・・・〕


危機と言われる。この言葉ほど風化しやすいものはない。人は危機感を日常に長くは保って いられないものらしい。それでは生きられない。しかし危機そのものは日常につねにつきまとう。


考えてみればよい。大津波に吞まれた人はその直前まで日常の内にあったのだ。このたび の大災害から遠隔の地にあった人にとってもいつなんどき、日常に断層が一瞬にして走るか、 知れはしない。「決定的な」などと言うもおろかな断層が。(古井由吉『楽天の日々』写実ということの底知れなさ、2017年)





日本のアニミズム的相のある天皇制の起源はこの地震にあるのかもしれないよ、

どの個別宗教もその教義、教典が成立した時に、その時のその場の何かがもっとも先鋭な不条理であったかを鋳型のように示している。一神教は苛烈な不条理に直面しつづけたユダヤ民族の歴史を映しているだろう。


 人間はもともと狩られる存在であって劣等感の塊であったという。それが「万物の霊長」に成り上がると、頭の上に何もないのが落ちつかない。人は優越感だけでは自分を支えられないのである。そこで眼に見えない存在として神を自分の上に置いたという説明がある。だから、多くの宗教が富者、知者、支配者の傲慢を戒め、謙遜と敬虔とを美徳とするのかもしれない。


 しかし、動物を狩る技術は同種間の狩り、すなわち戦争を生みもした。その際には「正義われにあり」という感情を支えるために使われもした。二十世紀でも二次の世界大戦において参戦国の教会はすべて神に自国の勝利を保証した。(中井久夫「日本人の宗教」神戸新聞、2007年) 

むかし、神道が清潔をあまりに言うのは、かつて何か血なまぐさいことをしたからではないか、と思ったことがあるが(精神分析学を持ち出さずとも、マクベス夫人の例を考えるだけでよかろう)、縄文人をインディアンのように弥生人が虐殺したということはないという。


 アニミズムは日本人一般の身体に染みついているらしい。イスラエルと日本の合同考古学調査隊が大量の不要な遺骨を運び出す羽目になった時、その作業をした日本隊員は翌日こぞって発熱したが、イスラエル隊員は別に何ともなかったそうである。(中井久夫「日本人の宗教」1985年初出『記憶の肖像』所収)



ーー《一神教とは神の教えが一つというだけではない。言語による経典が絶対の世界である。そこが多神教やアニミズムと違う。》(中井久夫『私の日本語雑記』2010年)


天皇のベースは呪術師だろうからな、少なくとも折口信夫の論を典型とする神なる鎮魂呪術説によれば。


私の考えでは、アニミズムから、呪術、宗教、普遍宗教にいたる発展とは、交換様式の変容にほかならない。簡単にいうと、それはつぎのようになる。アニミズムでは、万物にアニマがあると考えられている。ゆえに、人はアニマを抑えないと、対象と関係することができない。たとえば、動物を狩猟することができない。その場合、アニマに贈与することによってそれを抑え、対象をたんなる物とする。それが供犠である。死者の埋葬・葬礼も死者の霊を抑えるためになされる。したがって、呪術はこのような贈与交換によって成り立っている。そのような贈与はまた、自然をたんなる対象として扱うことを可能にする。ゆえに、呪術師が最初の科学技術者なのである。(柄谷行人『哲学の起源』2012年)