このブログを検索

2024年9月7日土曜日

キミらが羨ましいよ


 もう11ヶ月になるがな、ネットで日々生中継されるジェノサイドが始まって。ジェノサイド7の一員としてそれをなすすべもなく眺める生活を一年弱送って。



どうだい、Genocide 7の一員のみなさん、もうとっくの前から関心を失ってるんじゃないかい?


犠牲者は、刑吏の虐待に苦しむよりは、傍観者の無関心ゆえに、もっと多くまたもっと深く苦しんだのである。(エリ・ヴィーゼル『死者の歌』)

ヒットラーのドイツには特殊なたしなみが広まっていた。知っているものは語らず、知らないものは質問をせず、質問をされても答えない、というたしなみだ。こうして一般のドイツ市民は無知に安住し、その上に殻をかぶせた。ナチズムへの同意に対する無罪証明に、無知を用いたのだ。目、 耳、口を閉じて、目の前で何が起ころうと知ったことではない、だから自分は共犯ではない、 という幻想をつくりあげたのだ。(プリーモ・レーヴィ 『これが人間か』(Se questo è un uomo)ーー旧邦題『アウシュヴィッツは終わらない――あるイタリア人生存者の考察』)


私も傍観者の一員にすぎないがね、でもそこのキミらのように《目、 耳、口を閉じて、目の前で何が起ころうと知ったことではない》という風にはなれないんだな、ある意味でキミらが羨ましいよ。どうしてそうなれるのか教えてほしいよ、ワカルカイ?