美の標準は各個の感情に存す。各個の感情は各個別なり。故に美の標準もまた各個別なり。また同一の人にして時に従つて感情相異なるあり。故に同一の人また時に従つて美の標準を異にす。(正岡子規『俳諧大要』1895年) |
|
蚊居肢子の場合、美は基本的に女か音楽なんだが、このところどちらも美の標準が揺らいでるな。
われわれはみな、もろもろの断片から成っており、その構成ははなはだ雑然として食い違っているから、各断片は各瞬間ごとに思い思いのことをする。だからある時のわれわれと、また別のある時のわれわれとの間には、われわれと他人との間におけるほどの距離がある。 (モンテーニュ『エセー』第3卷1章) |
|
実にモンテーニュの云うように他人になった気分だよ。
疲れているせいかね、
あなたは自分が何を欲しているのか知っているのだろうか? ――自分は何が真理であるかを認識するには全く役に立たないかもしれない、この不安があなたを苦しめたことはないのだろうか? 自分の感覚や繊細さはあまりにも鈍く、それがあなたの視界を支配しているのではないかという不安が? あなたはまさに疲れているためにーーしばしば効果の強いものを、しばしば鎮静させるものを探すことに、気づくとすれば! 真理とは、あなたが、ほかならぬあなたがそれを受け入れるような性質のものでなければならないという、全き秘密の前提条件がいつもあるのだ! |
あるいはあなたは、冬の明るい朝のように凍って乾き、心に掛かる何ものも持っていない今日は、一層よい目を持っていると考えるのだろうか? 情熱と熱中が、思考の創造に正しさを調えてやるのに必要ではないのだろうか? ――そしてこれこそ見るということである! あたかもあなたは、人間を扱うのとは異なった関係を以って思考を扱いうるかのようである! この関係の中には、同じような道徳や、同じような誠実や、同じような下心や、同じような弛緩や、同じような臆病やーーあなたの愛すべき自我と憎むべき自我との総体がある! |
あなたの肉体的疲労は、諸事物にくすんだ色を与える。あなたの病熱は、それらを怪物にする! あなたの朝は、事物の上に夕暮れとは違った輝き方をしてはいないだろうか?[Leuchtet euer Morgen nicht anders auf die Dinge, als euer Abend? ] |
あなたはあらゆる認識の洞窟の中で、あなた自身の亡霊をーーあなたの視野から真理はその中に覆い隠されてしまった蜘蛛の巣としての亡霊をーー発見することを恐れていないのだろうか。あなたがそのようにひどく不注意に振る舞いたいと欲するのは、恐ろしい喜劇ではないのだろうか? ――(ニーチェ『曙光』539番、1881年) |
放恣な女のイマージュを求めつつ、薄明の音楽を聴くという具合だな
放恣というか女蜘蛛って言ったほうがいいかも、ーー《蜘蛛よ、なぜおまえはわたしを糸でからむのか。血が欲しいのか。ああ!ああ![Spinne, was spinnst du um mich? Willst du Blut? Ach! Ach! ]》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「酔歌」第4節、1885年)