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2024年11月11日月曜日

日本における国民国家成立過程ーー夷人ノックの天皇への投影


私はWikipediaをあまり見ないほうなのだが、「国民国家」の項をふと覗いてみると、これはなかなか要領よくまとまっているんじゃないかね。


国民国家(こくみんこっか、英: Nation-state、仏: État-nation、独: Nationalstaat)とは、国家内部の全住民をひとつのまとまった構成員(=「国民」)として統合することによって成り立つ国家。領域内の住民を国民単位に統合した国家そのものだけではなく、それを主権国家として成立する国家概念やそれを成り立たせるイデオロギーをも指している。〔・・・〕


ヨーロッパにおいては、1848年革命(「諸国民の春」)ののち、つぎつぎと「国民国家」が成立した。ドイツ帝国とイタリア王国は統一運動によって、バルカン半島ではセルビア王国、モンテネグロ公国、ルーマニア王国、ブルガリア公国などはオスマン帝国からの独立によって、それぞれ生まれた国民国家であった。近代の国家システムのなかで、国民は主権者としてのさまざまな権利を有すると同時に、納税、兵役、教育の義務を担うこととなった。国民国家形成はしばしば、当該民族にとって「悲願のできごと」として表現されることが多い。しかし、実際には、国家領域のなかには多様な人びと、複数の集団が存在していることが多いため、さまざまな問題をはらんでおり、歴史的に重大な事件を引き起こす要因ともなってきた。


国家の住民を、「国民」にまとめあげる際、重要な要素となったのが「民族としてのアイデンティティー」であった。ここでいう民族は、人類学的な民族(エスニック集団)と必ず一致しているわけではない。国家の一員としての帰属意識(国民的アイデンティティ、ナショナル・アイデンティティー)の獲得を促したのが、工業化による富や社会構造の変動、言文一致運動とそれを担った娯楽の発展、マスメディアの誕生、義務教育等々による国語の定着などである。また、多くの場合は時期をほぼ同じくして、歴史が国民に共有されたこと、経済圏が統一されて国民経済が確立したことが、その促進要因として挙げられる。国民国家は、国家のために税金から命まで差し出す国民を育成し、それまでの嫌々ながらも従う農民の構図に比べて圧倒的に動員能力のある国家を生み出した。


日本では、明治維新によって、日本列島に大日本帝国という国民国家が成立した。それまで幕藩体制下では民衆はまず直接の統治者である藩を国(クニ)として意識していた。それまでは幕府による統一はあっても中央集権は緩やかであり、藩をまたぐ民衆の移動が制限されていたので言葉や文化、政治の違いも大きく、民衆は「日本国民」という意識が稀薄であった。そうした状況を改め、西欧諸国に対抗するべく明治政府は一君万民を唱え中央集権化を進めることで地方較差を薄め、「日本国民」としての意識を広めていく必要があった。しかし、西欧的な「国民」という概念は当時の日本人にとって抽象的であり、民衆に浸透させることが困難であると危惧した明治政府は、当時の民衆にもわかりやすいように、万民が等しく天皇陛下の臣(臣民)であるというように広めた。


宮台真司は、「幕藩体制下では『クニ』とは藩のことで、庶民レベルには『日本』という概念がなかった。だから、日本統合の象徴である『天皇』という“共通の父”により、『一君万民』のフレームによってクニとクニの対立を忘却させ、一つの国民国家として融和させた」と述べている(宮台真司・宮崎哲弥 『ニッポン問題。M2:2』インフォバーン、2003年6月)。


日本の国民国家の成立をめぐる宮台真司の定義もすばらしい。



このところアンダーソンの『想像の共同体』を再読してるんだが、ーーおっと脳内で横やりが入るな・・・

カンブルメール夫人が、「再読すべきだわ、ショーペンハウアーが音楽について述べていることを」といっているのを耳にはさむと、彼女はげしい口調でこう言いながらその文句に私たちの注意をうながした「再・読とは傑作ねえ! 何よ! そんなもの、とんでもない、だまそうとしたってだめなの、私たちを」老アルボンはゲルマントの才気の形式の一つを認めてにっこりした。

comme Mme de Cambremer disait : « Relisez ce que Schopenhauer dit de la musique », elle nous fit remarquer cette phrase en disant avec violence : « Relisez est un chef-d'œuvre ! Ah ! non, ça, par exemple, il ne faut pas nous la faire. » Alors le vieux d'Albon sourit en reconnaissant une des formes de l'esprit Guermantes.

(プルースト「見出された時」)


・・・というわけだが、それはともかく(?)、Wikipediaの記述は、『想像の共同体』の記述の線だね。


以下、私訳。

「公定ナショナリズム」ーーネーションと王朝帝国の結婚ーーを位置づける鍵は、それが1820年代以降にヨーロッパで盛んになった民衆的国民運動の後に、またそれに対する反応として発展したことを思い出すことである。

The key to situating 'official nationalism' — willed merger of nation and dynastic empire — is to remember that it developed after, and in reaction to, the popular national movements proliferating in Europe since the 1820s.

(ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』1983年)



そして日本についてはこうあるーー、

明治人は、半ば幸運な3つの要因に助けられた。第一に、2世紀半に及ぶ鎖国と幕府による国内の平定によって、比較的高い民族文化的同質性である。〔・・・〕

第二に、天皇家の万邦無比の古さ(日本は有史以来、君主制が単一の王朝によって独占されてきた唯一の国である)と、その象徴的な日本性(ブルボン家やハプスブルク家とは対照的)により、公定ナショナリズムの目的のために天皇を利用することはむしろ容易であった。〔・・・〕

第三に、夷人が突然、一挙に脅威的に侵入してきたため、政治的に意識のある人たちの大半が新しい国民的条件で抱かれた国防計画を容易に結集することができた。

the men of Meiji were aided by three half-fortuitous factors. First was the relatively high degree of Japanese ethnocultural homogeneity resulting from two and a half centuries of isolation and internal pacification by the Bakufu. (…) 

Second, the unique antiquity of the imperial house (Japan is the only country whose monarchy has been monopolized by a single dynasty throughout recorded history) , and its emblematic Japanese-ness (contrast Bourbons and Habsburgs) , made the exploitation of the Emperor for official-nationalist purposes rather simple . (…) 

Third, the penetration of the barbarians was abrupt, massive, and menacing enough for most elements of the politically-aware population to rally behind a programme of self-defence conceived in the new national terms. 

(ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』1983年)



「国民国家(Nation-state)」はかつては「民族国家」とも訳された語で、傑出した歴史家でもあった中井久夫はこう書いている。



民族国家とはフランス革命が発明したものである。まず民族という概念を発明して、国内では徴兵制による常備軍、税制による政府官僚制、司法制度による法の支配、国外には大使館、公使館、領事館をはりめぐらし、国際条約を承認し遵守し利用し、紛争解決の手段としての外交の延長としての戦争を行う。こういうものでないと国家として相手にしないぞという強制が二百年前に成立し、民族国家システムに加入するか、植民地として編入されるかという二者択一をイギリスをはじめとする西欧「列強」が迫ったのが、十九世紀の特徴である。 東地中海と東アジアの比較的周辺部にいた国家はまがりなりに民族国家を作ろうとした。ギリシャ、タイ、エチオピア、日本くらいだろうか。「鹿鳴館文化」などはいたいけな努力である。いっぽう、大清帝国、インド・ムガール帝国、オットマン・トルコなど、衰退する多民族帝国は非常に混乱した。民族国家の体裁を作っても、うまく機能しない。常備軍というものは単一民族の神話を必要とするのだろうか。結局、民族国家およびその植民地というシーツで世界はほぼ被われるのだが、「戦争の巣」となった部分は民族国家で被うのに成功しなかった部分であることがわかる。(中井久夫「1990年の世界を考える」1990年『精神科医がものを書くとき』所収)


これはまたすばらしい。というより私の国民国家把握のベースはこれだな。「鹿鳴館文化」などのいたいけな努力の指摘も示唆溢れる。先のアンダーソンとともに読むべきだよ。


なにはともあれ、江戸文化から鹿鳴館文化への急激な移行はひどい無理があったんだろうよ。



⬇︎






さらに宮台真司の《幕藩体制下では『クニ』とは藩のことで、庶民レベルには『日本』という概念がなかった。だから、日本統合の象徴である『天皇』という“共通の父”により、『一君万民』のフレームによってクニとクニの対立を忘却させ、一つの国民国家として融和させた》とともに読むべきだねね。もしお好きなら次の文で補いつつ。


もとより、「天皇」は「父親」が投影されているスクリーンに過ぎない。(中井久夫「「昭和」を送るーーひととしての昭和天皇」初出「文化会議」1989年)

明治以後になって、第二次大戦前までの父はしばしば、擬似一神教としての天皇を背後霊として子に臨んだ。(中井久夫「母子の時間 父子の時間」初出2003年 『時のしずく』所収)


つまりは夷人が突然、一挙に脅威的に侵入してきたこともあり、《日本統合の象徴である『天皇』という“共通の父”》に「投影」して国民国家が出来たんだろうな。


内的知覚の外界への投影は原始的メカニズムであり、たとえばわれわれの感覚的知覚もこれにしたがっている。したがってこのメカニズムは普通われわれの外界形成にあずかってもっとも力のあるものである。

Die Projektion innerer Wahrnehmungen nach außen ist ein primitiver Mechanismus, dem z. B. auch unsere Sinneswahrnehmungen unterliegen, der also an der Gestaltung unserer Außenwelt normalerweise den größten Anteil hat.

(フロイト『トーテムとタブー』「Ⅱ タブーと感情のアンビヴァレンツ」第4節、1913年)




別の言い方なら、夷人によるノックの天皇への投影だね、


フロイトは『精神分析理論にそぐわないパラノイアの一例の報告』(1915年)において、投影の事例として、さる大きな企業に勤めるとても魅力的な未婚の女性について語っている。


彼女は30歳になって職場の男と恋に陥り、彼の住まいに訪れた。ソファで抱き合っているとき、彼女は何か音がすると不安に襲われる。男は不思議に思い、たんなる時計の音じゃないかと言う。フロイトは次のように記している。

時計の時を刻む音でも、何か別の音でもないと思う。女性の状況を考えると、クリトリスにおけるノックあるいは鼓動の感覚が正当化される。これを彼女が外部の対象の感覚として投影したのである。夢の中でも同じようなことが起こる。私のヒステリー症の女性患者はかつて、自発的に連想することができなかった短い覚醒夢について私に話してくれた。彼女はただ、誰かがノックして目が覚めるという夢を見た。誰もドアをノックしなかったが、前の晩に彼女は性器の湿潤による不愉快な感覚で目が覚めていた。そのため、彼女には性器の興奮の最初の兆候を感じたらすぐに目覚めるという動機があった。彼女のクリトリスには「ノック」があったのである。われわれのパラノイア患者の場合、偶発的なノイズの代わりに同様の投影過程を代替すべきである。

Ich glaube überhaupt nicht, daß die Standuhr getickt hat oder daß ein Geräusch zu hören war. Die Situation, in der sie sich befand, rechtfertigte eine Empfindung von Pochen oder Klopfen an der Klitoris. Dies war es dann, was sie nachträglich als Wahrnehmung von einem äußeren Objekt hinausprojizierte. Ganz Ähnliches ist im Traume möglich. Eine meiner hysterischen Patientinnen berichtete einmal einen kurzen Wecktraum, zu dem sich kein Material von Einfällen ergeben wollte. Der Traum hieß: Es klopft, und sie wachte auf. Es hatte niemand an die Tür geklopft, aber sie war in den Nächten vorher durch die peinlichen Sensationen von Pollutionen geweckt worden und hatte nun ein Interesse daran zu erwachen, sobald sich die ersten Zeichen der Genitalerregung einstellten. Es hatte an der Klitoris geklopft. Den nämlichen Projektionsvorgang möchte ich bei unserer Paranoika an die Stelle des zufälligen Geräusches setzen.

(フロイト『精神分析理論にそぐわないパラノイアの一例の報告(Mitteilung eines der psychoanalytischen Theorie widersprechenden Falles von Paranoia)』1915年)



パラノイア(妄想)とあるが、誰にでもあることだ、《病理的生産物と思われている妄想形成は、実際は、回復の試み・再構成である。[Was wir für die Krankheitsproduktion halten, die Wahnbildung, ist in Wirklichkeit der Heilungsversuch, die Rekonstruktion.] 》(フロイト『自伝的に記述されたパラノイア(妄想性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察』「症例シュレーバー」第3章、1911年)


つまりはクリトリスのノックからの回復の試みだね。女たちがおおいに貢献したんじゃないかな、国民国家形成に。ーー《ヒステリーにおけるエディプスコンプレクス…何よりもまずヒステリーは過剰なファルス化を「選択」する、ヴァギナについての不安のせいで。the Oedipus complex in hysteria,…that hysteria first of all 'opts' for this over-phallicisation because of an anxiety about the vagina. . 》(PAUL VERHAEGHE,  DOES THE WOMAN EXIST?, 1997)。要するに天皇をファルス化したんだよ。これが先の中井久夫曰くの擬似一神教制だね。



そういえば、昭憲皇太后はタマ磨きの歌を作ったらしいよ。


金剛石も磨かずば

珠の光は添はざらん

人も学びて後にこそ

まことの徳は現るれ


これは昭憲皇太后が作詞して女子学習院に下賜された御歌の冒頭の四行であるが、章は小学生のじぶんに女の教師から習って地久節のたびごとに合唱していたから、今でもその全節をまちがいなく歌うことができるのである。


そのとき章は、この「たま」とは金玉のことであると一人合点で思いこんでいた。それで或る日父に

「父ちゃん、なぜ女が金玉を磨くだかえ」

と訊ねた。すると父は、

「なによ馬鹿を言うだ」

と答えた。しかし後々まで、不合理とは知りながらも、章の脳裡には、裾の長い洋服に鍔広の帽子をかぶった皇太后陛下が、どこかで熱心に睾丸を磨いている光景が残った。今でもこの歌を思い出すたびに(ごく微かにではあるが)同じ映像の頭に浮かぶことを防ぎ得ないのである。(藤枝静男「土中の庭」1970年)