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2025年7月29日火曜日

衰退途上国の引き返せない下り坂

 







でもまだ消滅してないから、むしろ幸運なのかもしれないよ


武藤国務大臣)……そのオーストラリアへ参りましたときに、オーストラリアの当時のキーティング首相から言われた一つの言葉が、日本はもうつぶれるのじゃないかと。実は、この間中国の李鵬首相と会ったら、李鵬首相いわく、君、オーストラリアは日本を大変頼りにしているようだけれども、まああと三十年もしたら大体あの国はつぶれるだろう、こういうことを李鵬首相がキーティングさんに言ったと。非常にキーティングさんはショックを受けながらも、私がちょうど行ったものですから、おまえはどう思うか、こういう話だったのです。私は、それはまあ、何と李鵬さんが言ったか知らないけれども、これは日本の国の政治家としてつぶれますよなんて言えっこないじゃないか、確かに今の状況から見れば非常に問題があることは事実だけれども、必ず立ち直るから心配するなと言って、実は帰ってまいりました。(第140回国会 行政改革に関する特別委員会 第4号 平成九年五月九日





平成9年、つまり1997年の30年後は2027年だがね、たぶんまだ潰れてないだろ?


とはいえ、この「引き返せない道」は、見る目のある人はバブルの最盛期に既にわかってたんだがね、

しかし、これはもう引き返せない道である。能力(とくに人的能力)以上のことを買って出ないことが必要だろう。平均寿命も予測よりも早く低下するだろう。伝染病の流入と福祉の低下と医療努力の低下と公害物質の蓄積とストレスの増加などがこれに寄与する。ほどほどに幸福な準定常社会を実現し維持しうるか否かという、見栄えのしない課題を持続する必要がある。国際的にも二大国対立は終焉に近づきつつある。その場合に日本の地理的位置からして相対的にアジアあるいはロシアとの接近さえもが重要になる。しかし容易にアメリカの没落を予言すれば誤るだろう。アメリカは穀物の供給源、科学技術供給源、人類文化の混合の場として独自の位置を占める。危機に際しての米国の強さを軽視してはならない(依然として緊急対応力の最大の国家であり続けるだろう)。(中井久夫「引き返せない道」ーー産業労働調査所よりの近未来のアンケートへの答え、1988年)


でも《ほどほどに幸福な準定常社会を実現し維持しうるか否か》というのはどうもなさそうだな、もはや移民にも期待できないのだから。

生産年齢人口の減少が顕著になった25年ぐらい前までに移民政策をしっかりやっとけばまだなんとかなったんだろうが、もはや遅いんだろうよ。



このごろは新聞記事を見ても、周りの会話を聞いていても、日本の将来を心配する声が盛んである。


「日本が亡ぶ」という亡国論がある。しかし「国が亡ぶ」ということは文字どおり国が消滅しわれわれが死滅することではない。日本には数々の戦争と飢饉があって、しかもわれわれがここにいる。「亡ぶ」とは軽々しく吐くべき言葉ではないと私は思う。


心配の種の第一は高齢化社会である。しかし、これは必ず一時である。一時であり、また予見できるものは耐えられる。行政は最悪の場合を考えて対策を立てるものである。当然そうあるべきであり、行政特有の習性でもある。最悪の場合が実現の確率がもっとも高いとは限らない。高齢者が働けるように医学も行政も考えて突破するのが正道であるが、平均寿命自体が減少に向かうかもしれない。嬉しいことではないが、2030年といわれるピークまでに流行病が絶無である確率のほうが少ない。それに戦時中、小学生であった私の年齢の周辺は自殺率だけでなく病死率も高いのである。戦後っ子はどうか。


その先の心配は、人口減少という。21世紀の半ばに6千万の人口になる。だが、太平洋戦争開始時の「内地」人口は7千万以下であった。当時は4つの島ではやってゆけないと政治家もジャーナリズムもやかましく唱えて戦争を合理化したのだが、戦後4つの島で立派にやってゆけたではないか。


もちろん問題は人口の構成だといわれるだろう。しかし、人口減少と高齢化とは事実上すべての先進国に起こったことである。たとえばフランスでは、「20世紀初頭にフランス人であった人の子孫」は半世紀後すでに4割だといわれていた。今はもっと少なかろう。空白を移民が埋めたのである。わが国でも江戸人の末裔は現在の東京に10万いないだろう。後は全国からの移住者である。真空が周囲の空気を吸いよせるようなものである。


さて、日本の周囲には人口過剰の国が目白押しである。短期的には政策によって左右できるだろうが、長期的には日本が例外となるかどうか。ムソリーニは人口増加のために「独身税」を創設したが、効果があったとは聞いていない。人間はお国のために生殖にはげむものではない。第一、もう間に合わない。欧州諸国が非婚の子にやさしいのは悪いことではないが、これが人口政策の一環だと聞くと、それはにわかに賛成しがたい。


もし、欧州諸国のように、長期的には移民が将来の日本人を作ってゆくならば、それは無条件に危機か。たしかにマフィアのようなものが入ってきては困る。日本の麻薬に対するガードは固く、法的にも社会的にも制裁はきびしい。世界一だろう。日本の治安のよさは若年失業率の少なさとともに、このことによる。


欧州の場合、フランス文化は現在外国からの20世紀以後の移住者が担っているといってよい。わが国でも大方の予想以上にすでにそうである。カナダへの日本移民はもっとも成功した移民の歴史といわれる。まず結婚というテストがある。結婚しないで賭博や酒に明け暮れた移民は子孫を残さなかった。次に教育である。移民先覚者の凄い努力があった。3世の8、9割が非日系と結婚して「日系」は4、5世で消滅するという。日本では、結婚に際しての差別の個々例はいくらでもあろうが、宗教的障壁が低い利点もある。


ミトコンドリアDNA解析によれば、日本人ほど多種多様なものはないそうである。東アジア、東南アジアはもちろん、コーカジアン(いわゆる白人)はもとよりアフリカの血も結構入っているから驚く。未知の人種まであるそうだ。ここ以外では亡んだのかも。


考えてみれば、アジアの東端である。民族大移動の際に西に向かって西洋を作ったのもあるが、東に向かったのもあるだろう。たどり着いた人のたいていは太平洋の怒涛を眺めて、もう先がない、ここに腰を落ちつけようと思ったろう。そして、ユーラシア大陸には生きにくい時が多かった。孔子さまも、中国の政治に絶望して「私もむしろ筏に乗じて東海に浮かびたい」と叫んでおられる。歴史時代でも、百済と高句麗の遺民を受け入れ、蒙古襲来の際も中国・朝鮮系兵士は日本に入植させている。日本は化石多民族国家である。


ただ、よい人が魅力を感じるにはよい国でなければならない。フランスに文化的吸引力があるからジェンケレヴィッチもクリステヴァも来たわけである。日本の魅力は何だろうか。とにかく目下アジアでいちばん言論の自由であることは認めてよかろう。アジアに対して日本が貢献できるのは第一にはこれであると私は思う。17世紀西欧におけるオランダの役割である。明治時代にも朝鮮、中国、ベトナムの「志士」が日本に来ている。


私は「外人」という言葉を外国人が好まない事実を尊重したい。在日の人を別にして日本にいる外国人を「来国人」と呼んではどうであろうか。これも私の気づかない欠点があるだろうが、「外人」が主に紅毛碧眼の人種を指す点がなくなるだけでもよかろう。「古事記」にも「今来(いまき)、古来(ふるき)」という言葉がある。(中井久夫「日本の心配」神戸新聞、1997.3.05)


日本の魅力としての《目下アジアでいちばん言論の自由であることは認めてよかろう》とは今は昔の話だな。

で、どうなるんだろう、今後の日本は。国が亡びても都市は残るがね、最大の問題は田舎だろうよ。この今でも空家や廃校などが顕著になってるんだから。

………………

※附記



為替レートの影響もあるのだろうが。