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2025年7月7日月曜日

で、どうなんだい、やっぱり境界知能組なのかい、れいわ信者や参政党信者は?

 

で、どうなんだい、やっぱり馬鹿なのかい?



若者だけじゃなく、れいわ信者や参政党信者全般はやっぱり境界知能組なのかい?




信者のキミらは少しは理論的に反論しないとな



社会保険料というのは賃金税だぜ

既に2017年の段階で、日銀の知恵袋と呼ばれた元日銀理事・早川英男氏が次のように「正しく」言っているがね。

社会保険料は給与の額に応じて支払われるので、課税対象は賃金、すなわち「賃金税」である。しかも、社会保険料は(厚生年金、企業型健康保険については)被保険者と企業が折半で負担する特別な「賃金税」だということになる。〔・・・〕

社会保険負担が大幅に増えているのに、消費税などと違って負担増があまり意識されていない(したがって政治的反対も少ない)のは、毎月の給料の中から天引きの形で保険料が支払われているからだろう。〔・・・〕

こうした社会保険料の増加の結果、驚くべきことに、今では家計の社会保険料負担は所得税等の負担を上回り、企業の社会保険料負担は法人税負担を上回るに至っている。


こう考えると、社会保障費を税で賄うなら、賃金税より資源配分への悪影響が少ない消費税で賄うべきではないかという疑問が自然に湧いてくる。消費税は逆進的だとされるが、高所得者の社会保険料負担の上限を考慮すると、社会保険料は消費税以上に逆進的であり得る。にもかかわらず、消費税率引上げは二度までも先送りされ、社会保険料は毎年上がり続ける。それは、消費増税には法改正が必要であり、政治的反発が強い一方で、社会保険料はほぼ自動的に上がっていくからだ。しかし前述のとおり、こうした姑息な形での社会保障負担の増大は、雇用・賃金の不安定化や将来不安等に伴う個人消費の抑制に繋がっている。政治プロセスの非対称性の問題も含め、もう一度「税と社会保障の一体改革」を考え直すべき時ではないかと思う。(早川英男「「賃金税」としての社会保険料」2017714日)


………………

※附記

別の信者の話だがこう言ってる人がいるぜ。


ま、「内なる脆さ」なんてこと言わなくても、たんなる「意地」かも知れないがね、


「日本人の意地は欧米人の自我に相当する」とは名古屋の精神科医・大橋一恵氏の名言である。中国人の「面子」にも相当しよう。(中井久夫「「踏み越え」について」初出2003年『徴候・記憶・外傷』所収)

意地の共通の問題は、視野狭窄である。〔・・・〕

おそらく、意地というものは、元来は窮地を正面突破するための心理的技術だったのであろう。

いばらの多い藪を通り抜けるためには、たえず自分を励まさなくてはならない、そういう自己激励である。そのためには視野狭窄が必要であり、自己中心性もなくてはなるまい。いや、自己中心性は不可欠のものかもしれない。 ひとのためによかれとして意地を張ることもあるだろうか。ひょっとするとあるかもしれないが、張っているうちに次第に自分が意地を貫くことが第一義的なものになりはしまいか。

誰にせよ意地によって窮地を脱した暁には大局的な見方や柔軟な思考、自由な感情を心掛ける必要がある。意地は、人を強くするが、心をやせさせる傾向があるからである。(中井久夫「治療に見る意地」初出1987年『記憶の肖像』所収)


もうひとつーー、これは笑えるよ。