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2025年8月4日月曜日

天皇元首説と再軍備

 






ところで先の城山三郎は『大義の末』(1959年)かららしい。


◼️城山三郎『大義の末』(1959年)

天皇というものは、支配権力にとって実に便利な存在だからな。

国民の総意を代表し、それを越えた存在ということにしておけば、たとえ自分達が不都合なことをしても、天皇の意志だと責任を逃れられる。国民の批判を無視することができる。

世論にすり代わり、世論を押さえつける権威、天皇元首説がまた出てくるはずだ。しかも憲法改正ということで、再軍備と結びついて。

国防などと言ったって結局、そのときの政治権力を守るだけ。国民は駆り出され、殺される。

そんなとき一番適当な冠が天皇制だ。天皇という一語で、 全てが正当化される。


これは、象徴天皇制やめて天皇を元首にしないと、憲法九条は変更できないという話でもあるだろう。


⚫️柄谷行人インタビュー「改憲を許さない日本人の無意識」2016年7月号 文学界

ーー『憲法の無意識』のI章とⅡ章で驚いたのは、九条と一条との密接な関係を示されたことです。「九条を守ることが、一条を守ることになる」と書かれています。

柄谷  近年、天皇·皇后の発言等々に感銘を受けていて、これはどういうことだろうかと考えたんです。憲法の制定過程を見ると、マッカーサーは何よりも天皇制の維持を重視していて、九条はそのためのいわば付録に過ぎなかったことがわかる。実際、朝鮮戦争の勃発に際しマッカーサーは日本政府に再軍備を要請し、九条の改定を迫っています。九条は彼にとってその程度のものだったということです。


マッカーサーは次期大統領に立候補する気でいたので、何をおいても日本統治に成功しなければいけない。そのために天皇制を象徴天皇として存続きせることが必要だった。彼がとったのは、歴代の日本の統治者がとってきたやり方です。ただ当時、ソ連、連合軍諸国だけでなく、アメリカの世論でも天皇の戦争責任を問う意見が強かった。その中で、あえて天皇制を存続させようとすれば、戦争放棄の条項が国際世論を説得させる切り札として必要だった。だから、最初は重要なのは一条で、九条は副次的なものにすぎなかった。今はその地位が逆転しています。九条のほうが重要である。しかも九条の有力な後援者が、一条で規定されている天皇·皇后である。その意味で、地位が逆転しているのですが、一条と九条のつながりは消えていません。


ーー九条が日本人の無意識に深く根を下ろしている構造を本書は論じていますが、九条が一条と強く結びついているとすれば、つまり天皇が国民の無意識を代弁しているということでしょうか?

柄谷  そういう感じですね。その場合、天皇といっても、昭和天皇では駄目なんです。湾岸戦争勃発の前、八九年に昭和天皇が逝去したのは、ソ連圏の崩壊と同時期です。米ソ冷戦の終わりと昭和の終わりとが同時にあった。それぞれは予測できることだったとはいえ、両方の終焉を同時に迎えたというのは日本人にとってやはり大きなことですよ。僕がその頃『終焉をめぐって』(1990)を書いたのはそのためです。「歴史の終焉」という言葉が流行していた時期ですが、日本人にとっては、昭和の終焉が大きな意味をもったと思います。


昭和天皇が逝去し、明仁天皇は即位式で、「常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い………」と述べた。


この発言は宮内庁の用意した原文に自らが加筆したものだと言われています。「憲法を遵守し」というのは、ちょっと変ではないですか?  自らを規定する一条のことをわざわざ遵守すると言うだろうか。象徴天皇の範囲にとどまるという意志表明であるといえなくはないけど、僕はやはり、これは九条のことだと思いましたね。そして、その後まもなく、湾岸戦争があり、九条が争点となった。一条と九条に密接な関係があるという考えがより強まりました。


より詳しくは、➤参照

しかしーーツイッターで検索する限りでだがーー、参院選後、誰も柄谷の『憲法の無意識』の話を出していないのは不思議でならないね。憲法を変えたくてウズウズしている勢力の「石破おろし」に急に反対し出した国民の有り様は、私には即座に九条の無意識を想起させたがね。柄谷の思考はいくつかの点で瑕瑾はあるにしろ(私の観点では、特にフロイトの2種類の超自我を区別していないところ)、やはり並外れた洞察が散りばめられているよ。