前々回の「理念なき世代の排外的ナショナリズム」でわずかばかり「「ホンネ」の共同体を超えて」から引用したが、ここではその前後を含めてかなり長く掲げておく。二人の対談は種々あるが、これはことさらすばらしい。まだバブル期の余燼のある時期のものなので、いくらか古くなっている箇所はないではないが、9割方はこの今も十二分に通用する内容である。
◼️柄谷行人浅田彰対話「「ホンネ」の共同体を超えて」1993年6月『SAPIO』(『「歴史の終わり」と世紀末の世界』所収) |
浅田 旧社会主義圏が崩壊し、社会主義の理念もそれに対する批判も意味を失うなかで、資本主義の現実だけが世界を覆い尽くそうとしている。「歴史の終わり」というのは、むしろそういう理念の不在を指しているのだとも言えるでしょう。 柄谷 そうですね。ただ、「理念」という言葉自体を考え直さないといけないと思うんです。たとえば、カントにおいて、理念とは仮象です。しかし、人間は理念なしに生きていけないし、また理念はレギュラティヴ (統整的)な作用として働く、と言っている。たとえば、物理学者は自然界が数学的な構造をもっていると思っています。それは理念であって、いわば神がこの世界をつくったからだという信仰と同じです。しかし、こういう理念はけっして証明できないが、事実として、発見的に機能するわけです。歴史の目的論もそういう「理念」であり、したがって仮象です。カントがこういうことを言うのは、われわれが構成する「現象」(いわゆる客観的世界)のなかにけっして入らない「物自体」があると考えるからですね。せいぜいそれは「理念」として想像的につかまれるほかない、と。 ところが、「物自体」を捨ててしまったヘーゲルは、理念的なものは現実的であり、現実的なものは理念的であるということにしてしまった。世界史で起こったことはすべて理念の実現であるということになる。そうすると、ヘーゲル的に言えば、現実の共産圏の崩壊は、共産主義という理念の崩壊だということになってしまうわけです。しかし、カント的な意味での理念は、崩壊するもなにも、もともと仮象なのだから。 |
浅田 統整的なものであるはずの理念を構成的なものと考えて、それをむりやり実現しようとしたあげく、そのような現実が崩壊すると、理念も崩壊したかのように考えてしまう。カント的に言えば、それは誤りなんですね。 柄谷 しかも、フクヤマのようにヘーゲル的に考えれば、そうした事態そのものがまた、べつの理念の実現であり、世界史は、自由と民主主義の理念の実現によって終わるということになる。僕が斥けたいのは、こういう思考なんです。〔・・・〕 |
浅田 共産主義という理念がスターリン主義的にドグマ化されたあげく崩壊し、他方、自由主義が勝利したかに見えて、しかしそのとたん、自由主義的原理がすべての矛盾の責任を負わされることになり、それに対していま非常に反動的な方向に向かっていると思う。各々の国や共同体が、内部では民主主義的に社会福祉なり何なりをやるけれども、外部に対しては排外的に動く。それを開くものはある種の理念しかないということを思い出さないといけない。 柄谷 そうですね。民主主義は確実に勝利しつつある。なぜかというと、内に向けての民主主義は外に向けてはナショナリズムだから。 浅田 大正デモクラシーがすでに、一面では、アジア侵略の成果をみんなで山分けしようという民主主義ですからね。 |
柄谷 大正デモクラシーは、日露戦争の勝利のあと分け前が少ないことに抗議する大衆運動からはじまっている。デモクラシーというのは文字通り「大衆の支配」ですから、大衆が支持しさえすればいいんで、各々の国内で勝手にやれるわけでしょう。この民主主義的ナショナリズムを理念的に統整する原理が、自由主義だと思う。マルクスの共産主義も本当は自由主義とつながっている。 たとえば、マルクスが『共産党宣言』を書いた時期のヨーロッパの共産主義者というのは、 アナーキストです。ナショナリスト=民主主義者はいない。だからインターナショナルなんですね。それが変質してくるのは、一八七〇年代以後、ドイツの社会民主党が強くなってからです。それは、ビスマルクの国家主義に対応したものです。 社会民主党というのは、後に共産党と名前を変え、今また社会民主党に変えたわけだけれど、どちらにせよ、国家を基盤にしているものだから、インターナショナルであるはずがない。 浅田 そのことは、第一次世界大戦に際して、インターナショナルだと称していた社会民主党がなだれをうって愛国主義に走ったときから、すでに明白でしょう。今さらそんなものに可能性を見いだせるわけがない。しかし、日本でも、共産主義者と言ったって、結局はほとんど社会民主主義者だったんですね。〔・・・〕 |
浅田 とくに、日本の場合、非常に問題だと思うのは、理念はタテマエにすぎず、恥ずかしくて人には言えないはずのホンネを正直に共有することで、民主主義的な、いや、それ以前の共同体をつくってきたということです。だから、そもそも自由主義にせよ共産主義にせよ、そういう理念を軽視する面があったところへ、それも壊滅したのだから、もうみんなホンネでいこう、そこで居直ったほうが勝ちだ、という空気が非常に強まったと思うんですね。もちろん、旧左翼の現実離れした理想主義のタテマエ論は批判すべきものだけれども、それがあまりにもくだらないがゆえに、右翼が現実主義的と称するホンネを唱えると、そちらのほうが多少とも魅力的に見えてしまう。新左翼だったはずが右翼になっていた旧全共闘世代が、だいたいそういうパターンでやっているわけでしょう。しかし、今はむしろ新しい理念が求められているのであって、崩壊した旧左翼を批判しても死馬に鞭打つようなものだし、自己満足にひたる大衆のホンネを肯定することにしかならない。実に不毛な状況ではありますね。 しかも、そういうホンネ主義みたいなものあらゆる理念がついえ去ったのであってみれば、もうホンネに居直るしかないという気分は、日本のみならず世界中で今いちばん支配的なイデオロギーになっていると思う。ほんとうは共産主義がスターリン主義的に形骸化した時期からそうだったのだけれど、けれども、それが旧ソ連崩壊で露骨に目に見えるようになってしまった。旧共産圏は完全にそうなってしまっているし、旧西側も同じような状況になっている。こういうシニカルな居直りこそが現代の支配的なイデオロギーであって、これを批判できるのは、ある種の理念しかないでしょう。 |
柄谷 たとえば、カントの『純粋理性批判』はふつう形而上学批判の書だと思われていますが、序文に、いま形而上学は評判が悪くてだれも見向きもしないと書いてある。したがって、かれがやったのは、ある意味で、形而上学の回復なんですね。むしろ、それが「批判」(吟味)ということです。それはいま共産主義の理念をだれも見向きもしないということと対応していると思う。だから、二百年の差があるけれど、もう一度徹底的に「批判」を反復する必要があるのではないかと僕は思っています。 浅田 とくに日本の文脈で言うと、事実上、スターリン主義批判さえやっていればよかった時期があった。原理的にはそんなくだらないものを批判しても仕方がないとはいえ、少なくともそれが一定の力をもっていたときには、その批判にも多少は意味があったかもしれない。ところが、いまやそれも崩壊してしまった。となると、大衆は豊かになってみんな中流だと思っているからそれでいいではないかという現状肯定以外に何も残らない。これが現在のイデオロギー状況ですね。おそろしいほどの貧困だけれども・・・。 〔・・・〕 |
柄谷 夏目漱石が、『三四郎』のなかで、現在の日本人は偽善を嫌うあまりに露悪趣味に向かっている、と言っている。つまり、理念を言うと偽善になるから、偽善になるより正直に悪でいたほうがいいというふうになる。これは今でもあてはまると思う。むしろ偽善が必要なんです。たしかに、人権なんて言っている連中は偽善に決まっている。ただ、その偽善を徹底すればそれなりの効果をもつわけで、すなわちそれは理念が統整的に働いているということになるでしょう。 浅田 理念は絶対にそのまま実現されることはないのだから、理念を語る人間は何がしか偽善的ではある......。 柄谷 しかし、偽善者は少なくとも善をめざしている......。 浅田 めざしているというか、意識はしている。 柄谷 ところが、露悪趣味の人間は何もめざしていない。 浅田 むしろ、善をめざすことをやめた情けない姿をみんなで共有しあって安心する。日本にはそういう露悪趣味的な共同体のつくり方が伝統的にあり、たぶんそれはマス・メディアによって煽られて強力に再構築されていると思いますね。 |
柄谷 たとえば、日本の政治家が世界政治のなかで発言するとき、そこに出てくる理念性は非常に弱い。ホンネを言ってしまっている。実質的には日本が金を出してすべてやっているようなことでも、ほとんど口先だけの理念でやっているほうにつねに負けてしまう。日本の国内ではホンネを言って通るかもしれないけれど、世界のレヴェルでは、理念的にやらないかぎり、単に請求書の尻拭いをする成金というだけで、何も考えてないバカ扱いされるに決まっていますよ。 浅田 そのときに日本人がもてる普遍的理念というのは、結局は平和主義しかないと思いますね。ぼくはヘーゲル主義はとらないけれども、しかし向こうがヘーゲル主義でくるのであれば、こちらはそれを逆手にとって言えるはずです。つまり、世界史の先端はヨーロッパからアメリカを経て日本まできてしまった。その最終段階で、日本は、核を使った戦争、その意味で最終戦争の先取りであるような戦争を体験し、その後で憲法上戦争を放棄した。 これはほとんど近代国家としての自己を否定したに等しいポストヒストリカルあるいはポストモダンな憲法なんで、これを超える世界史的理念はまだない。しかも、その理念はいわば下部構造に支えられているわけで、軍産複合体を中核とする米ソの経済がともに進化の袋小路に入った恐竜のように後退してゆくなか、民生部門に集中することで高い効率性を実現した日本の経済は、とくに電子情報段階に入って世界をリードしつつある。とすれば、本来はその理念でやるしかないし、やれるはずなんです。 |
柄谷 憲法第九条は、日本人がもっている唯一の理念です。しかも、もっともポストモダンである。これを言っておけば、議論において絶対に負けないと思う。むろん実際的にやることは別だとしても、その前にまず理念を言わなければいけない。自衛隊の問題でも、日本は奇妙に正直になってしまう。自衛隊があるから実は憲法九条はないに等しいのだとか、そんなことを言ってはいけない。あくまで憲法九条を保持するが、それは自衛隊をもつことと矛盾しない、と言えばよい。それで文句を言う者はいないはずです。アメリカだって、今までまったく無視してきた国連の理念などを突然振りかざしてくる。それが通用するのなら、何だって通用しますよ。ところが、日本では、憲法はアメリカに無理やりに押しつけられたものだから、われわれもしようがなく守っているだけだとか、弁解までしてしまう(笑)。これでは、アジアでやっていけるわけがないでしょう。 アメリカ人は納得するかもしれないけれど。 浅田 実際、アメリカに現行憲法を押しつけられたにせよ、日本国民がそれをずっとわがものとしてきたことは事実なんで、これこそわれわれの憲法だといってまことしやかに大見栄を切ればいいわけですよ。それがもっとも先端的な世界史的理念であることはだれにも疑い得ないんだから。 |
柄谷 ヘーゲルではないけれど、やはり「理性の狡知」というのがありますよ。アメリカは、日本の憲法に第九条のようなことを書き込んでしまった。 浅田 あれは実は大失敗だった。 柄谷 日本に世界史的理念性を与えてしまったわけです(笑)。ヨーロッパのライプニッツ・カント以来の理念が憲法に書き込まれたのは、日本だけです。だから、これこそヨーロッパ精神の具現であるということになる。〔・・・〕 |
柄谷 日本人は異常なほどに偽善を嫌がる。その感情は本来、中国人に対して、いわば「漢意(からごころ)」に対してもっていたものです。中国人は偽善的だというのは、中国人は原理で行くという意味でしょう。中国人はつねに理念を掲げ、実際には違うことをやっている。それがいやだ、悪いままでも正直であるほうがよいというのが、本居宣長の言う「大和心」ですね。それが漱石の言った露悪趣味です。日本にはリアル・ポリティクスという言い方をする人たちがいるけれども、あの人たちも露悪趣味に近い。世界史においては、どこも理念なしにはやっていませんよ。 浅田 むしろ、言葉の闘いでリアル・ポリティクスに勝っている連中がいる。 柄谷 それがいちばんリアルなんですよ。戦争は軍事から経済に移ったと言うけれども、戦争はいつも言葉の戦争です。実際、日本史を見ても、つねに理念の争いをしているわけです。明治維新でも、天皇を握ったほうが官軍で、そうでなかったら賊軍になり、それで決着がついてしまう。リアル・ポリティクスと言うけれども、それは、実は理念において争うことです。 浅田 それなのに、軍事力とか経済力とか、量的にはかれる力だけがリアル・ポリティクスを動かしているんだと思ってしまう。 |
柄谷 ヘゲモニー(覇権)という概念は、グラムシが言うように、軍事的・物理的なものではなくて、文化的な問題です。世界のヘゲモニーは、経済的・軍事的な力と必ずしも対応していない。つまり、どういう理念を出せるかということにあります。しかし、日本では、それはタテマエにすぎないと言って片づけてしまう一種の「唯物論」がつねに勝っている。 浅田 日本社会はホンネとタテマエの二重構造だと言うけれども、実際のところは二重ではない。タテマエはすぐ捨てられるんだから、ほとんどホンネ一重構造なんです。逆に、世界的には実は二重構造で偽善的にやっている。それが歴史のなかで言葉をもって行動するということでしょう。 柄谷 偽善には、少なくとも向上心がある。しかし、人間はどうせこんなものだからと認めてしまったら、そこから否定的契機は出てこない。自由主義や共産主義という理念があれば、これではいかんという否定的契機がいつか出てくる。しかし、こんなものは理念にすぎない、すべての理念は虚偽であると言っていたのでは、否定的契機が出てこないから、いまあることの全面的な肯定しかないわけです。 |
浅田 理念に基づく闘争としての歴史が終わったのだとすればそれでもいいかもしれないけれど、幸か不幸か、歴史は終わるどころか再開されたと言ったほうがよく、現実に理念や言葉をめぐる世界史のゲームがどんどん展開されている。にもかかわらず、日本だけが、すべての理念がついえ去ったあとの、閉じたホンネの自己肯定に終始しているとすれば、歴史から取り残されるし、実際そうなりつつあると思います。何しろ戦後の四五年間、言葉らしい言葉をしゃべらずにきたので、なかなか急には無理かもしれないけれど、それなしでは済まないという意識はもちたいと思いますね。 |
柄谷 ニーチェは「最後の人間」とか「末人」とか言ったけれど、僕は人間の大半は最初から「末人」だと思う。したがって、人間が人間であるのは、その状態を乗り越えることにある。いつでも、差異なり矛盾なりがあれば、必ずそれを意識して異議を唱えるような行為があるだろうと思うんです。だから、昔はほんものの人間がいたとか、今後はみな「末人」になるだろうとか、そういうふうには思いませんね。結局のところ、人間は構造のなかで生きているかぎり「末人」なんでしょう。自分の意思で行動しているつもりでも、実は構造に動かされている。それが根本的に変わるわけではない。しかし、そのことを意識することはできるし、それをきっかけとして構造からずれて行くこともある。だから、来るべきものとして「未人」を語るのは間違っていると思います。 浅田 そして、幸か不幸か、差異や矛盾は絶対になくならない。とすると、それをきっかけに構造からずれていく人間が絶対にいるはずなんですね。 柄谷 数多くはないだろうけれど、そういうものをあてにすることでしかものを書くことはできないですね、年をとってくると(笑)。 浅田 いや、言葉を紡ぐというのは、原理的にそういうことなんだと思いますね。 (『SAPIO」一九九三年六月一〇日号・六月二四日号) |
なお、フクヤマの話題が出ているので柄谷の近著『力への交換様式』からも引用しておこう。 |
第二次大戦後の世界は全体として、アメリカのヘゲモニーの下で“自由主義”的であったといえる。それは一九世紀半ば、世界経済がイギリスのヘゲモニー下で“自由主義”的であった時期に似ている。しかし、このような世界体制は、一九七〇年代になって揺らぎ始めた。一つには、敗戦国であったドイツや日本の経済的発展とともに、アメリカの圧倒的ヘゲモニーが失われたからである。 しかし、一般に注目されたのは、一九九一年にソ連邦が崩壊し、それとともに、「第二世界」としての社会主義圏が消滅するにいたったことのほうである。このことは、「歴史の終焉」(フランシス・フクヤマ)として騒がれた。愚かしい議論である。このような出来事はむしろ、「歴史の反復」を示すものであったからだ。 そのことを端的に示すのは、一九八〇年代に、それまで「第一世界」を統率し保護する超大国とし“自由主義”を維持してきた米国が、それを放棄し“新自由主義”を唱え始めたことである。つまり、ソ連の「終焉」より前に、資本主義経済のヘゲモンとしての米国の「終焉」が生じたのだ。それは、一九世紀後半にイギリスが産業資本の独占的地位を失い、それまでの“自由主義” を放棄したこと、 すなわち、 “帝国主義”に転化したことと類似する。 (柄谷行人『力と交換様式』2022年) |
もうひとつ、最近のインタビューで、柄谷行人は浅田彰を《宇宙人》と言っていることも掲げておく。
◾️「宇宙人」との共同作業 危機の時代に立ち上げた「批評空間」: |
――浅田さんは、89年1月の「季刊思潮」の3号から加わりますね。 柄谷 座談会に出てもらった後に、実情を訴えて、編集同人に加わってくれないかと頼んだところ、快く引き受けてくれた。それで僕は一気に楽になったし、雑誌の内容も見違えるように充実した。僕は、原稿を書いたり、 “共同討議”と呼んでいた座談会に出たりしていたけど、編集はほとんど浅田君に頼り切りでした。他の人の原稿は発売後の雑誌で読むことも多かったくらいで(笑)。 ――やはり編集者としても一流ですか。 柄谷 浅田君の能力はすさまじいよ。まず、欧米での思想の動向をよく把握している。他方で、翻訳までチェックしていたし。とんでもない仕事量だったと思う。それなのに、楽々、平然とこなしてしまうんだ。それだけじゃなくて、座談会なんかでも、僕がその場で言ったことをそつなくまとめてくれるから、安心していられた。座談会のゲストについて前もって教えてくれたり、座談中にさりげなく橋渡しをしてくれたり。僕がやっていることについて、浅田君がまとめてくれると、なるほどそうだったのか、と自分で自分のことがわかることもよくあった。 |
――「最高のパートナーであった」と振り返っていますね。「漫才でいえば、私はボケで、彼はツッコミ」とも(「浅田彰と私」『柄谷行人浅田彰全対話』)。このあたりは、やはり関西人同士の呼吸もあるんでしょうか。 柄谷 関西人とかなんとかいう以前に、彼は普通の人ではない。人間育ちだけど、ほんとは宇宙人(笑)。彼に比べると、僕は普通人だと思うね。彼は、哲学や思想はもちろん、音楽や芸術、国内政治から世界情勢にまで精通していたし、英語・フランス語の能力もずば抜けていた。外国の出版物なんかにもさらりと目を通してしてしまうから、日本のメディアを通じて把握する人たちとは違っていた。しかし、そのことをひけらかすようなところは全くなくて、むしろ抑えているんだけど、隠せない。出会った頃から落ち着き払っていて、かつユーモラスだった。浅田君がいたから僕の90年代の活動がありえたようなものです。
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――浅田さんといえば、83年に26歳にして『構造と力』がベストセラーになるわけですが、その以前から面識があったんですよね。 柄谷 知り合ったのは、京都大学の経済学部で集中講義を頼まれたときですね。82年だったと思う。誰が呼んだのかよくわからなかったんだけど、行ってみたら、裏で糸を引いているのが浅田君らしかった。助手なのに、教授が彼の助言を仰いでいた(笑)。 ――出会った当時のエッセーで、「驚嘆すべき俊才」「私は教えるどころか、私が何を実際に考えていたのかを逆に教えてもらったようなものである」と絶賛しています(「京都で考えたこと」『批評とポストモダン』所収)。 柄谷 みんな会ったら仰天する。外国に行っても、そこの人たちから、「こんな人は日本でも唯一無二でしょう」と聞かれるんだよね。また、僕にも感嘆して、日本人ってこんなに知的なのか、と驚いているわけ。それに対して、僕は「僕たち程度の人は、日本にはざらにいますよ」と答えていた。 ――いや、柄谷さんも浅田さんもかなり特別だと思いますけど……。 柄谷 そうなんだけど、日本人を立派に見せよう、という心で(笑)。当時これをゴキブリ理論と呼んでいた。一匹いたら、背後にうようよいる、というものです(笑)。 |
・・・と引用すれば、在庫からこうも貼り付けておくべきかもしれない。
◼️インタビュー マルクスから (ゴルバチョフを経て )カントへ ─ ─戦後啓蒙の果てに 浅田彰 聞き手 │東浩紀 2016 |
─ ─ 『批評空間 』創刊の経緯を教えていただけますか 。 浅田 「文学者の反戦声明 」への柄谷行人や田中康夫の関わりとも似て、ぼくはいわば巻き込まれたかたちなんです。そもそも鈴木忠志が中心となって市川浩や柄谷行人と一緒に八八年に創刊した 『季刊思潮 』という雑誌があった。しかしそれを具体的に動かすことが難しくなって座礁しかけたので、柄谷行人から 「一緒にやってくれないか 」という依頼があって、ぼくも第四号 (八九年 )から編集委員会に参加した ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。 |
─ ─具体的に動かせないというのは、単純に目次が作れないといったことですか。 浅田 そうです (笑 ) 。いうなれば、お山の大将に対する参謀役みたいなかたちで加わったんですね 。そのうち 、編集委員会は柄谷と浅田に任せ、あとのひとたちにはアドヴァイザリー・ボードに参加してもらうかたちにすればいいじゃないかという話になり、九一年に柄谷と浅田を編集委員とする 『批評空間 』へと改組された。だいたいそういう経緯です。 |
柄谷行人は NAMから反原発デモにいたる過程で六〇年安保闘争へ先祖返りしたようにも見える。その流れは 『批評空間 』が創刊された時点からすでに始まっていたのかもしれない。ただ、ぼく自身は 、『批評空間 』が担うべき課題は、署名だデモだといった政治運動 (それはそれでむろん重要だけれど )とは異なる理論的・批評的次元にあるはずだと考えていました。冷戦が終結し、新自由主義という名の下に、プリミティヴな原型に回帰した資本主義が世界を覆いつくそうとしている。ケインズ主義的妥協の下で労働組合に支えられていた労働者も、マルチチュードへと還元され 、そこここでゲリラ戦を展開するほかなくなっている。むろんそれは意味のあることだし、そうしたゲリラ戦の連接を図ることも重要だろう。しかし 『批評空間 』のなすべきことは 、たとえエリート主義と言われようが 、アドルノのように「グランドホテル深淵 」に籠っていると見られようが、やはり批判的知性を再構築することだろう、と。この点について柄谷行人と議論を詰めたことはないんですが、「政治に回帰する柄谷とアドルノ的エリート主義に回帰する浅田が呉越同舟で 『批評空間 』に 同居していた 」という見立てがあるとすれば 、 「そう見えたとしてもしかたないだろう 」と答えるべきかもしれません。 |